演劇部

 苦しかったテストからやっと解放された。この四日間学校から帰ってくると、部屋に閉じこもり机に向かい、ひたすら教科書とノート、プリントを何度も見直して問題集をやりまくっていた。少し、言い過ぎかもしれないけれど、気持ち的にはそれくらい勉強をしていた。たまに、ごく稀に、スマホでSNSを見たり、ゲームをしたり、動画を見たり、ROWをしたり、百彩ちゃんのことを考えたり、そんなこともあったと思う。一概には言えないが、息抜きは誰にでも必要なときがあるはずだ。

 ROWはトークアプリで、それ以外にも無料通話や動画をアップしたり、コード支払いなど様々な機能がある。

 俺の通う山吹原高校は、テスト休みがなく、次の日から授業が始まる。もちろん、通常の時間割とは異なり、一限から四限までの短縮授業となる。夏休みすぐに、大会を控える演劇部としては、申し分ない。


 久しぶりの演劇部、福居とふたりで部室に顔を出した。そこにはすでに、マンガを読んだり、ポテチを食べたり、バカ話をする先輩たちがいた。

「おはようございます」

「おはようございます」

「テストどうだった? 追試とか無しな」

「何言ってんすか? 大山パイセンじゃないんすよ、あるわけないっすよ」

 大山先輩の問いかけに調子良く答えたのは福居だった。けれど、本人を目の前に悪口を言う物ではない。

 二年前、大山先輩が一年の中で唯一キャストに選ばれた、しかもメインキャストにだ。そのせいで気合が入りすぎていたんだろう、練習を言い訳にテスト勉強を怠ったせいで、三科目も追試になってしまった。追試が終わるまでの一週間は半日しか練習に参加できなくなり、泣きながらこの役をやらせてくださいと頼んだらしいと、もっぱらの噂だ。

「お前、よく言えるな? 後で裏な」

「いや、何言ってんすか? 冗談すよ。なっ?」

 笑いながら言う福居に大山先輩の目は冷ややかだった。あんな目をされたらここにいられない。

「えっ? いや、冗談すよ。ホントにホントに……すいません!」

 笑いのない先輩たちを見て、少し怖くなったのか、深々と頭を下げた。何も言っていない俺まで、焦ってしまう。何もできずに、何も言えずに、ゴクリと生ツバを飲み込んだ。その瞬間、笑いが起きた。

「勘弁してくださいよ。マジでビビりましたよ」

 福居はホッと一息つくように、深いため息をはいた。

「じゃあ、先、外周行ってます」

 二年になってから演劇部に入った俺は、先輩たちのペースがまだわからずに、距離感がイマイチ掴み切れていない。誰とでもすぐ打ち解ける福居と違い、俺はどちらかというと人見知りだから、どの程度遠慮をしなくてもいいのか考えてしまう。サッカーをしていたときは、体を動かしながら相手を見て、どんなタイプなのか考えたり、どうしても素をさらけ出してしまう場面が多々あるせいか、比較的早く馴染めていた。

 ならなぜ、今演劇部にいるのか?

 それは、一年生の秋、サッカーの練習試合中、怪我をしたからだ。今までのようにサッカーをする、言ってしまえば、今までのように運動をすることができなくなってしまったのだ。全くできないわけではなく、体育の授業など問題はないが、選手となって活躍するというのは、足に負担がかかり難しいらしい。

 もともとサッカーが好きだった。だから、中学入学と同時にサッカー部に入り、三年生の時にはキャプテン、部長というポジションも任されていた。高校生活これからは、練習で汗をかいて、試合で活躍したり、彼女に応援しにきてもらったり、青春を謳歌するはずだった。それなのに、あの日の、あのたった一度の怪我で、全てが打ち砕かれた。

 言われたことがある、◯◯クラブに入らないか? と。俺はすぐには答えを出せなかった。プロの選手になりたいのか自分でもわからなかったからだ。好きなことを仕事にできるのなら、それに越したことはない。

 今、この瞬間ときが楽しかった。部活でワイワイしながら、ときにはふざけあって馬鹿をして、一緒に怒られて、そんな些細なことを大切にしたかった。クラブに入ったとしても、同じようなことはあるかもしれない。でも、それを仕事にするなら甘えなんて許されないし、簡単に引き返すこともできない。ダメなことがあるならみんなで埋めればいい、なんてこともあるはずない。ダメならできるまでやらなくちゃいけない。

 しつこく誘いが来るので、渋々見学に行ったことがある。クラブ生たちの瞳を見て、やはり俺は違うんだと気づいた。だから、断った。もったいないと言われたけれど、自分の未来はそこにないと思った。ただ、がむしゃらにサッカーをしたかっただけだから。

