第3話

 俺が【獣性ラック】となったのは五歳のとき。

 その日、近所の子どもで集まって、かくれんぼをしていた。

 俺はまだ小学校に入る前で、従兄に連れられて、どこかの家へ入ったのだ。記憶が曖昧であまり覚えていないが、たぶん空き家かなにかだったのだろう。

 俺より年上の子どもたちの中で、俺は必死に一緒になって遊んだ。一番チビだからとのけ者にされるのが嫌だったのだ。

 だから、だれにも見つからないように、できるだけ狭くて、暗い場所を選んだ。それが……こんなことに繋がるとも思わずに。


 俺が隠れたのは、古い金庫だった。

 今になれば、そんなところに隠れるのは危険だとわかる。だが五歳の俺はそこに隠れ、そして、あろうことか扉まで閉めてしまった。

 ……あとはもう想像できるだろう。

 古い金庫の扉は俺を中へ閉じ込めたまま、開かなくなった。そして、日も暮れ、俺を見つけることができなかった子どもたちは、一番チビの俺がかくれんぼに飽きて、勝手に家に帰ったのだろうと考え、自分たちも家へと帰った。

 古い金庫に取り残された俺は、だれかが来てくれることをずっと待っていた。

 けれど、だれも来ず――


「ウグァ……ワラウナ、ワラウナァア!」


 逃げ込んだデッドスペースの向こう側。【獣性ラック】となった男子高生の吠える声が聞こえる。

 銃で撃たれたはずだが、まだ死んでいないようだ。


「へえ。発現したばかりなのに、意外とタフですね」

「そういうタイプの【獣性ラック】なんだろう。構うな、もう一度撃つぞ」

「はい」


 【溶欠ファージ】のヤツらの会話のあと、再び銃声が響いた。

 その途端、男子高生のうめき声が届く。そして――


「ウグッ……ワラウナ、……ワラウナァ……ッ」


 ――これは、泣き声だ。

 俺の胸倉を掴んでいたときと比べると、声に覇気がない。さすがに何発も銃で撃たれたのだから、当然だろう。

 ……このまま、【獣性ラック】が死ねば。

 そうすれば、【溶欠ファージ】は消え、俺は助かるのだろうか。

 このまま身を潜めていれば、なんとかなるかもしれない。このまま見つからなければ……バレなければ……。

 これまで俺はずっとそうしてきた。

 一人でずっと人間のフリをしてきた。

 だから、俺はこのまま、ここにじっとしているべきだ。俺ならできる。【獣性ラック】を隠して生きていける。

 ――なのに。


「【獣性ラック】が言葉を話しているのも珍しいですよね」

「ああ、だが一単語だけだ。所詮、【獣性ラック】は異常者だ。一般人に害が出ないように消すしかない」

「ですね」

「次で殺す」


 ……あの男子高生がいったいなんの害があったというのだろう。

 いや、わかっている。電車を壊し、マンションの外壁にヒビを入れ、道路を割った。器物損壊だ。

 でも……だれも殺してない。

 男子高生が執拗に狙っているのは俺だ。俺が一般人であれば、とっくに死んでいただろう。……でも、俺は【獣性ラック】だから。

 あの男子高生はまだだれも殺してない。だれも傷つけていない。

 今だって、【溶欠ファージ】のヤツらに攻撃を加えている様子はないのだ。

 ……俺はこのまま隠れていたほうがいい。

 そんなことはわかっている。が、「笑うな」と泣く【獣性ラック】が、自分と重なっていく。


 金庫の中で一人取り残された俺。

 だれも助けに来ない。

 気づけば、体がおかしくなって、金庫ごと周りのものをめちゃくちゃに破壊していた。

 ……ひとりぼっちがこわくて。さみしくて。

 自分の体がおかしいのはわかったから、急いで、「普通」に戻して、また日常生活に戻った。

 そうやって、十年間、生きてきたのだ。そしてこれからも――


「【獣性ラック】は死ぬべきだ」


 ――普通に生きていたい。


「やめろぉっ!」


 そう叫び、俺はデッドスペースから飛び出していた。

 どうしたいのか、どうするべきなのか。

 それは俺自身にもわからない。

 だが、【獣性ラック】だからといって、殺されるコイツと自分が重なって、体が勝手に動いていた。

 【溶欠ファージ】は突然、出てきた俺に驚いていたが、すぐに二人とも真後ろへと跳び、俺から距離をとった。

 俺はそのまま男子高生の元へと走る。頭に被っていた制服が飛ばされてしまったが、今はそれを気にする余裕がない。


「逃げるぞっ」


 どこに? どうやって?

