8月24日、彼女の誕生日に

 お邪魔しまーす。

「いらっしゃーい、どうぞ上がって」

 今日は葵百彩の誕生日だ。先日、盆踊りのときに新座明歩が聞いていたらしく、急遽、誕生日会をすることになった。ちゃんとした準備なんかはできなくて、悔しさが残る。

 こんな大切な日を聞いていなかった自分がバカだった。本当ならふたりきりで水族館やら、遊園地やらでお祝いをしたかった。でも、百彩ちゃんもみんなにお祝いをしてもらったほうがきっと嬉しいと思う。

 数日前から、ことあるごとに胸が高鳴り、顔がニヤけ、百彩ちゃんとのやり取りを想像して、頬を赤くして照れたりしていた。家族にはなんか変なものでも食べた? とまで言われるくらいに落ち着きがなかったらしい。

 プレゼントは探す時間があまりなく、三咲凛花に手伝ってもらい、なんとか選ぶことができた。

 

 入ってビックリというか、外観から驚かされた。間違えて住宅展示場にでも来てしまったかと思わされるくらい、ハイセンスな家だ。よく建て売りされている物件を見ることがあるけれど、それはそれでオシャレな外観で綺麗だと思う。悪いことなんてなく、むしろ羨ましい。

 どうやら、この家は超えている。巨匠やら匠やらそんな人にデザインをしてもらったのは間違いないし、金持ちなのも間違いない。俺、将来は逆玉の輿ってことになるのかも……今から笑いがこみ上げてくる。

 

「ロカ男、何笑ってんの?」

「えっ? いや、何でもない」

「好きな人の家に来れて、嬉しくて勃起でもしたのか?」

「はっ? お前と一緒にするなよ」

 すぐ勃つのはお前だよと、坂戸輝紀に今すぐにでも、アイドルの水着ショットを見せてやりたい。

「えっ何? ぼっ……!」

「ちょっと福居、うるさいよ!」

 いつものように、わざと大声で聞かれたくないことを言おうとした福居昇流に対し、三咲がすぐさま喝を入れた。

 軽いランニングができそうなくらい広いリビングで、男子はくつろいでいる。二階まで吹き向けになっていて、部屋の三分の二くらいのところからシースルー階段がある。その先は開放的で日射しが差し込み、こちらにはオープンな感じだ。ちょうど廊下に当たるだろうところはルーバーになっていて、そのまま二階の四方にある窓をぐるりと回り、広く取られた窓側にはカウンターとハイスツールが置いてある。きっと休日にはタブレットを片手にカフェラテを飲んでいるんだろう。

 三咲と新座はキッチンで楽しそうに話をしながら、料理の仕上げを手伝っている。この人が百彩ちゃんのお母さんかと思い見ていると、納得できる。此の親にして此の子あり、国語の時間に習ったこの言葉がそのまま当てはまる。こんなに綺麗で優しい母親から、百彩ちゃんのように天使みたいな子が生まれるのは当然だ。そうすると、きっと父親もイケメンってことだよね? 美男美女からはやっぱり美女が生まれるんだ。

「できました~」

 さすがは演劇部、包み込むような新座の声が、吹き向けまで響き渡った。

「わっ、すげー」

 テーブルにはレストランに来たかのような料理が並んでいた。見ているだけでよだれが出てくる。香ばしい匂いや、まったり濃厚なソースの香り、フレッシュなフルーツも盛られている。

「もっちゃんのお母さん神すぎる、料理習いたい」

「うちはこのラムチョップのカシスソースかけがきてる」

「カシスソース! オシャンすぎるぜ!」

「こっちはね、サーモンと野菜、豆のテリーヌのヨーグルトソースなの、こんなの食べたことない」

「俺もないよ、凛花が作れるようになったら将来、楽しみだな?」

「えっ? うん」

 ここでもイチャつくのかよ、と嫉妬まじりに呆れる。

「百彩ちゃんいっつもこんなのばっか食べてるの? レベルが違う」

「えっ? 今日は誕生日だからこんなだけど、いつもはもっと普通だよ」

「そうね、今日は百彩の誕生日だからお料理頑張っちゃった」

「うん、ありがと」

「おばさんはお邪魔だと思うからお出かけしてくるから、みんな楽しんでね。今日は来てくれてありがと」

「こちらこそありがとうございます」

「ありがとございます」

 百彩ちゃんの母親は自分がいたら存分に楽しめないだろうと、昼間は友達と出かける予定を立ててくれたらしい。家に上がったときもみんなが靴を揃えようとしていたら、お客様がそんなことしなくていいよ、私がやっておくから、さぁ、中へ入ってと笑顔で出迎えてくれた。

