「笹井絽薫」

 新幹線がホームに来た。

 中部大会、上演前日、会場のある福井県に向かうために、演劇部部員が新幹線ホームに勢揃いしている。

 みんな浮かれ気分で体が温まっているのか、肌を刺すような風や、足元の氷結したようなタイルには見向きもないようだ。

「宮市大丈夫か?」

 大山先輩が宮市先輩を支えるように寄り添った。

「ああ、もう杖なしでも歩けるくらいだからな」

「宮市先輩」

「んっ? どした?」

「俺、宮市先輩みたいにできるのか、まだ、正直不安しかないです」

「笹井、お前はお前の結城でいいんだぞ」

「そうだよ。大山の言う通りだ」

「はい。わかってるんですけど、わかってるんですけど……」

「すげープレッシャーだよな? たぶん、俺が感じてたよりももっと」

「それは……」

 俺は宮市先輩に負けないような結城をやるんだと意気込んでいた。他のキャストに迷惑や不安な思いをさせたくないと思っていたから。でも、考えれば考えるほど、自分がやりたいと思うものから遠ざかっているような気がした。サッカーボールが茂みの中に隠れてしまったみたいに、探しきれないでいた。

 通し稽古をムービーで見たときも、悪くはなかったと思う。みんなもよかった、さすがだって言ってくれた。けれど、やっぱり、宮市先輩の結城のほうがしっくりきてるように感じた。何がどうしてなのかはわからない。不安がそんな風に思わせているのかもしれない。

 新幹線に乗り込み、座席に座る。窓の外を見る、目の前のホームはちほらと人が行き交う。何か物足りなさを感じるように、風が枯れ葉を飛ばしていく。


 何か忘れているような……大事な何か——。



     ☆   ☆   ☆



「宮市、足が折れた」

 そんな予期せぬ一報が届いたのは、十一月になろうというときだった。中部大会に向けて【明日の恋】の稽古が始まったばかりだ。


 ちょうどその日は雨が降っていてた。外での走り込みができなかったため、校舎の階段を利用して走り込みをしていた。いつも雨の日は同じことをしている、まさかそこで事故が起こるなんて誰も予想していなかった。

 大人数になるので、二班に分けて校舎の両サイドを別々に走っていた。俺たちが何事もなく、練習場に戻って発声をしていると、大山先輩が地震でも起きているかのような足音を立てて、ドアを吹き飛ばす勢いで入ってきた。

 みんな振り返ると、大山先輩が呆然と立ちすくんでいた。


「えっ? 大山パイセン、下手な嘘はダメっすよ。元副部長!」

 福居はおどけるように言うと、大山先輩は俯きながら首を横に振った。

「えっ? マジっすか?」

 ここにいた部員が、いつもの冗談を言う雰囲気とはまるで違う大山先輩を見て、側まで駆け寄ってきた。

「わりーけど、マジだ。今、須賀原の車で病院に連れてってもらってる」

 話をしていると他の部員たちが戻ってきた。

「みんな心配かけて悪い。大山から話を聞いたかもしれないけど、宮市が足を骨折して、今病院で診てもらってる。今日は各自ちゃんと身に付いたものを忘れてないか、チェックする意味も込めて通しをする予定だったけど、キャスト以外は普段の練習をしてほしい。キャストはシーンに分けてやっていけばいいかな? 部長」

 本田先輩が喋り出すとみんな各々の憶測など話していたのを瞬時にやめた。

「はいっ! それでいきましょう! じゃあロカ男はそっち仕切ってやってもらってていいか?」

「りょうかい」

 キャストとスタッフ側に分かれて練習をした。一時間半程経った頃、宮市先輩が戻ってきた。左足にはギブスをはめられ、松葉杖をついていた。ドアを開けると練習場に冷えた空気が入り込んできた。練習中の熱気が癒されるようだった。