 少し自暴自棄になった。今まで何も考えずにやっていたことが馬鹿らしくなり、家を出て学校に行かず、電車に揺られたまま一日を過ごした日もあった。学校に行ったとしても保健室で寝ていたりと、何かをする意欲なんて湧くはずもなかった。そのまま学校を辞めようとも思ったけれど、親に反対され渋々行くだけの日々だった。それでも進級し二年になり、目標もない、サッカーもない、ダルいだけの毎日を過ごしていた。

 そんな時、バカみたいに声をかけてきたのが、二年から同じクラスになった福居だった。初めは俺のことが好きなのかな? もしかして、こいつってゲイなのかな? って不信感しかなかった。あまりにもボディタッチが多いし、馴々しく話してくるし、どうしたらいいのかと、正直困り果てていた。別に同性愛者が嫌いなわけではないし、いいと思う。ただ、俺は女子が好きだから、同性にアプローチされても応えることができない。

そう思っていたある日の放課後、体育館裏に福居を呼び出した。誰もいないところの方がデリケートな問題だし、話しやすいと思ったから。そこでまず口を開いたのは俺だ。



『あの、俺、福居くんのこと……』

 この言い方だと、俺が福居のことを好きだと言っているようにも取れる。このときはそんなこと微塵も思っていなかった。だから、そのまま言葉を続けようとした。もちろん、好きというわけではなくて、嫌いでもなくて、これからの高校生活をお互いに居心地良くするために、やんわりと断ろうとしていた。けれど、先手を打たれた。

『ロカ男、ごめん。俺がもしかしたら勘違いさせちゃったのかもな』

 少し、台詞じみた言い回しだった。俺の唇に人差し指を置いて、顔を左右に振った。まるで、少し待ってくれ俺の話を聞いてくれ、とでも言っているかのようだった。

『いや……』

『お前の言いたいことはわかってる。こんなとこに呼び出して』

『いや……』

 福居は塀の前にいた俺に壁ドンをした。ヤバい、これってドラマやアニメで見るあれだ。違うんだよ。俺は……俺は違うんだと心の中で叫んでいたけれど、竦んでしまい目を瞑ってしまった。

『ロカ男、俺は、お前のことが、す、す、好きだけど』

『ごめんなさい!』

『はあぁ~~⁉︎』

 少し怒っているような驚いているような、そんな複雑な表情に見えた。

『いや、何勝手に断ってんの?』

『えっ? だ、だって俺は、俺は女子が好きだから、その福居くんの思いには答えられないっていうか……』

『……えっ、ちょっと待ってよ。ロカ男が俺のこと好きなんじゃないの?』

『はあっ? 何でそうなるわけ? 俺は普段の福居くんの様子から、俺のことが好きなんじゃないかって思って』

『いや、そーゆーのじゃなくない?』

『はっ? じゃあ、どーゆーの?』

 なんだかふたりの間で食い違いがあるようで、話が進まない。

『普通さ、こういうところに男子を呼び出すのって女子が告るときだろ? だから、実は俺のこと好きなんじゃないかって』

『普通はね。たださ、人にとってはデリケートな問題でもあるわけだし、誰にも聞かれないところと思って』

『ほら、やっぱり誰にも聞かれないところで告るつもりだったんだろ?』

 苦笑いなのか、口元が少し笑っているように見えた。

『なんで? 誰もいないところで、俺はゲイじゃないから福居くんとは付き合えないって断ろうと思って。でも、俺はそーゆー人嫌いなわけじゃないし、同じクラスなんだから仲良くやろうよって言いたかっただけだよ』

