第2話

 西暦20xx年、日本。少子高齢化が進み、人口は8000万人。

 8000万人というのは経済を維持するのに最低限必要な人口だということで、政府は人口減少を食い止めるために必死だ。

 子どもを大事に。若い世代を大切に。


 そんな日本にある日、原因不明の病が流行った。

 人口の99.99%はこれまでと変わらない。しかし0.01%はこれまでの人間とは違い、尋常でない力を得たのだ。

 そして、日本政府はそれを【獣性ラック】と呼ぶことにし、特殊能力者として発表した。

 当初、人間の進化の未来か? と持て囃されたが、特殊能力を発現した者のうち、人間の知能と姿を維持できるものは、わずか0.001%だけ。

 今では事件や事故を起こす厄介者として認識されている。


 そういう世界で生きてきた俺、きの 春多はるた、15歳。今日が高校一年の授業開始日だったわけだ。

 ……で、今、【獣性ラック】の暴走に巻き込まれている。


「ワラウナッ!」

「うぐっ」


 一瞬の浮遊感のあと、背中に大きな衝撃が走った。

 どうやら電車から跳び出た【獣性ラック】に胸倉を掴まれたまま、マンションの外壁に叩きつけられたようだ。

 マンションは高架橋の脇に立っており15階ぐらいか。俺が叩きつけられたのは4階部分あたり。

 思いっきり叩きつけられたため、息が詰まり、背骨がミシミシと音を立てる。さらに、掴まれていたのが鎖骨付近だったためか、そこからボキリといやな音が鳴った。

 すごく痛い。でも、それよりも問題なのは――


「いい加減に離せっ」


 ――俺たちの状況をだれかが見ているかもしれない、ということだ。

 俺の胸倉を掴む【獣性ラック】の両腕を外側からぐっと握る。そして、剥き出しの腹を力任せに蹴り飛ばした。


「ガァッ!?」


 【獣性ラック】になったとはいえ、まだ驚く知能は残っていたようだ。

 まさか、俺に蹴り飛ばされると思っていなかったらしく、声を上げながら地面に向かって落ちていく。

 そして、マンションに向かって外力を加える相手がいなくなったことで、俺もすぐに地面に向かって落ちていった。

 膝を軽く曲げ、足から着地できるよう地面を見つめる。だが、俺が落ちている高さはマンションの4階相当。足から着地すればもちろん――


「くそっ……いってぇ……」


 両足が地面についた途端、まず踵骨の砕ける音がした。そして、脛骨、腓骨が割れ、衝撃を吸収できなかったため、腰椎から痛みが走った。

 当然、下半身の維持ができなくなった俺は、そのままぐしゃりと地面へとくずおれる。

 全身が痛い。骨折は6ヵ所以上か。酸素が吸いにくい。息をする度に血の味がするから、折れた肋骨が肺にささったのかもしれない。

 それでも俺はそれ以上の声は上げず、地面に伏せたまま、目だけであたりを見渡した。


「人間は……いない。カメラも……ない」


 電車で聞いた警報が、落ちた場所でも鳴り響いている。街の中のだれかが【獣性ラック】用の警報スイッチを押したのだろう。

 逃げずに残った野次馬に動画でも撮られていたらどうしようかと思ったが、みな、命を大切にしたらしい。


「大丈夫、いける」


 なんという幸運。神様は俺をまだ見捨ててない。

 【獣性ラック】は地面に落ちた衝撃により、あちらで地面に大穴を開けたまま伸びている。

 俺はふふっとほくそ笑んだ。


「治れ、治れ……おかしな繋がり方でいい。まず足と腰だけ。走れるように……」


 俺は目を瞑り、痛みを訴え続ける両足と腰へと意識を集中させる。

 すると、そのうちにゴリゴリゴリと堅いもの同士がぶつかる音が体内から聞こえてきた。

 ――骨が伸び、干渉し、ぶつかっている音。


「不格好だけど、走れる……」


 脛骨と腓骨を整復せずに繋げたため、皮膚からはみ出して繋がってしまった。

 だが、今はなんでもいい。とりあえず走ることさえできれば。