 もう一度言わせてほしい。

 此の親にして此の子あり。

 蛙の子は蛙とも言えるけれど、それは俺みたいな平凡な家庭に使うのかな? 


 ピカピカだ。豪華に彩られていたテーブルは、まるで洗って出されているかのように、ソース一滴も残されていない食器だけが並んでいた。少し大袈裟だったかもしれない。けれど、皿を舐め回したくなるくらい、どれもこれも今まで食べた中で一番おいしかった。

 使ったものを片し、軽く掃除などをした。

「もっちゃんごめん、ティッシュなくなっちゃったみたい。どこにある?」

「取ってくるね」

「あたしも一緒に行くよ」

 三咲と百彩ちゃんがリビングから出たのをきっかけに、忍者のごとく音を立てないように、残った四人は動き出した。

 ハックション、福居の大きなくしゃみを合図に、部屋の電気を一斉に消す。戻ってきた百彩ちゃんがキョトンとしているところに、俺は何食わぬ顔をし、ロウソクをつけたバースデーケーキを持ち、キッチンから登場した。

「ハッピバースデートゥーユー……ハッピバースデーディア百彩ちゃん……」

 フ~、息を吐きロウソクの火を消した。

「おめでと~!」

「ありがとう」

 サプライズが成功し、安堵した。電気をつけ直し、三咲が可愛くデコレーションされた箱を取り出した。

「もっちゃん、あたしたちからこれ、プレゼント」

「えっ?」

「もっちゃん、俺たちの気持ちを受け取ってくれ」

「うん、ありがと」

 …………。

 百彩ちゃんの時間ときが止まってしまったかのように、短い沈黙があった。たぶんみんな喜んでくれているか少し不安に思っていたはずだ。これくらいのもの持っているからいらないよ、なんて心の中で思っているのかな? 特に何とも思っていないのかな? 物音すらしない空間が、そんなことを頭によぎらせた。でも、その後の百彩ちゃんを見て、胸が締めつけられた。

「もっちゃん?」

 沈黙に耐えられなくなったのか、新座が声をかけた。

「えっ?」

 どこか遠くの方を見ていた百彩ちゃんが戻ってきた。

「あ、あの……」

 両手を胸の前で握り、うろたえるような表情を見せると、涙が頬をつたい零れ落ちた。

「百彩ちゃん、どーしたの?」

 目にいっぱいの涙を溜め、ポロポロと溢れていた。

「絽薫……」

 そう言うと、おれの胸に顔を埋めてありがとうありがとうと涙を流した。少し泣いてからすっきりしたのか、ゆっくりと顔をあげた。

「みんな、ごめんね。急に泣いちゃって」

「大丈夫?」

「うん」

「もっちゃんがそんなに喜んでくれるなんて思ってなかったから、こっちまで涙出てきたよ」

「凛花ありがと」

「あたしだけじゃないから、ここにいる五人からだから」 

「うん、みんなありがと。とっても嬉しい。あたしのために誕生日会を企画してくれて、プレゼントも用意してくれて」

「当たり前でしょ? うちらは友達なんだから」

「そーだよ。もっちゃんはいつめんだろ?」

「うん、わたし、ここに来てよかった。神様ありがとう」

「百彩ちゃん、もうひとついい?」

「何?」

「ちょっと待ってて」

 俺は荷物の置いてあるソファーまで行った。百彩ちゃんの涙につられ、少し目頭が熱くなっているからなのか、頬に伝わる生温いものを感じた。わからないように手で拭い、プレゼントを取ると、何とも言えぬ感情が込み上げてきた。喜び、緊張、怖さ、心の中でぶつかり合い、再び涙が零れそうになるのを必死で堪えた。

