初恋フルーツポンチ

 ときどき、錯覚してしまいそうになる。思っていた以上に、人と人の繋がりを自分自身強く感じているから。初めの目的は違ったけれど、結局は同じところにいきつく。それが当然の流れだから、わたしにはどうにもできない。ただ、見ているときと、実際に自分がその立場に置かれると、こんなにも捉え方が違うのかと驚いてしまう。愛のキューピットなんて、本当のところ、恋愛を正確に理解できているのだろうかと、少し疑いたくなる。

 まさか、自分にこんな感情があっただなんて、どうしたらいいのかわからない。赤い糸が結ぶ相手は……なんてことまで想像してしまう。なんだか情けないな。

 前ならきっと、もっと単純だった。

 好きなんだから、ためらいなんか忘れて素直に好きって言えばいいんだよ。深く考えたって気持ちはひとつでしょ? 準備はいい? ほらって。赤い糸はわたしたちが結ぶんだから、一歩踏み出すだけだよ。

 わかったつもりでいた。好き同士なら、何も考えなくても、お互いに自然と寄り添い合えるものって。ひとりひとりのことを細やかなところまで考えずに、この人はこういう人でこういうことが好きだから、この人とは惹かれ合う。そんな集められた情報だけで判断していた。どんな話し方をするのか、笑い方や癖、匂いなんて気にも留めていなかった。

 だからって、自分のやっていたことが間違いなわけではないけれど、もっといろんな見方ができたのかと、今更、少し悔しい気持ちが残る。

 

「百彩ちゃん」

「えっ?」

「どーしたの? ボーッとしてたけど?」

 考え事をしていたせいで、名前を呼ばれても気づかなかった。何度か呼ばれていたみたい。机に手をついて、わたしを見下ろしていた笹井くん、余計と身長差を感じさせる。なぜか見上げると鼓動が早くなり、顔が火照っているようだった。

「わたし……何でもないよ。何だった?」

 わざとではないけれど、たまたま動いたわたしの手が、笹井くんの手に触れた。

 必然に目が合う。その瞬間、時間ときが止まった、ように思えた。

「おやおやおや、いつから名前で呼ぶようになったんだい?」

「はっ? 何言ってんの? 俺は別に」

 名前……福居昇流が何を言っているのかよくわからなかった。私の名前は百彩だから、百彩って呼ばれるのは当然のこと。

「へぇ~、ロカ男。もしかして葵さんと言いつつ、心の中では百彩ちゃんとか百彩って言ってんじゃないの?」

「はっ?」

 笹井くんの声が裏返り、顔が真っ赤になっていく。

「なっ、なっ何言ってんの? 俺はその、百彩ちゃんのこと、あっ、あのだから百彩ちゃん、じゃなくてあっあおいさん……」

 なぜかたじろぐ笹井くんがかわいく見える。言葉に詰まり、慌てた様子で、少し頼りないところが守ってあげたくなる。

「フフフッ」

 思わず笑ってしまった。

「笹井、何面白いことやってんの?」

「絽薫、さんに迷惑かけてない?」

 坂戸輝紀と、三咲凛花が、不敵な笑みを浮かべてこちらまで来た。ふたりとも別々のところにいたはずなのに、タイミングを合わせたのかと思うほどに同着だった。以心伝心ってこういうこと? と思った。

「俺は別に何もさ」

「うん、何でもないよ。笹井くんに呼ばれてたのに気づかなくて」

「やっぱりか、葵さんも天然入ってる?」

「天然? わたしは別に普通だよ」

「天然の子は自分では気づかないんだよ、ねっ、葵さん?」

「そーなの? わたしは……よくわかんないかも」

 天然と言われても自分自身よくわからない。何をしたらそう言われるのか、人の言葉は難しいんだなと思った。

「実はあざと女子? なわけないよね? 葵さん本物だよ。あたしでも思うもん」

「ありがと」

「そーゆーとこね」

 ペンケースを取り出そうとカバンに手を伸ばしたら、机の端に指をぶつけてしまった。

「痛っ」

「大丈夫?」

 笹井くんはそう言い、ぶつけた方の手を大きな手で優しく包んでくれた。

「うん……」

 痛さよりも、触れた手の温もりが染みた。

 何気ない会話の途中、教室に地震のような振動が響いた。クラス全体が何かのセンサーを察知したかのように、顔をキョロキョロさせ、目で合図を送り、颯爽と席についた。

 なんだかテロリストや悪役から身を隠す、スパイやヒーローのような、しなやかで無駄のない動きに見えた。

 矢村先生がドアを開けると、緩んだ糸が一気に締まり、たるみもなく水平に保たれているような緊張感が走った。それも長くは続かず、先生が話し始めたら瞬時に解けてしまった。

 ホームルームの後、終業式が始まった。校庭には出ずに、教室のテレビで放送された。肌を刺すような陽射しに、溶けてしまいそうな気温、薄いカーテン越しの向こうはきっと別世界。きっと一〇分もしないうちに熱中症を起こしてしまう。そういうことが考慮され、夏の終業式は室内なのかと思う。

 生徒会、生活指導、校長先生と今学期を振り返り、休み中の生活態度など高校生として気を緩めないようにと話があった。

 わたしは、ここでの生活を少しでも多く感じていたくて、ひと言ひと言に耳を傾けた。いい内容かどうかなんて関係なくて、ここにいる人たちがどんなことを感じて、受け止めて、発信しているのか、自分には言えないことがたくさんあると思った。

