暑さは続く、恋は続く
今日は夏休み最後の日、やり残した宿題やらは夜に集中してやれば確実に終わらせられる。そんなことよりも大事なことが、今日はある。
初デートだ。
ふたりきりで会うとなると少し緊張する。ネットでデート時の服装を調べておいて、持っているもので合わせてみる。決めすぎかな? もっとこれとあれと合わせて、なんてことをしていると、時間はギリギリだ。大慌てで家を出て、自転車を待ち合わせの公園まで走らせる。セットした髪型のことなんか、すっかり頭の中にはなかった。
ペダルを踏む足がいつもよりも軽やかで、坂道も電動アシスト自転車だっけ? と思えるくらい苦にならない。
心の中の小さな世界では、自分を中心にマーチングバンドが行進し、その横ではチアリーダーがキュートにかっこよくパフォーマンス、その向かいには応援団が声を張り上げデートを応援してくれている。まるで、野球場をコンパクトにまとめたみたいだ。最後はホームラン! ……いや、まだ早いなと、生唾を飲み込んだ。
花陽公園の入り口に、小さなバッグを手に持ち、淡いピンクのジャンパースカートにレースのノースリーブシャツ、白い肌が透けてしまいそうだ。麦わら帽子がより小顔を引き立てて、可愛さに拍車がかかる。百彩ちゃんの周りだけ暑さがなく、清々しい雰囲気が漂っているようだ。
「ごめん、お待たせ」
「絽薫くん。全然待ってないよ、楽しみでちょっと早く着いちゃったみたい」
今日最初に交わす会話から最高かよ!
こちらに向ける、少し照れたような笑顔が、身体を溶かしてしまいそうだ。甘いイチゴのシロップをかけられたかき氷のように、火照りと暑さで跡形もなくなってしまう。
「そっか、ハハハッ、俺も楽しみ」
何を言っているんだ、気の利いた言葉のひとつも言えない。
よし行こっ、と自転車を降りて歩き出した瞬間、あのときと同じ光景が見えた。祭りの日、コンコースで見たものだ。でも、それよりも鮮明で、ちょうどこの辺りだ。現実なのか幻なのか、何なのかよくわからない、またトラックが目の前を通り過ぎていった。笑っていた子どもたちの声は消えて、何もなかったかのような静けさが辺りを包み込んだ。
「絽薫くん、どーしたの?」
服の裾を引っ張られた。
「えっ? きみは……」
「デート行こっ」
ニコッと笑った顔を見て我に返った。今見えていた何かは、何事もなかったかのように、ほんの少しの違和感だけを残して、頭の中から消えていた。
「うん。ボーッとしちゃった」
手で頭を掻きながら、戯けてみせた。
森山動植物園に着いた。こんな暑い日に、本当にここでいいのかと、聞きたくなった気持ちを抑え、チケット売り場へと足を進める。どちらかと言えば子ども向けだし、アトラクションも少ないし、俺にはありがたいけれど、デートスポットとしては物足りない気もする。でも、このコスモスのように、煌びやかな笑顔を見ているとどうでもよくなった。動物も植物も嫌いではない。それに、遊園地もあるんだから一石三鳥だ。
チケットを買って中へと入る。久しぶりに来てみると、入り口付近はあまり変わった様子もなく、小学生のころ友達ときた時のことを思い出す。まずは道に沿って進み動物園を周る。
蝉時雨も聞こえる夏空の下、彼女とデート、はしゃぐ百彩ちゃんを見ているだけで、楽しくなる。
「ねぇ見た今? あくびしてたよ、あのコアラ」
「えっ? あぁ、見てた見てた。かわいいね」
「でしょ?」
純粋に、ただ楽しそうに笑う横顔を見ていると、可愛いコアラも正直なところ、目に入ってこない。百彩ちゃんばかり見てしまう。俺って少し変態なのかなと思えてくるのも、今日のところは仕方ない。デートしていることがたまらなく嬉しすぎて、いてもたってもいられない。心臓がバスケットボールのように飛び跳ねている感覚だ。もしも、ヒーロー的能力があるなら、世界中を駆け回り、この事実を大声で叫びたい。SNSで拡散されたっていい、世界で一番最高で幸せなカップルだって自慢してやりたい。
「見て見て~」
海の生き物ゾーンに行くと、手を振りペンギンのところで立ち止まった。
「どーしたの?」
「男の子同士のカップルペンギンだって」
「男の子同士?」
「そうみたい」
「そんなことあるの?」
「うん、あるんだね」
まるで、初めて動物園に来た子どものように見えてきた。間近でいろんな動物を見て、好奇心と感動で目をキラキラと輝かせ、疲れることなんて知らないかのように、気になったものに猪突猛進だ。