 百彩ちゃんの目の前に立った。

「本当はふたりきりになったら渡そうと思ってたんだけど」

「ロカオンやるじゃない」

「まあ……」

 やるじゃない、なんて言われるとやはり照れくさくなる。

「はい。何がいいかわかんなくて三咲に相談に乗ってもらって」

「アドバイスってとこかな?」

「ありがと」

「笹井のわりに気が利いてんじゃん」

「まあ」

「もっちゃん、開けてみたら?」

「いいの?」

「いいに決まってるぜ!」

「何だよ、その言い方」

 福居はヒーロー戦隊が好きなのか、変身のポーズのようなものを決めて言った。俺はあまり知られたくないのかもと思い、小声で聞いた。

「福居ってヒーロー戦隊的なやつ好きなの?」

「そりゃー、レッドの……いや! 違う!」

 急に大声を出した。

「ふくすけ急に大声出さないでよ」

「ごめん」

「もっちゃん、あたしたちの方から開けてみて」

「これ……」

「もっちゃん、合宿のとき言ってたじゃない? うちが使ってるボディークリーム貸してあげたら、こーゆーのほしいって」

「そーだ、あのとき貸してもらったのがすごくいい香りで」

「明歩から聞いてたから一緒に見に行ってきたんだ。この香りならもっちゃんに合ってるなって」

「ありがと、うれしい」

 百彩ちゃんはボディークリームのフタを開け、匂いを嗅いだ。

「わっ、すごくいい匂い。大人っぽい」

「どれどれ」

「うちも」

 ザッガールズトークだ。ボディークリームの匂いで、好きな俳優やアーティストが来たかのように、興奮気味に会話が進んでいる。あの空間だけ室温が一、二度高いんじゃないかと疑いたくなる。

「絽薫くん、開けていい?」

「うん、そんな大したものじゃないけどさ」

 胸が張り裂けそうなくらい、鼓動が早くなるのを感じる。開ける瞬間を見ることができない。どんな顔をされるのか、正直怖くて見たくない。

「……きれい、とってもきれい。ありがと、絽薫くん。嬉しい」

 嬉しそうな顔で、ギュッとプレゼントを抱きしめていた。

「えっ? そ、そか。気に入ってくれたならよかった」

 平然を装ってはいるけれど、心の中に小さな世界があるとしたら大騒ぎだ! 晴れた空に花火が何発も打ち上げられ、巨大クラッカーが爆音を轟かさせる。火山の噴火に、くじらが空を泳ぐ始末、頭が狂ってしまいそうなくらい歓喜に満ちている。

「これにしたんだ。もっちゃんにピッタリだね」

「迷ったんだけどね、どれにしよーか。結局、最初にこれいいなって思ったのにしたよ」

 リーフの写真立だ。リーフ全体に花を飾ってあるものではなく、右半分くらいのところまで花で装飾されていて、軽やかでナチュラルな雰囲気が百彩ちゃんには合ってると思った。胡蝶蘭、バラ、ピンポンマムなどと葉が彩りを添えて夏らしくもあり、しとやかでもある。

「ロカ男、女心を掴んだな!」

「笹井、もう一押し」

「うん」

「うんじゃないから! そう簡単に女心を掴めるなんてあまいから」

「うちもそう思うな」

 夕方までは55型の大画面で映画を見た。画面の下にサウンドバーというスピーカーがあるだけではなく、座るソファーの両サイドにも置いてある。自分の家で見るのとは大違いで、臨場感が半端なくすごかった。自分家が貧乏とは思ったことはないけれど、こんなものを見てしまうと、勝ち組って本当にあるんだなと思い知らされる。