「みんな、心配かけてごめん。」

 松葉杖を脇に抱え、右手を前に出し、手を合わせるような動作をした。

 大山先輩と本田先輩が駆け寄った。

「宮市は骨折して、最低でも二ヶ月安静にしてなきゃならん。本田、宮市とも話したけど、大会は代役を立てんといかんぞ」

「わかりました。とりあえず、どうするか今から話し合います」

「まあ、しゃーない。みんなも階段ダッシュは気をつけんといかんぞ」

「俺のせいで本当にごめん!」

「さっ、行こか? 家まで送るでな」

「須賀原先生、俺痛み止め打ってるし、普通に帰れます。親にもそう言ったんで」

「そか、無理すんな。まあ、なるべく早く帰れよ」

「はい」

 須賀原先生はそういうと職員室へ戻っていった。

 大山先輩と本田先輩は、宮市先輩が座れるように椅子を持ってきた。座るのを確認すると、本田先輩が深呼吸をして話し出した。

「福居、どーする? 今から話し合いした方がいいと思うけど」

「そうすね。大会までに主役を作り上げなきゃいけないなら、今どーするか決めた方がいいすよね?」

「そーだな」

「わかりました。……じゃあ、今日はとりあえず一年は帰ろうか? キャストと二年、三年で話し合った方がスムーズですよね?」

「ああ、そう思う」

「ロカ男、途中だったかもしれないけど、アドバイスや、注意点があったら今言っちゃってくれないか? それで一年は今日は終わりだ」

「了解」

「じゃあ、俺らはこっち集まろうか」

 大山先輩が宮市先輩から円になるように座るように促した。

「じゃあ、今日は以上! お疲れ様でした!」

「お疲れ様でした!」

 俺は注意点など何点か上げて述べた後、一年を帰らせた。福居に手招きされ隣に座った。

「さあ、どうしようか? 代役ってか主役を交代だけどな」

 本田先輩は気合を入れるためか手を叩き、ひとりひとりの表情を見るように、問いかけた。先輩たちの中からもう一度選び直すと言う案が多数だった。なるべく入れ替わりの少ないようにして、役作りがスムーズにいくように。

「笹井はどう思う?」

「んー、俺も本田先輩、大山先輩が変わってやったほうがいいと思います。で、どちらかの役を三年、もしくは二年から選んだほうが。じゃないと主役を今から作り上げるのは難しいかなって」

「そうか」

「俺、やらせたい奴がいるんだけど」

 ずっと聞き役にまわっていた宮市先輩が口を開いた。

「俺のせいでこんなことになってんのに、ホントに申し訳ないって思ってる」

「いや、しゃーねーから」

 大山先輩は気にするなというような顔で宮市先輩を見ていた。

「しゃーなくないよ」

 口元は笑っていたけれど、目元は悲しそうだった。最後の大会になるのに、出られなくなってしまったんだから一番辛いのは宮市先輩だ。

「……で、俺の独断なんだけど、こいつは持ってるなって思ってさ。主役をやりきってくれると思ってる」

「誰だよ?」

 宮市先輩は深呼吸した。

「笹井絽薫」

 …………。

 一瞬、場の空気が静まり返った。

 えっ? と吐き出そうになったとき、先に大山先輩が立ち上がった。

「やっぱりか!」

 怪我をしていることを忘れてしまったのか、宮市先輩にヘッドロックを食らわせる。慌てて本田先輩が止めに入る。

「すまんすまん、つい」

「ついじゃないから」

 三人は浮かれているようで、じゃれあいながら楽しそうだった。しばしその光景を全員が眺めていた。みんなからの視線をやっと感じ取れたらしく、何事もなかったかのように何食わない顔をして、浮かれる前の体制に戻った。