 そんなことわからない。

 でも、ここから離れて、そして――


「驚きました。二体目の【獣性ラック】ですか」


 ――膝に衝撃と痛みが走った。


「う、ぐあっ」


 男子高生に近寄ろうとした姿のまま、グシャリと地面に向かって突っ伏す。

 どうやら銃で両膝を撃ち抜かれ、膝の健を切られたようで、足が動かなくなってしまった。

 暴走していた男子高生の五歩手前。男子高生の元にたどり着けず、突っ伏したまま視線を上げる。

 男子高生は異形の姿で、全身から赤い血を流し、地面に倒れていた。

 まだ……生きている。

 俺に気を取られたせいか、暴走した【獣性ラック】はとどめは刺されなかったようだ。

 そこに【溶欠ファージ】のヤツらの会話が聞こえる。


「すごい! こんな人間の形を保ったままの【獣性ラック】は珍しいですよね。足の骨がはみ出ていなかったら、人間と変わらないじゃないですか」

「まさか……制御型の【獣性ラック】か」

「どうします? 制御できているなら、二体目の【獣性ラック】は残しますか?」


 二人組は俺を見て驚いているようだ。

 それだけ人間の姿を保っている【獣性ラック】は少ないのだろう。

 俺は二人の会話を聞きながら、膝に意識を集中させた

 治れ、治れ、治れ……。

 切られた腱が繋がっていく感覚。

 大丈夫。俺は何度でも走れる。

 【溶欠ファージ】のヤツらが会話に気を取られているうちに、もう一度飛ぼうと足に力を入れる。が――


「あ、もしかして、治りました?」


 その瞬間、両膝と今度は足首にも痛みと衝撃を受けた。


「うがぁっ……!」


 悲鳴を上げれば、「困りましたね」とまったく困ってなさそうな声が聞こえてきて……。


「どうやら痛みはあるようです。が、回復が早い。膝を撃ったのにもう動こうとするなんて。次はアキレス腱も切っておきましたが、すぐに回復しますよねぇ……」

「回復力、か」

「はい。これでは回復する度に傷つけるしかありません。そんな拷問みたいなこと、かわいそうです。二体目の【獣性ラック】も制服を着ている。高校生のようですし」

「……そうだな」

「どうします? 残します?」


 残すか、残さないか。

 それは【溶欠ファージ】にとって重要な選択なようで、何度も確認している。

 聞かれたほうの【溶欠ファージ】はその質問に淡々と答えた。


「【獣性ラック】は消すのみ」


 冷徹な声。


「――両方、殺す」

「はい!」


 返事とともに、何発も銃声が鳴り響いた。

 俺は、千切れた腱のまま、倒れている【獣性ラック】へと跳んだ。痛みさえ我慢すれば、これぐらいっ!


「うぐぅっ、ぐあぁつ!」


 【獣性ラック】を庇うようにすれば、背中に痛みと衝撃。

 俺へ向けての弾は避けることができたが、倒れている【獣性ラック】への弾を受けてしまった。

 跳んだ勢いのまま、倒れている【獣性ラック】に折り重なるように倒れ込む。


「わぁ。【獣性ラック】同士での助け合いってあるんですかね? 初めて見ました」

「二体目の【獣性ラック】……強いな」

「はい。回復が異常です。対【獣性ラック】用の弾を受けても、まだ動けるなんて……。今も痛みはあるようですが、もう動けるんじゃないですか? 銃では死にそうにないです。どうやったら死ぬんでしょう」


 痛い、痛い、痛い。

 膝も背中も、体中が痛い。

 どうにか暴走した【獣性ラック】を連れて逃げようと思うのに、痛みで体がうまく動かない。

 でも、逃げないと。逃げないと、殺されるのだ。

 コツコツコツとアスファルトを歩く革靴の音が響く。

 死が一歩ずつ、近づいてくる。


「んー。心臓を撃ったら死にますかね? 頸動脈は? 大腿動脈、肝臓、腎臓。全部、試してみたら、どれかでは死にますよね」


 カチャ、とすぐ近くで音がした。

 そして、グリッと頭に冷たい金属の感触。


「まあ、脳が一番ですよね。苦しめるとかわいそうです」


 どうやら俺は頭を打たれ、脳損傷で死を迎えるらしい。

 結局、自分だけ逃げることもできず、暴走した【獣性ラック】を助けることもできなかった。

 ここまで十年間、【獣性ラック】を隠して生きてきたのに……。


「父さん……」


 俺が【獣性ラック】になって死んだと知らせがきたら悲しむだろうか。

 いや、怒るかもな。よりにもよって【獣性ラック】になっているなんて。

 俺はバカだ。あのまま隠れておけばよかったのに。

 後悔で目の前が赤く染まり、にじんでいく。

 これが、俺の最期……。

 覚悟を決めて、目を閉じる。


「大丈夫ですよ。殺すまで何度も撃ってあげますからね」


 淡々とした声がして、冷たい金属が、頭により強く当てられた。

 ――死ぬ。

 そう思ったのだが……。


「やめろ」

「やめてね~?」


 低く落ち着いた声と、場違いな明るい声。

 瞬間、頭から冷たい感触が消えた。


「協定は守ってもらおう」

「そうそう~! 現場の勝手はよくないよ?」


 閉じていた目を開け、声のしたほうを見る。

 そこにいたのは、制服を着た男子高生二人だった。

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