「みんな、今日は本当にありがとう。さいしょでさいご……最高の誕生日会だった」

「もっちゃん、言い間違い」

「ごめんね」

「夜はお父さんとお母さんに祝ってもらうんだろ? いい夢見ろよ!」

「なんだよ、それ。百彩ちゃん、また」

「もっちゃん、またね」

「じゃあな」

「うん、またね」

 庭のアプローチを通り、門扉を開け道路に出ると隣に住んでいるらしき六〇代くらいの女性に声をかけられた。

「あら、こんにちは。あなたたち……」

「絽薫くん、スマホ忘れてたよ」

「えっ? マジ、ありがと」

「あら?」

 声をかけてきた女性は、少し不思議そうな顔をして首を傾げている。誕生日会で少しはしゃいでしまってうるさかったのだろうか? 何か言いたげな雰囲気があるようだった。

「おばさん、こんにちは。顔見るの久しぶりですね」

「……あら? そうね。夏休みになってからあまり顔合わせてないね。お友達と忙しいみたい。若い時はどんどん遊ばなきゃ」

「お姉さんも若いじゃないですか」

「嫌だもう、からかっちゃって。可愛いんだから」

 おばさんは福居の二の腕をベシベシと叩きながら、にこやかに笑っていた。

「いや、そんなことないっす」

「じゃあ、わたしは夕飯の準備があるからまたね」

 怒っているのかと思ったけれど、気さくないい人でよかった。家に入っていくおばさんを目で追った。

「みんな、気をつけて帰ってね」

 歩き出し、みんなが少し離れたところで百彩ちゃんに声をかけた。

「誕生日一緒に過ごせてうれしかった」

「わたしも本当にうれしかった。ありがとう」

「笹井何やってんだよ!」

「ちょっと先行ってて、すぐ追いつくから」

 気、遣いなよ。今、いい雰囲気でしょ⁉︎ と、三咲が言っているのが、うっすらと聞こえてきた。

「ここで言うのも雰囲気がなくて、ホントならもっと違う場所で言いたいんだけど、どうしても、今言わなきゃいけないっていうか、伝えなきゃ帰れない、あれっ? ホント、何言ってんだろ?」

 頭がパンクしそうだった。自分でもよくわからない。なぜだか、今ここで百彩ちゃんに気持ちを伝えたくなったのだから。そんなつもりで来ていたわけではないのに、急に気持ちが高ぶってきた。

「ろか……くん」

 百彩ちゃんの発したか細い声は、風に流されて俺には聞こえてこなかった。

「あー! かっこいい言い方とか考えてたんだけど、思いつかなくて、ごめん。普通に言うよ。……俺、百彩ちゃんのことが好きだ」

 やっと言えた。やっと、まともに好きだって告白することができた。

「俺と……」

「わたしも絽薫くんのことが好き」

 不意打ちだ。

 全身で巨大な大砲を食らったような感覚だ。一瞬、いや、数秒俺の中で時間ときが止まったようだった。

「えっ? 百彩ちゃん?」

 情けない。嬉しいのに、嬉しすぎて驚愕してしまい、何も考えられない。

「わたしの彼氏になってくれませんか?」

「えっ? いや、は、はい。こちらこそよろしくお願いします」

 勢いでお辞儀をして、そのまま顔を上げると百彩ちゃんと目が合った。心臓が口から飛び出しそうだ。今まで感じたことのない高揚感が、電流のように全身を駆け巡り、感電したかのようだった。

「ありがとう」

 そう言うと、門扉を開け、俺の胸に飛び込んできた。頭の中がパニックでどうしたらいいかわからなくて、身体が硬直するように身動きが取れない。

「笹井、抱きしめろ!」

 少し遠くから、たぶん坂戸だろう、声が聞こえた。その一声で、俺の中で止まっていた思考回路がエンジンを吹き返し、動き出した。

「百彩ちゃん」

 ギュッと抱きしめた。初めて感じた、百彩ちゃんの華奢な体。もう離さないと心で誓った。

「絽薫くん、ありがとう。わたしのわがままに付き合ってくれて」

 こっちを向く百彩ちゃんの顔が、涙で濡れていた。女の子の涙を見るとたまらなく、胸が締め付けられる。俺といるときは、ずっと笑顔で入れるようにしたい。泣かなくていいように、俺がいつでも側にいてあげよう、俺がこうやって抱きしめてあげよう、そう思った。

「百彩ちゃん、泣かないで。わがままなんかじゃないよ。人を好きになることはステキなことだから。俺、百彩ちゃんが泣かなくていいように、いい男になってくから。これからよろしくお願いします」