「……おい!」

 福居が、このしれっとした空気感に喝を入れるかのように、ツッコミを入れた。

「いや、すまん。ついな、三人の意見が一致してて嬉しくなちゃって」

「そーなんだよ。悪気はないんだ」

「ごめんな、俺のせいでこうなってんのに」

 三人はなぜか笑顔で次々と謝った。

「いや、ぜんっぜんいいんすよ。楽しいのは、ただ……」

 福居は考えるように黙ってしまった。

「うちは、賛成です!」

「えっ、何で」

 口に出すつもりはなかったのに、動揺しているせいか、心の声が漏れてしまった。

「うちも本当は提案したかったけど、言っていいものか、タイミング見てたの」

 新座は合点がいったかように、晴れ晴れとした顔をしている。

「おっ、わかるやつがそこにもいたのか」

 大山先輩は朝のニュースキャスターのように、新座を指差した。

「はいこちらは……、うちふくすけじゃないからノリツッコミ的なの無理です。それでは、現場のふくすけさん」

 できないと、胸の前で両手を小刻みに振りつつ、そのままリポーター風に繋げて満更でもなさそうだ。

「はい、こちらは現場のふくすけです。早速、インタビューをしてみましょう」

 立ち上がり、そのまま俺のところへとやってきた。

「どうですか?」

「えっ? どうですかって言われても……」

 先輩たちの視線を気にしながら、少し気まずそうに言った。

「俺にするなら、福居のほうが絶対にいいと思います。お前もそう思うだろ?」

 福居に合わせその場に立ち、新座の繋げたノリを一切無視して、真面目に答えた。先輩たちのノリを繋げたいのは山々だけれど、俺を主役にするなんて無謀なことに、冗談を言っている余裕はなかった。

「……うーん」

 頭を逆さになるほどに首を捻って悩み出した。

「うーん」

「先輩たちじゃないなら、俺は福居がいいと思います。部長を任されてるし、演技力だって申し分ないし」

「うーん、正直わからん!」

 俺の喋りに被せるように、福居がぶっきら棒に言った。

「わからんて……」

 福居の予想外の返答で、言葉に詰まってしまった。

 少しの沈黙が流れた。

「俺だって、俺だって主役したいよ!」

 両肩を掴まれ、唾を顔面に撒き散らされ、必死な表情で福居が喋り出した。

「エビバディ見る前なら、先輩たちにそう言ったよ」

 悔しそうな表情で、まっすぐに俺の目を見ていた。

「そんなこと……」

 そんなこと言われても、文化祭と大会なんて比べられない。競い合うのに、こんなまだ演劇部員の卵みたいなやつが、やっていいわけがない。

「宮市先輩、俺が引き継ぎたかったけど、俺もロカ男を推薦します」

「えっ、ちょっと待ってよ。俺やるなんて……」

 この後、誰がやるではなく、俺、笹井絽薫にやらせたいか否か、帰宅時間を過ぎても話し合いをした。途中、須賀原先生が立ち寄り、後一時間だからなと念を押され、ギリギリまで話し合った。俺にやらせるのはまだ早い、不安だなど、当たり前に反対意見もいくつか上がった。けれど、三年は結局、本田先輩、大山先輩、宮市先輩の熱弁に押され全員が賛成となった。二年も戸惑いはあるみたいだったけれど、先輩たちが言うならついていきますという感じで賛成となった。反対なのは、……俺ひとりだった。しかし、そんな俺の考えは通るわけもなく、結果、主役を射止めることになってしまった。何度考えさせてほしいと言っても、その度に、それぞれから説得され、アドバイスを受け、断ることができなかった。優柔不断なのかもしれないけれど、どうしようもなかった。

 俺だって大会で主役になりたい、でも、今というわけではない。他校からも、先生たちからも、評判のいい宮市先輩の演技の代わりなんて、俺には確実に無理だ。去年まで演劇のことなんて何ひとつ頭になかったのに、そんな俺がどうして代わりになれるのか、勘や思いつきでこんなことになっていいわけない。