『へっ? そーなんだ。俺はロカ男がさ、もしかしたら? って思って。だからちゃんと言わなきゃなってさ』

『言わなきゃって、何?』

『……ロカ男さ、サッカーできなくなって、物足りないなら、他のことでもやってみないかって』

『他のことってか、普通の人? ストレート?』

『普通って、そりゃ普通だよ』

『だってボディタッチ多くない? だから、もしかしたら男が好きなのかなって』

『えっ? ……いやいや、なんでそーなんだよ? 俺はただ純粋にロカ男を演劇部に誘いたかっただけだよ』

 一瞬、躊躇うかのような表情を見せ、言葉に詰まったようにも見えたが、さりげなく部活への勧誘をしてきた。

『はっ⁉︎ なんで? 俺、演技なんてできないし』

『誰でも初めはそーだよ。でもロカ男ってさイケメンってかキャワメン? だろ? 身長だって高すぎず低すぎずいい感じじゃん』

『あ、ありがとう』

『だからさ、演劇部にはちょうどいいと思ったんだよ!』

『へー、そっか』

 思ってもないことで、嬉しいは嬉しい。けれど、演劇って言葉すら頭の中から消えているくらい、予想できなかった。

『なんだよ? その連れない返事は。さては演劇部を、ただの文化部って思ってない?』

『ただのっていうか。俺は体動かすのが好きだったから、演劇って性に合わないかな』

『なめてんな。完全になめてんな』

『いや、そーゆーわけじゃ』

『ロカ男、別に走れないわけじゃないんだよな? ランニングならいけるよな?』

 そういうと、ブレザーの襟を掴まれ強引にどこかへと連れて行かれた。体育館裏を半周して着いたのは演劇部の部室だった。コンコンとノックしてドアを開けると、四人の男子達がいた。ブレザーの紋章の枠の部分を見ると青色だった。

 先輩だ。

 今は三年生は青色、二年生は黄色、一年生は赤色、学年ごとに色が決まっていて体操着のゼッケンやシューズのソール部分が色分けされている。

『おはようございます!』

『おはよう。んっ? あれっ? サッカー部の子だよね? どうしたの?』

『サッカー部はとっくに辞めました! 入部希望らしいんで、とりあえず見学のため連れてきました! 練習場にカバン置いて外周行ってきます!』

『りょ。 俺らも後で行くから』

『じゃあ、先行ってます』

 目が点になるってこのことだなと思った。福居は俺に何も言わず、勝手に入部やら見学やらすると、先輩達に言ってしまった。壁ドンの次は詐欺? 一言も演劇部には入るなんて言っていないのに、どういうつもりなのか、訳がわからなかった。俺は襟を握っている福居くんの手を掴み振り払った。

『ちょっと待った! 俺、演劇部入りたいなんて一言も言ってないよ』

『何言ってんだよ。 ロカ男はもう演劇部の一員だから』

『はっ? 意味わかんない。帰る』

 俺は校門の方を向き、歩き出した。阻止でもしようというのか、福居くんが両手を広げて前を塞いだ。塞いでも狭い道を歩いているわけじゃない、いくらでもすり抜けられる。

『なあ、ロカ男。演劇部ってただ台本読んで、それを演じてる、体力だっていらない、筋トレやそなへんの努力なんてしなくていいって、どうせ思ってんだろ?』

『それが何? 俺の勝手じゃん? だいたい福居くんの言った通りだと思ってるけど』

『やっぱり、なめてんな』

『言い方悪くなったらそーかもね』

 なんだかいちいち突っかかってくる福居くんに苛立ってしまい、いつもなら穏やかに済まそうと思うだろう。しかし、この時はムキになってしまった。

『なんだよ、お前。ちゃんと言えるんだ』

『言えるって、悪い?』

『悪くない』

 言葉がかぶるくらいに早く答えてきた。本当に意味が分からなくて、何がしたいのか分からない。余計に苛立ちが増してくる。

『何がしたいかわかんないよ!』

『俺たちの練習を見てほしい。それで嫌ならやらなくていい。ダメか?』

『えっ?……』

 喧嘩腰な俺に対して、素直な表情でそんなことを言われると、拍子抜けしてしまい、断ることなんてできなくなる。

『……わかったよ』

『よし、じゃあとりあえず練習場な』

 そう言って練習場に案内されて、部員と合流したところに、先輩達もすぐにやってきた。そのまま学校の周りを二周走って、校門から練習場までの間、温まった体で声出しをするらしく、それも流れのままやった。練習場に着けば、柔軟を始めたり、多少の筋トレもした。久しぶりに体を動かし、気分がよかった。

 演技するだけなのに、こんなことする必要あるの? と思っていた。舞台の上でサッカーしたり、ラグビーしたり、そんな運動をするわけでもないのに、何で運動部と同じような練習前のトレーニングをしているのかわからなかった。少し休憩を挟み、エチュードというものをやった。初めは先輩たちと二年生の六人でやるのを見せてもらった。福居もその中に入っている。

 ポカーンッと開いた口が塞がらなかった。台本ないんだよね? 場所以外何も決めてなかったよね? なのに何で台詞がすらすら出てきて、しかも、話がうまく進んでいくんだろう。アドリブだなんて全く信じられなかった。ひとつの物語を見たようだった。

 自分にもやる番が回ってきたけれど、特に何もできず、話に頷くことしかできなかった。



「そーいえばロカ男ってさ、初めて俺が演劇部、連れてきたとき……」

「んっ? 連れてきたとき?」

 外周を走る前に、いつものようにどうでもいい話をしながら、少し屈伸をしたり、アキレス腱を伸ばしたりと柔軟体操をしている。

「いや、今はさ、いいけどさ、こいつもしかしたらダイコンかもしれないって思ったよね? 俺の目利きが間違ってたかもって」

「はっ? いきなり何?」

 大根役者ってこと? 初めてのときってできなくもて仕方ない的なこと言っていたような……そんなひどかったかな? 福居は半分笑いながら、少しバカにしているのかもしれないけれど、悪びれた様子もなく言った。