 生徒の立場、教師の立場で捉え方は違うと思うけれど、学校生活や休みをいかに有意義なものにするか、そのために何をするべきか、それぞれよく考えが練られていた。できるかわからないけれど、まず規則正しい生活というものを送ろうと思う。

「葵さん?」 

「えっ? あっ」

「またボーッとしてたよ」

「うん。あの、なまえ……」

「俺たちもそろそろ行くか? ロカ男、葵さん」

「笹井、福居、葵さん、部活の昼休憩のときにな」

「昼休暇に何するの? あたしが見張ってないとダメじゃない?」

 仲がいいのだと思う。みんなにはよく喧嘩しているように見せているけれど、本当のところは……。

 坂戸くんと三咲さんの掛け合いを見ていると、好意があるからこそ、お互いにもどかしくてたまらない、という雰囲気が伝わってくる。

 素直になるのって難しいんだなと、尚更思えてくる。

 ふたりはこちらに挨拶をすると、三秒もしないうちに口論となり、そのまま教室を出ていった。

 喧嘩するほど仲がいい、そういうことかと納得した。

「さあ、姫参りましょう」

 右手をドアの方に誘うようにあげた。

「えっ? はい」

 少し照れる気持ちはあったけれど、何度か姫と言われている。ましてや演劇部の部員なわけだから、そろそろ福居くんと同じように、時代劇のような所作でついて行くのが本望だろうと思った。後ろでどうしようと迷うような表情で、笹井くんがこちらを見ていた。

 名前……さっきはなぜだかわからなかった。当たり前のことで、ごく普通なことだから。でも、今やっと気づくことができた。

『百彩ちゃん』

 心に彩りを添えて、華やかな気持ちになっていたと。

「絽薫くん、こっち」

「うん」

 絽薫くんは一瞬驚いたような顔を見せたけれど、笑顔で答えてくれた。

 何なんだろ? 胸の中がキュッと締め付けられるような感覚と、とろけるくらいに甘い桃と、口を歪めたくなるくらい甘酸っぱいオレンジを混ぜ合わせたような感覚、もっともっと味わいたいと全身が求めている。

 笑顔を直視できないことに気づいた、それと同時に、わたしはこの笑顔が好きなんだとも気づいた。初めて感じたこの気持ちを、恋だと知るのに時間はかからなかった。

「百彩ちゃん、福居の真似なんてしなくていいんだよ」

「そうなの?」

 終業式って通知表をもらうだけじゃなくて、こんな発見があるものなんだと、心がフルーツポンチのようにいろんな感情で弾けているようだった。



「ただいま」

 リビングに行き、母に顔を見せた。

「おかえり。何かいいことでもあったの?」

「えっ? 別に、何で?」

「何年あなたのママしてると思ってるの? その嬉しそうな声聞けばすぐわかるから」

 何のことを言っているのかわからなかった。通知表は悪くなかった、それを見せなさいってことなのかもしれない。

「通知表? まぁ、悪くはなかったよ。今見せるね」

「違うでしょ? それにあなたの通知表は見る必要ないじゃない?」

「なんで?」

 何を言いたいのかわからなかった。見たくないってことなのか、見るに足りないってことなのか、いくらなんでも厳しくない? 転入して、勉強は一からやって、自分なりに頑張ったと思っていたのに、親ってわからないものだなと悲しくなった。

「前にも言ったのに、もう忘れちゃったの? あなたは真面目で勉強はいつでもやらなくてもできてる。生活態度も問題ないし、通知表見なくても結果はわかってるから」

「ママ、ありがと」

 わたしは信用されているんだ、こんなわたしでも、こんなわたしなのに、こんなに愛してくれているんだと、胸が少し熱くなった。

「今度はどーしたの? 子どものときみたいね」

 母の肩にもたれかかった。

「だって、嬉しくて」

「じゃあ、ダブルで嬉しいことになるのね」

「ダブル?」

 何のことを言っているのかわからなかった。嬉しいこと……今日は別にいつもと変わらない過ごし方だったはず。終業式で絽薫くん……

「あっ」

 母と目が合い、そのまま見つめていた。言っていた意味がわかった気がして、自分ではどうしたらいいのかわからなかった。

「どーしたの? いいこと思い出せた?」

 にこやかに微笑みながら、料理をする姿が踊っいるように見えた。

「うん。……じゃあ着替えてくるね」

「はーい」

 駆け上がるように階段を上り、自分の部屋のドアを開け、ゆっくりと閉めた。ドアにもたれかかり心に問いかけた。

 神様、わたしはどうしたらいいの? わたしが恋をしているなんて、こんなタイミングで……

 傷つけてしまったらどうしよう。

 迷いはあった。躊躇いもあった。すべて拭えないかもしれない。

 それでも、この今の時間を目一杯歩いてみたい。たとえ、少ない時間だったとしても。

 わたしは、葵百彩。それが自分自身なんだ、しっかり受け止めようと思う。

 高校生、女子高生、青春、思春期、一度に頭の中を巡っている。一七歳はこんなにも大変なことばかりなんだと、輝かしい時間が、空一面に揺らめくオーロラを見ているような感動をくれる。

 嬉しいけれど、もどかしい。

 

 初恋は叶わないものって聞いたことがある。それでいい、きっとそのほうがいい。悲しみが残らないから。

 何も残せないんだから——。

 

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