第4話

 倒れている異形の【獣性ラック】、その上に倒れている俺。

 さっきまで俺のそばにいたはずの【溶欠ファージ】は大きく後ろへ下がっていた。

 だが、まだ銃弾の範囲内だ。

 男子高生二人は【溶欠ファージ】から俺たちを守るように立ち塞がっていた。


「退いてください。今は公務の最中です。邪魔をするなら公務執行妨害で逮捕しましよ?」

「うるさい。なにが公務だ。それならば協定を守れ」


 【溶欠ファージ】の言葉にも引かない。

 どうやら『協定』というものがあれば、俺たちを守ることができる……んだろうか。

 【獣性ラック】でも殺されなくていい。

 そういうものがあるんだろうか……。


「起きろ」


 男子高生の一人が俺を助け起こす。

 黒い髪に切れ長の黒い瞳。色白で、きれいな顔をしていた。こんな場面じゃなければ、モデルや俳優だと思っただろう。


「どうします?」


 【溶欠ファージ】の一人が指示を仰ぐ。

 すると、もう一人は俺をじっと見やった。


「お前らと違い、そいつには識別の首輪がない。ただの【獣性ラック】と変わらないはずだ」


 言葉には殺気がある。

 俺がこうして助けられることを望んでいなかったようだ。

 【溶欠ファージ】の二人の銃口は俺を向いていて、いつでも俺を撃てる。

 だが、その言葉を遮るように、明るい声が続いた。


「まあね~? でも、ボクたちがここに来たからにはわかるでしょ? 彼は制御できてる。ボクたちと同じように首輪を得ることができるんだよ」


 俺を庇うように立つ男子高生の髪は金色。目は青色だった。緊迫した現場にも関わらず、あはっと笑っている。

 そして、見せつけるように首元へと指を差した。そこにあるのは……チョーカーだろうか。

 話をしていた【溶欠ファージ】はそれを見て、忌々しそうに舌打ちをした。


「……チッ」


 ギロッと睨んだが、男子高生二人はまったく気にしない。

 すると、もう一人の【溶欠ファージ】は「うんうん」と呟くと、銃口を俺から倒れている【獣性ラック】へと向けた。


「わかりました。つまり二体目の【獣性ラック】は残すんですね。では、一体目の【獣性ラック】は処分します」

「え……?」


 思わず声が漏れる。

 話の流れはわからないが、たぶん、俺は助かったのだろう。

 男子高生二人はどうやら俺を助けに来てくれたらしい。それも、【獣性ラック】だとわかった上で。

 なのに、二人は倒れている【獣性ラック】を助ける気はないようで、俺を倒れている【獣性ラック】から引き離す。


「な、んで……。こいつも、俺と同じ、……同じ高校生なんだ。た、すけて……やって」


 掠れる声で、俺を助け起こした男子高生を見る。

 俺を助けられるなら、コイツだって助けることができるはずだ。

 だが、黒髪の男子高生は、俺の言葉に首を横に振った。


「……無理だ」

「な、んでっ」


 非情な宣告に、俺は声を荒げる。

 同じ……なんだ。俺とこいつは。だから……!