動物園をひと通り見終わり、販売機で飲み物を買い、少し休憩をした。ベンチに座り一息つく。
「暑いね」
「うん、大丈夫?」
「わたしは平気だよ。絽薫くんは?」
「俺も平気だよ」
照りつける陽射しが、串焼きにでもなったかのような感覚にさせる。幸いにも猛暑日ではないのが救いだ。分厚い雲が時より日差しを遮り、束の間のオアシスを味わいながら歩いた。光の透ける真っ青な空を見るたびに、心が水分補給した身体のように潤っていくのを感じていた。
でも、本当はそんなことデート中のボルテージの一〇パーセントくらいでしかない。なぜなら、暑さよりも、自分の心の方が燃え盛る炎のようで、暴走寸前の機関車だからだ。百彩ちゃんというエネルギーの源が、俺自身のエンジンの活力として全てを満たし、ブレーキを忘れてしまったかのように、常にフル回転している。
ベンチを離れ歩く先は、遊園地に繋がっている。ふたりで話し合った結果、お昼を食べた後に乗るのは危険だ、ということになり、今乗れるものに乗ることにした。
ここは小さな子どもも多く来る、そのためか絶叫マシーンと言っても大したことはない。
しかし、怖い。オバケやらなんちゃらやらも苦手だ。それに加えて絶叫マシーンも苦手だ。遊園地の雰囲気はものすごく好きなのに、中に入って楽しめるものは、ごく僅かになってしまう。予定としては、お昼ごはんを食べたせいで絶叫マシーンは乗れないね? となるはずだったのに、まさか動物園を回った先に遊園地があるなんて全く覚えていなかった。百彩ちゃんに情けないところなんて見せたくない。でも、仕方がない。一度乗ると言った言葉を男の俺が覆すことなんてできない。きっと目を瞑っていればすぐに終わる。
「ぎゃーー!」
「きゃーー!」
まず手始めにバイキングに乗った。初めはよかった、ゆったりと左右に動くだけ。これなら耐えられる、そう思っていた。それが間違いだと気づくのに時間は掛からなかった。
「バイキングって気持ちいいよね。風が顔に当たる感覚とか最高」
なんてことを吹かしていたら、あっという間に風が当たるどころか切るような感覚だ。地面と体が水平になるところまで振り上げられ、目が眩みそうになる。百彩ちゃんの喜び混じりの叫びに比べ、恐怖で叫びまくっている俺、なんて貧弱なんだろう。悟られないように、目一杯の笑顔を作る。なんて健気んだろうと自分に言い聞かせていた。そんなことを考えていないと、ダメ男のレッテルに押し潰されてしまいそうだ。
なぜか俺の膝だけが、震度5を観測していた。生唾を飲み込み、一気に立ち上がる。俺の足はただの棒、そう頭の中で唱えながらバイキングを降りた。なんとか無事に地面に足がついたところで、もう一回乗ろうと、俺よりも遥かに小さい子どもたちが、笑いながら入り口まで走っていった。横目で追いながら見ていると、笑顔で乗り込んでいく。平然と椅子に座り、無駄話をする余裕があるなんて、自分にはありえない。バイキングが動き出す、なぜか身体が身震いをした。
「どーしたの? もう一回乗りたかった?」
「えっ?」
思わず声が裏返ってしまった。
「次乗ってもいいよ」
俺の必死の演技で、絶叫マシーンが苦手なことを気付かれていないようでよかったけれど、だからと言って、もう一度乗るのは勘弁してほしい。待てよ、ここで乗るって言わなきゃ男が廃る! 百彩ちゃんに情けないところなんて見せたくない。
「うん、乗ろっか?」
軽やかに返した、決して気づかれることのないように。俺のバカやろう、心の中でそう呟いた。
「あー、楽しかったね。また来れたらいいのに」
ゲートを通り、外へと出てきた。前から夕陽が差し込み、後ろを見ると森山動植物園を照らしていた。昼間とは違い、おもむきのある風景が、一枚の大きな写真のように見えた。
「また、来よっ」
最初は子どもっぽい場所だからなと、楽しめるのか少し不安もあった。そんなことはふたりでいるなら関係ないことなんだと、心の底から気付かされた。どこにいるかじゃなくて、ふたりでいることが大切なんだ。
青空のように透き通った瞳で、二、三秒だろうか見つめられ、笑顔で「うん」と返事を返された。俺の勘違いなのかわからない、見つめられたとき、百彩ちゃんの瞳が涙で潤んでいたように感じた。
俺はすぐ妄想を広げてしまう悪い癖がある。今もまた勝手な妄想が膨らんでいく。
今日のデートがめちゃくちゃ楽しくて、もしかしたら、離れたくない、なんてことを思っているから、乙女心が涙で潤わせた、的なことあるよね?