「……うん」

 はにかんだ笑顔がかわいかった。

 ずっとずっとこうしていたかった。

 人を好きになるって、こんなにも幸せだなんて思わなかった。初恋ってわけではないけれど、初恋以上に最高だ。



「ただいま~!」

 気分がよかった。いつもなら言うか言わないかわからないのに、演劇部での腹式練習をフルに使って声を出していた。

「おかえり~!」

 同じように大声で、磨都がリビングから返事をした。一度自分の部屋に行き、持っていたバッグを置き、キッチンへと向かった。鼻歌を交えながら手洗いうがいをしていたら、母親が料理をしながら話しかけてきた。

「何なの? アゲアゲだね」

「アゲ? 何それ、古いよ」

「子どものくせに何言ってくれてんの?」

「はいはい」

「何だよ、兄ちゃん。彼女でもできた?」

「えっ? それ聞く?」

 わざとらしい困った顔で答える。

「いやだ、今度うちに連れてきなよ。お母さんが話してあげるから」

 油のついたフライ返しを振り回しながら挑発的に言ってきた。

「はっ? 嫌だよ。何で百彩ちゃんを、会わせたくないよ。って油飛んでるから」

 手の甲に飛ばされた油を洗い流した。

「兄ちゃん、照れるなって」

「えっ? 何? もあちゃんって言った」

「うん」

 何か聞かれるのかと、怪訝な顔を向けた。

「あっ、今日、二四日だよね? モアちゃんの命日じゃない?」

「はっ? 何言ってんの? 息子の彼女が嫌だからって殺すなよ!」

 怒りを覚えた。いくら母親でも言っていいことと悪いことがある。

「何、怒ってんだよ兄ちゃん」

「お前は黙ってろよ!」

 怒りが爆発しそうで、掴んでいたタオルを投げ捨てキッチンを出ようとした。

「あんたの彼女じゃない! あんたこそ嬉しいことがあったからって大事なこと忘れてんでしょ!」

 投げ捨てたタオルを顔面に投げつけられた。

「はっ⁉︎ 何が大事だよ!」

「あんたに取ってめちゃくちゃ大事なことでしょ? 毎年欠かさずにお線香上げてるのに」

「はっ?……」

 お線香という言葉で、頭の中で霧が晴れるかのようにモアのことを思い出した。今まで忘れていた自分に、腹が立った。

「あっ、そうだ。モア」

 急いで祖父母の部屋へと向かった。仏壇の下から線香とマッチを取り出し、サンダルを履き、裏庭に出た。

 掌大くらいの大きさの石に、モアちゃんのお墓と彫ってある。錐を使い、硬い石を何度も削ったことを覚えている。子どものとき、子猫を拾い、自分の不注意で死なせてしまった。そのことがずっと頭に残っていた。何をしていても誰かと話していても、笑っていても、泣いていても頭の片隅に絶対にいた。忘れないことがせめてもの償いだと思いたかったから。

 それがこの夏は忘れていた。部活や友達、好きな人に浮かれていたからだろう。

 線香にマッチで火をつけてお墓の前に置いた。目を瞑り手を合わせた。

 モア忘れててごめんね。今までやっていたサッカーから離れて、初めて演劇の大会だったり、慣れないことを一生懸命やっていたんだ。新しい仲間に、好きな人が彼女になって……言い訳ばかりで本当にごめんね。ズルイなって思う。俺のせいでモアが死んでしまったのに、俺だけ楽しんで……ごめんね。

 涙が溢れてきた。頬を伝い地面に落ちていく。

 一緒の名前なんだよ。

 モアへの思いがあるからなのか、神様の悪戯なのか、考えてもわからない。偶然ってあるんだなとしか言えない。

 今日、彼女になった大好きな子の名前が、百彩なんだ、と笑ってみせた。初めて見たときのこと、合宿でのこと彼女への思いを話した。

 もう二度と忘れない、また来るね。そう言い手を合わせて家に入った。

 

 今日は晴れだった、あの日とは違って。

 あの日もこんな晴れだったらきっと違っていた。

 神様か……

 リビングの窓際に座り、空を見上げながらそんなことを思った。

 

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