「【獣性ラック】は駆除する」

「はい。二体目は運が良かったですね。人間の姿と知能を保て、しかもこうして迎えが来ました」

「……迎えなどいらなかった。どこから情報が漏れた?」

「うーん。ちゃんと情報統制したんですが」


 【溶欠ファージ】が首を傾げると、金髪の男子高生があははっと笑う。


「あ~あれで情報統制したつもり? ボクの手にかかればあんな暗号ちょちょいのちょいだよ。わたあめぐらいフワフワのロックだったなぁ~」

「……くそ犬が」

「え~公務員がそういうこと言っていいのぉ? ボクたちもちゃんと政府に認められてますけど?」

「……行け。次に首輪がない犬がいたら、殺す」


 金髪の男子高生はその言葉にあははっと笑って返し、俺へと視線を向けた。


「重傷だね。早く治そう。君が死ぬ前でよかった」

「ああ……行こう」


 黒髪の男子高生も頷き、俺に肩を回して、歩き出そうとする。


「ま、って、……なんで、俺はよくて、アイツはだめなんだ。なんで……?」

「……暴走した【獣性ラック】は人間には戻れない。……そして、【溶欠ファージ】は【獣性ラック】の起こした事件を解決するのが仕事だ」


 そんなこと俺も知っている。

 【獣性ラック】は見つかれば殺される。

 そう思って、ずっと普通の人間のフリをしていたのだから。

 でも、俺は今、助けられた。

 理由はなんだ? アイツと俺の違い。それは――


「……あ、いつが、人間の姿に戻れば、いいのか?」


 ――人間の姿をしているかどうか。

 もし、もしそうなら……。

 俺の質問に黒髪の男子高生は苦しそうに眉間に皺を寄せた。


「――二度と、戻れない」


 低く重い声。

 ……助けたくないわけではない。どうしようもないことなのだとその表情を見ればわかる。だが……。


「……俺は、……戻れた」

「あ?」

「俺はおかしくなった体を戻せたんだ。思い出せた。……アイツももしかしたら……っ!」


 膝とアキレス腱、背中の銃創もすでに治った。

 骨が突き刺さった肺は治ってはいないが、あとで直せば問題ない。

 俺は黒髪の男子高生の手を払うと、倒れている【獣性ラック】の元へ跳び寄った。


「おいっ! お前!」

「あぶないよ~?」


 男子高生二人の声を背に、気にせず倒れている【獣性ラック】へと語りかける。


「おい、まだ生き、てるよな。……思い出せ。思い出せ、自分の姿を」

「グウゥ……」


 俺のものかコイツのものかはわからない血で、赤く染まった体。

 胸に手を当て、顔をこちらへ向けた。


「俺、は、覚えている。お前のこと……」


 電車で見た一瞬。

 記憶を頼りに、伝えていく。


「お前は高校生。今朝は電車に乗って登校していた。身長は……160cmぐらいで、髪はこげ茶色。筋肉はついてなくて、黒縁の眼鏡だった」

「ウグ……う、うあ……」

「そうだ。思い出せ。思い出すだけだ。お前はこんな姿じゃなかった。こんな力はなかった。……普通の、高校生だった」

「あ……そう、ぼ……く……」


 異形が一度ドクンッと震えた。

 最初に電車で変化したときと同じように突然。そして、あっという間に体がみるみる縮んでいく。

 ――まるで、元の細胞に戻るかのように。


「嘘だろ……」

「わあ~。やる~ぅ!」


 背後から聞こえる声にも振り向かない。

 俺は目の前の【獣性ラック】に集中していた。

 黒髪の男子高生は「二度と戻れない」と言った。だが、俺は五歳のとき、一度は人間の姿を失くしたのだ。

 異形になった【獣性ラック】と同じように、明らかに人間とは別のものになった。けれど、金庫を破壊し、家を破壊したあと、『思い出した』のだ。――自分の姿を。

 だから、コイツもそれができれば元に戻れると思った。

 そして、今、それがうまくいっている。

 きっと、みな【獣性ラック】が発現したとき、自分の姿を忘れてしまうのだ。だから、こうして思い出せば……!


「やめろ!!」

「撃ちます」


 ――聞こえたのは銃声。


「な、……んで……っ」


 また背中に痛みと衝撃が走る。

 痛いだけ。俺はなんとかなるが、人間に戻った男子高生は、今度こそ本当に死んでしまうかもしれない。

 男子高生の胸から手を離し、振り向く。

 そこには銃口を向ける【溶欠ファージ】がいた。そして、また銃が撃たれ――


「させない。影犬、いけ!!」


 ――銃が撃たれる瞬間、【溶欠ファージ】の手元に黒い影が舞った。

 あれは……犬……?


「ナイス、零有れいゆう! ほら、君もぼーっとしてないで、走って! 今度は君も見逃してくれないかもしれない!」

「え?」

「早く!!」


 金髪の男子高生が、倒れていた男子高生を肩に担ぎ、俺の手を取った。

 そして、まっすぐに走る。

 一見すると、そんなに力があるように見えないが、その身体能力は人間のものではなくて……。


「逃げるな! 二体目の【獣性ラック】を捕らえる!!」

「わぁ、すみません! 銃を取られてしまいました!」

「くそ犬め……っ」


 【溶欠ファージ】の二人が悔しそうに声を上げる。

 その声に一瞬、振り返ると、【溶欠ファージ】は爛々とした目で俺を見ていて――


「二体目の【獣性ラック】……! お前は必ず捕まえる。必ずだ!!」


 これまでと違う雰囲気に背筋にぞくぞくと寒気が走った。

 思わず、立ち止まりそうになると、だれかが俺の肩に手を当てる。


「どうした? 傷が痛むのか?」

「え……あ?」


 驚きに声が漏れる。

 だって、俺は今、全速力で走っている。そんな俺に追いついて、肩を並べるなんて……そんなことありえない。そんな人間なんているわけがないのだ。

 ただ、今は逃げるのが先決だろう。

 金髪の男子高生についていけば、人に会うこともなく、どこかのビルの前で立ち止まった。

 どうやら地下へ続く道があるようで、電子端末を操作すると、扉が開く。

 そこへ入れば、普通の住居のようになっていて、二人はリビングのような場所ではぁと息を吐いた。

 これは……一体……。


「あ~こういうときのためにね、隠れ家がいくつかあるんだよ。ここはそのうちの一つ。血とか汚れとか気にしなくていいよ。そういう場所だから」

「気にせず、好きな場所で休め」

「あ……ああ……」

「ボクは彼を寝かせて、研究所に連絡とって迎えに来てもらうね~。あー疲れた~」


 そう言うと、隣の寝室に男子高生を寝かした。

 そして、そのまま俺の背後に回る。


「あ、アイツは?」

「意識はないけど、心拍、呼吸ともに問題なし。人間の姿に戻るときにケガも治っちゃったみたいだねぇ。ボクたちがここでできることはなさそうだし、あとは研究所に戻ってからかな」

「そっか……」


 どうやら、男子高生は命の危機にあるとかの状態ではないようだ。

 ほっと息を吐くと、金髪の男子高生がまじまじと俺を見た。


「君もケガの手当とかしたほうがいいかと思ったけど、もう大丈夫そうだね~?」

「あ、自分でできる」

「っぽいね~。あ、じゃあとりあえず、そこに座って話そうか。ちゃんとした話は研究所からあると思うけど、先に聞いときたいよねぇ」


 金髪の男子高生が俺をほら、とソファへと座らせ、自分自身はその隣へと座った。

 どうやら、聞きたいことを聞いていいようだ。

 それならば、最初に聞きたいことは決まっている。


「……二人は、どうして、そんな力がある?」


 【獣性ラック】である俺を助けに来た。

 そして、【獣性ラック】である俺と並んで走れた。

 そんなの……おかしい。

 もし、そんなことができるなら、それは――


「俺たちは二人とも【獣性ラック】だ」

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