『絽薫、今日はわたしのためにありがとう。とっても楽しかった』
『百彩のためだけじゃないよ。俺のためだってあるんだから、ありがと』
『絽薫』
『百彩』
「そんな急な……ちゅ、ちゅ」
自分の妄想に興奮してしまい、思わず声が漏れてしまった。
「んっ? どーしたの?」
「えっ? 百彩……ちゃん」
「何?」
「いや、なんでもない」
「暑いよね?」
そう言うと自分の持っているハンドタオルで俺の顔の汗を拭ってくれた。
「これで、大丈夫」
「ありがと」
突然でどう反応したらいいのかわからず、辿々しい言い方をしてしまった。
「うん」
「洗って返すよ」
「いいよ」
偶然なのか必然なのか、奇跡なのか、この立ち位置がたまたまそう見えさせたのか、茜色が百彩ちゃんを包み込み、夕焼けの中に降りたった天使のように見えた。
「きれいだ」
本当に綺麗だ。
何も考えていなかった。ただただ、百彩ちゃんに見惚れていただけなのに、今日の俺はどうかしている。百彩ちゃんの細い肩を掴み、その勢いのままキスをした。自分でも目を見開くほどに驚いた。
「あっ、あの……」
何も言葉が出てこない。こんなときになんて言えばいいのか、なんて言ったら丸く収まるのか、頭の中が真っ白で何も思いつかない。この状況にテンパるなんて情けなさすぎて、心の中の小さな世界ではうねるくらいの暑さの中、雹が降り出した、まさに青天の霹靂だ。
どうにもできない俺をよそに、百彩ちゃんは優しい微笑み見せて背伸びをした。俺の胸に手を置くと、そのまま目を閉じてキスをした。驚きで目を見開いたけれど、柔らかい唇、髪のいい香りに包まれると、自然に目を閉じ肩に手を添えていた。
数秒、いや一分、三分どれだけの間そうしていたのかわからない。心地よくていつまでもそうしていたかった。誰かに見られていたかもしれない、誰かに写メを撮られていたかもしれない。でも、そんなことは関係なかった。SNSに載せたいなら載せればいい。逆に自分たちで自慢する手間が省けたならラッキーだ。
ふたりの初めてのキスは自分たちだけの世界にいるようで、高揚が全身に波打っていた。百彩ちゃんがキスをしてきたときの驚喜は、いつまでも鮮明に覚えている。きっと忘れることはできないだろう。
「おーい、早くこっちこっち」
「ごめーん、お待たせ」
森山動植物園を出てから盆踊りをした明城公園へとやって来た。三〇分ほど掛かっただろうか、すでに辺りは薄暗い。福居昇流、坂戸輝紀、三咲凛花、新座明歩が準備万端とばかりに足で砂をいじりながら待っていた。
「しゃーねーよ、デートしてたんだって?」
「はっ? いや、まーね……」
「笹井、照れんなって」
「いや、照れてないし、ってゆーか、普通だし」
ドヤ顔で言ってしまった。別にそんなつもりはなかったのに、冷やかされていることに少し腹が立ったように感じる。
「怒んなって、なっ?」
「そーだよ。からかってるわけじゃなくて、喜んでんだから、なっ?」
「そう?」
「でっ? どーだった? チューしたんだろ?」
福居がかなり前のめりになり、左耳に口を近づけ、本当は知っているかのように不敵な笑みを浮かべ、わざとらしく聞いてきた。それに釣られ、坂戸も前のめりになりこちらに来た。
「いや、いや、それは、その、あの、なんてゆーか……した」
ものすごく小声で答えた。言っていいものなのか秘密にしとくべきなのか、親友に隠し事はすべきではないのか、考えた結果、女子に聞こえないようにと思う配慮だ。
「しゃー!」
ふたりが大声でガッツポーズを決めながら叫んだ。
「てる、うるさいよ。何叫んでんの?」
「ふくすけもここ演劇する場所じゃないんだから、時期部長が弁えなきゃね」
とりあえずごめん、悪かったなど適当に謝っていた。それから、左右から肩を組まれ男同士の友情を誓い合うかのように、応援していると言い同時に脇腹を突かれた。
花火をしながらムービーを撮ったり、写メしたり、夏の最後の思い出を楽しんだ。
手持ち花火、ネズミ花火、噴出花火、打ち上げ花火、六人だけの花火大会は最高だった。