「だから、見た目だけかな? って所詮運動バカだったのかって。 ごめんな!」

 少し腹が立ち苛立ってしまう、謝られたって。ニヤついているんだから、悪いだなんて思っていない、絶対に。顔の前で手を重ねて祈るようなポーズをしている。力一杯その手を掴み離そうとしたけれど、福居も力一杯祈るポーズをやめようとしない。

「あっ!」

 突然、福居が大きな声を出した。その声に気を取られて握る手の力が緩んだ。その一瞬の間に、校門を出て先に行ってしまった。それを追いかけ、捕まえようと福居の襟を掴むと、ふたりとものバランスが崩れ足が絡まり、その場に倒れてしまった。膝や手を打ち、痛かった。でも、お互いの顔が近くて目が合うとバカらしくなり、一緒に大笑いをした。湿ったアスファルトが火照った体にひんやりと癒しをくれた。目を閉じてみた……楽しい。そう思った。

 福居のおかげだ。お調子者だけど、人のことをよく見ていて、言わなくちゃいけないことは言うし、気遣いをしてくれる。本当にいいやつだ。

 演劇部に入ってよかった。

 怪我をしたことを後悔しなくなっていた。

 何をするにも一生懸命できることが嬉しかった。


 外周が終わり、いつも通り、声出しをしながら練習場へ向かってると、校舎と体育館などをつなぐ外の渡り廊下に、学級委員の茶谷織人と葵百彩がいた。なんだか楽しそうに話をしながら歩いている。

 興味本位で……別に盗み聞きしようなん微塵も思っていない。本当に単なる興味本位だ。どんな会話をしているのか、どんな表情をしているのか、気になっているだけのこと。

 渡り廊下のフェンス越しに見つからないように顔と耳を近づけた。

「今日はごめんね、手伝わせちゃって」

「そんな気にしないで。わたし、こういうことしたことないから楽しかった」

「葵さんって前の学校で、学級委員とか生徒会やってなかったの?」

「やってなかったの。だからいつでも言ってほしいな、わたしでよければ手伝いたいから」

 ……えっ? そんなこと言うの? となんだか心が衝撃を受けてひび割れていくようだ。甘い匂いに惹き寄せられて、気がつけばバラバラに崩れていくような、そんな繊細な飴細工のようだ。

「いやー、お似合いだわー」

「はっ?」

 不意に言ってしまった本音を、口が滑りました的にごまかそうとしているのがダダ漏れで、怒り混じりの声が出た。

「あっ、いや、見た目な見た目」

「どーゆーこと?」

「いや、し、しずかに、前通るから」

 息を潜めて通り過ぎるのを待った。室内に消えていく後ろ姿を、アピールするかのように哀愁を漂わせながら見ていた。

「俺、諦めるべき?」

 ヘディングをするような勢いで、福居を見た。瞬発力がいいのか、すかさず避けるように体をくねらせた。

「恋はまだわかんねーよ! ただ御茶谷のスペックはかなり高いからな。頭もよくて、爽やかで、身長も俺の次にでかい」

「……好きな人いますは幻だったの?」

「いや……」

「手握って離さなかったよね? 俺かなり頑張ったよね?」

「よーし、ロカ男。よーしよしよし」

 福居は走り出しそうな馬を落ち着かせるように、どうどうどうと口にはしないけれど、手を前に出しやんわりと上下させた。

「はあー」

 深いため息を吐いた。初めて、サッカーしかまともにやってこなかったことに、後悔をした。

 今の俺には何があるのかわからない。茶谷や真面のように、頭が良くて生徒会やら、学年一位の成績なわけでもない。ルックスは……負けてないと自負している。そこは両親に感謝したい。でも、それだけでは勝てない!

 福居を睨みつけた。今の俺のスペックを上げるには、こいつの指導力にかかっている!

「何だよ? どーした?」

俺の目の前で片手を振って、視線を逸らそうとしているようだ。

 福居の肩を掴み、指に力を入れる。

「お前に、お前に、かかってるんだよ。キャストになれるくらいしごいてくれるよな?」

 アニメなら顔、いや、画面いっぱいに怒りマークが何個も浮き出ているような、凄みのある表情をしていると思う。

「い、いたい。わかったってわかったから。一旦、落ち着こうか?」

 かなり深く深呼吸をさせられ、少し、落ち着きを取り戻した。ちょうど外周を終えた先輩達に合流して発声をしながら、練習場へと向かった。



 



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