 俺は急いで制服のジャケットを脱ぎ、それを頭にかぶった。顔を見られないようにするためだ。

 そして、無理やりに繋げた足で地を蹴り、走り始める。

 痛みは持続的にあるし、走り方もおかしい。だが、問題なくスピードは出た。

 ……大丈夫。これなら十分。

 そして、そのまま人がいないほう、いないほうへと走っていった。

 そう、今、俺は逃げているのだ。……【獣性ラック】からではない。


 ――人間から。


「――マテッ、――っ……マテ……」


 そんな俺の背後から声がする。どうやら、あの【獣性ラック】が俺のあとをついてきているようだ。


「なんでだ、なんで俺を追う? 俺を巻き込むな……っ」


 【獣性ラック】から逃げるため、さらにスピードを上げる。

 すると、あたりに警報音以外の音が響き始めた。これは――そう――


「こちら警視庁特務捜査4課【溶欠ファージ】です。【獣性ラック】の粛清に参りました。市民の皆様は引き続き周囲に警戒し、危険だと感じたら迅速に避難してください、繰り返します――」


 ――死の音。


「やばい、やばい、やばい、やばい……っ」


 街に響くアナウンスにぞわりと鳥肌が立つ。

 その場で立ち止まった俺は、周りをぐるりと見渡した。

 ……どっちだ? どっちから来てる!?

 噛み合わない歯がガタガタと音を鳴らし、恐怖を俺に伝えた。

 そこに車の急ブレーキの音と、複数の足音が聞こえてくる。音が聞こえたのはまずは右の遠方。そして直進した先だ。


「【獣性ラック】は、俺の後方。【獣性ラック】を消しに来たヤツらは……俺の前方と右手。左手はマンション、か……」


 ……詰んだ。

 このまま前方か右へと走れば、そこにいるのは【獣性ラック】を粛清しにきた政府機関の人間たち。

 先ほどのアナウンスをしていた警視庁特務捜査4課だ。ヤツらは警官だが、一般的な警官とは違う。通称【溶欠ファージ】と呼ばれ、対【獣性ラック】を専門としている武装集団なのだ。

 【獣性ラック】への慈悲はない。……見つかれば、俺もまとめて消されるだろう。

 かといって後方へ行けば暴走した【獣性ラック】がいる。

 あんな発現したての【獣性ラック】に負けるつもりはないが、戦闘に時間を取られれば、結局【溶欠ファージ】まとめて消されるだろう。

 掴んだと思った幸運が手から零れ落ちていく。

 ぐにゃりと歪む視界に、だが俺は両手を握りしめた。


「いや、まだ、まだ、逃げられる。よく見ろ……考えろ……」


 こんなことで諦めるなら、俺はとっくに消されていた。


「……通路が、ある」


 左にあるマンション。そこには奥の駐車場に行くためか、細い通路があった。――ここだ!

 慌てて、そこに駆け込み、奥を目指す。


「あ……、道が……ない」


 しかし、駆け込んだ場所は通路ではなく、ただのデッドスペースだったらしい。

 奥にあったのは、別のマンションの外壁。横幅1m。奥行7mほどのそこから、進む道がない。

 そして――


「いました、【獣性ラック】です」


 ――聞こえた声に思わず振り返る。

 心臓がドクドクと鳴り、じっと息を潜める。どうやら、先ほど俺がいた道に【溶欠ファージ】のヤツらが到着したようだ。そして、ちょうど、【獣性ラック】も現れたらしい。


「ああ、高校生ですかね。千切れた制服が残っています」

「気にするな、撃て」

「はい」


 冷徹な二つの声。淡々と命令し、淡々と返事をする。

 そして、銃声が三発、響いた。


 ――次に銃口を向けられるのは俺だ。


 行き止まりの通路、目の前で銃を撃った【溶欠ファージ】。

 その目がもし、俺を向けば、同じように迷いなく撃たれるのだろう。


 ――なぜなら、俺も【獣性ラック】だからだ。

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