『大丈夫、がんばって』

「えっ?」

 訳のわからないまま、しぶしぶ帰ろうと練習場を出ようとしたときだった。後ろを振り返った。

 

 誰もいない。

 いるはずもない。


 俺と福居が最後に出て戸締りをするのだから。

「どーした?」

「えっ? なんでもない」

 もう一度練習場を見た。声が聞こえた気がした。聞きなれたはずの柔らかな声だった。空耳にしては、はっきり聞こえたような気がした。

「ってか、今頑張ってって声したよね?」

「はっ? 何言っちゃってんの? もしかしてやる気が沸々と湧いてきちゃったかな?」

 小学生の頃やっていた、お昼のバラエティー番組の司会者のように聞いてきた。

「いいと……も……って、腹括るしかないじゃん。ホントは俺じゃないよなって、思う気持ちは拭えないけど」

「つーかさ、俺の分も頑張ってくれよ」

 急に真面目な表情を向けられた。

「福居の?」

「お前は嫌々だけど主役をやるしかない、俺はやりたいけどやれない。やれないっていうか俺じゃないんだよ」

「福居……俺、嫌なわけじゃないんだよ。やっぱ嬉しいし、やってやりたいって思うよ。でも、俺みたいな何もわかってないような奴がやっていいのかって、怖いんだよ。先輩たちの最後の大会なのに、それをぶち壊しにするんじゃないかって。もし福居なら……」

「いや、お前だと思うよ、俺は。俺は今の役をやりきりたい。でも、主役もやれるならやりたい。だから、この気持ちだけでもロカ男に受け取ってほしいんだ。ロカ男だけの結城じゃなくて、宮市先輩や俺、それにみんなの思いが込められてるって」

「……うん。自分の出せる力をすべて出し切るつもりでやるよ」

「ああ」

「ふくすけー、ロカオーン、終礼するよー」

「はーい」



     ☆   ☆   ☆



「終わりました!」

「はい。九分五〇秒、セーフです」

 

 

 福井県に到着すると、用意されていたマイクロバスに乗りホテルへと向かった。荷物などを置き、ちょうどお昼の時間帯、それぞれ売店でお弁当、おにぎりなどを買った。ここを逃すとコンビニなど見つからなかったら困ることになる。グミやガム、ちょっとしたお菓子も忘れずに購入し、そのままマイクロバスで会場のドリームアートホール福井に出発した。

 本日最後の上演は堤大山高校だ。

 上出来だったと思う。感情表現や、台詞回し、自然すぎて誰かの日常をバーチャルで見てるようだった。そりゃ、全国大会行き候補と言われるだけある。

 明日が少し不安になる、いくら大丈夫だと言い聞かせても。

 でも、やるしかない、ここまできたら。下手でも、間抜けでも、怖がって失敗するより、精一杯やりきったほうが絶対にいい。

『絽薫くんならできるよ』

 そう、俺ならできる! やってやる。立ち上がると足がガクガクと震えた。しっかりしてくれよと自分に言いたかった。

 堤大山高校の撤収作業が終わり、会場にも人がいなくなった。明日上演する高校が順次にリハーサル、照明チェック、音響チェックを行い、トップバッターを担う山吹原高校、俺たちは今から大道具の搬入、セティングをする。一〇分間の勝負だ。時間オーバーになれば減点になる。



「よっしゃー!」

 大山先輩の声が会場いっぱいに響いた。

「クリスマス、一番目にやれるなんて最高じゃねーか、ブチかますぞー!」

「おおー!」

 それぞれに気合が入ったようだった。

 

 クリスマス、彼女がいたらどんなことをしたんだろう? ここに連れてきてプレゼント渡したり、キスしたりしたのかな? 妄想が膨らんでしまいそうだ。今は大会に集中しなきゃな。

 客席から誰もいない舞台を見ていた。県大会は後ろの音響席で見ていたけれど、この舞台に立つんだと、緊張と不安と期待が一気に高まった。


 

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