花火を持ちながら、動画サイトでバズっているダンスをやったり、遠近法で口から花火を吹き出させたり、それを写メしてムービーを撮って、後でYouFilmに投稿してみようと話していた。
最後にみんなで集まり、線香花火をした。
「あ~あ、落ちちゃった。あたしすぐ落ちちゃうんだよね」
「俺もだよ」
「うちは最後まで見て、あっ、落ちた」
「なあ、次の線香花火で最後だろ? ひとりずつ火種が落ちるまでに今年残りの目標を言っていくってのはどう?」
「いいんじゃない?」
「わたしもいいと思う」
「で、落ちるまでに言えなかったやつは罰ゲーム」
「火つけてすぐ落ちたらどーするの?」
「そりゃ、罰ゲーム決定だろ?」
何かあるか? 今年の目標? 百彩ちゃんとはこのまま、ずっと付き合っていきたいし、この六人でこうやって集まったりしたいし、急に目標と言われても困ってしまう。演劇部は……
「じゃあ、俺から」
そういうと線香花火に火をつけた。
「中部大会突破して全国に行く! よしっ!」
「うちは秋になったらカラコン買う。やった」
「じゃあ、あたしはバドでシングル優勝! 」
「俺も秋大優勝して、全国に行く! セーフ!」
「えっ? 俺は……合発で役を取る!」
拳に力が入ってしまい、言い切る前に火種が落ちてしまった。
「セーフ」
「じゃねーし」
「最後はもっちゃんだよ。残りの今年の目標は? はい」
「わたしは、またみんなとこうして集まれたらいいな」
「うちはいつでもいいよ」
「あたしも」
「俺も」
「姫のためならどこへでも」
「俺はいつだってそばにいるから」
「……うん」
「カップル自慢したいなら後でな!」
福居に脇腹を突かれた。
「いやん、じゃなくて。罰ゲームって何?」
「そーだよな、聞いてなかった」
「あれをしてもらおーかと思って。ふたりは見てなかったし」
横目で坂戸と三咲を見ながらニヤけた顔でこちらを見てきた。何のことなのかわけが分からなかったけれど、すぐにあのときの後悔が蘇った。
「セッションセッションセンセーション!」
恥ずいけど、と言ったのがバカだった。じゃあ俺らを背中にしてやってもいいからと、優しい言葉に騙された。
大声でやった。大声でやり抜いてやった。公園に響けと、歩道まで飛んでいけと、演劇部の底力見せてやると一声入魂だと気持ちを込めた、何の意味もない言葉に。
ドヤ顔で後ろを振り返ると、砂埃が舞っていた。さっきまで六人で賑やかに花火をやっていたのが嘘だったかのように、白けた空気だけが漂っていた。自分で言うと涙が滲みそうな気分になる。
左側、二〇メートル程先を見ると、公園入り口へ向かう遊歩道を、スタスタと足並み揃えて歩いていた。
少し悔しい気持ちがあった。つまらなくて盛り下がると分かっていても、やらされたからには、絶対に目の前で見させてやりたい、見せてやるんだ! こちらが後悔した分、奴らにも後悔させてやるんだと、この気持ちを是非とも共有させたくなった。
体育のリレーのアンカーをやる気持ちで走った。そして、怒りを込めたドヤ顔で見せてやった。
「セッション! セッション! センセーション‼︎」
「ごめん」
勝った! その言葉が聞きたかった。
「でも、ちゃーんと動画に撮っといたからね。あたしが」
「マジ、ごめん。みんなマジでごめん。だから、消してくれるよね?」
「さー、どーだろ?」
夜の公園をみんなで走った。まだ、暑さの残る夏の終わり。くだらなくて、たわいもないことでどれだけでも楽しめた、笑っていられた。来年もまた、こんな夏がこの六人で過ごせると心の奥の方では予定に入っていた。もう二度と揃わないとは知らずに、勝手に分かった気でいた。
好きになったら、付き合ったら、愛を交えたら、就職したら、結婚したら、子どもができたら、そんな将来が見えていると思っていた。
壊したのは俺のせいなのか、それともきみのせいなのか、いや、本当ならここにはないはずの【今】だった。
全部は俺のためだった。
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