獣性:雑種

しっぽタヌキ

第1話

『まもなく二番線に普通、東京行きが参ります』


 ホームで電車を待つ人間に向け、いつも通りのアナウンスが流れる。

 俺は電車待ちの列に並んで、手にした電子端末を操作していた。

 今日から、新学期だ。

 ホームの向こうにある桜の木は散り始めていて、風に乗って花びらが舞っている。

 電子端末に表示されているのは、中学時代の同級生の名前。

 ピュンという電子音とともにメッセージが届いた。


『緊張するわ』

『だな』


 とくに意味はない。お互いに電車待ちのつまらない時間を潰すためと、新学期への不安や緊張をほぐすためのやりとりだ。

 同意の返事を送るとすぐにまたメッセージが届く。


『なんでお前、こっちの高校にしなかったん?』

『地元すぎる』

『なんだそれ』


 俺の返答にすぐに呆れたような返答が返ってきた。

 コイツとは同じ中学で、その中学からはかなりの人数がコイツと同じ高校へ行った。

 通っていた中学から近く、学力的にもちょうどいいからだ。

 俺も学力的にはちょうどよかったが、あえてその高校へは行かなかった。

 どうやらコイツはそれをまだ気にしているらしい。

 話を逸らすため、ふざけた調子でメッセージを送り返す。


『寂しいんだな。わかるわかる。俺にいて欲しいんだろ?』

『うっぜ』


 案の定、相手からはふざけた俺へのツッコミのメッセージが返ってきた。あとはこれに適当に笑顔の絵文字でも返せば終了だ。

 ちょうどよく電車も着いたため、電子端末から目を離し、スリープモードにしてポケットへ入れる。真新しい制服はまだ生地が硬く、パリッとしていた。

 ……すぐにこういう返事ができるやつはいいよな。他人に簡単に「ウザい」と言える。


「俺は……」


 ちょうど電車の扉が開き、人波に合わせて、電車に乗った。

 この駅では降りる人はいない。

 フレキシブルワークだ、リモートワークだと言われたのはかなり前らしいが、結局、東京は通勤ラッシュから逃れられぬ運命なのだろう。

 座席はすでに埋まっていたから、電車の中央へ進み、つり革に手をかける。

 ドア付近は疲れることが入学式の日にわかったからな。

 電子端末が振動して、ちらりとポケットからはみ出す表示に目を向ければ、そこにはさっきの相手の名前。

 だが、俺は端末を触ることなく、つり革に掴まったまま、目を閉じた。

 扉の閉まった音がして、電車が進み始める。

 俺はこっそりと笑った。


 ――俺は、寂しいけどな。


 そう返すこともできないし、それを言ったところでどうにもならない。

 人間と一緒に生きることは、とても難しいからだ。


「おい、お前、なにこっち見てんだよ」


 すると、車内に険のある声が響いた。

 どうやら同じ車両に乗っていた若い男が、座席に座っていた男子高生に絡んでいるようだ。

 車内に一斉に緊張感が走る。

 みんな、絡まれている男子高生と絡んでいる男から距離を取った。


 ――できるだけ関わりたくない。


 それがこの車内にいる全員の気持ちだろう。

 もちろん、俺も。


「見てません……」

「ああ? 聞こえねぇよ?」

「…………」


 絡んでいる男は、きっと座席に座りたいだけだろう。

 そして、一番弱そうなあの男子高生を選んだのだ。

 男子高生もそれがわかったのか、座席から立ち上がり、よたよたと歩いてこちらへと向かってくる。どうやら、別車両へ移るようだ。

 絡んでいた男は空いた座席に上機嫌で座ると、すぐに電子端末を触り始める。

 これならば、男子高生以外はなにごともなく、このまま過ごせるだろう。

 男子高生も席を取られただけと考えれば、失ったものはほぼないはず。

 一人のほんのちょっとの犠牲で、周りの全員が助かるなら、これでいい。

 俺はこの車両全員の気持ちに同調する。これがここの空気だ。

 こちらへ歩いてくる男子高生のために道を開ける。

 あまり見られたくもないだろうから、不自然じゃない程度に視線を逸らして。すると――


「……さっき、笑いましたよね」


 ――男子高生が俺の前で止まった。

 ……おいおい、まじか。


「えっと、なんのことか……」

「さっき、笑いましたよね」


 できるだけ真顔で誤魔化そうとすると、男子高生は下から俺を睨み上げた。

 ……なんで俺。なんで俺なんだよ。

 今、俺がほかよりおかしなことあったか? なにもないだろ。この車両にいる人間と同じ行動しかしてないはず。

 なのに……っ。


「笑うなぁあああ!!」


 男子高生は明確に俺を見上げ、俺に向けて叫ぶ。

 その途端、男子高生の体が不自然に膨らんでいき、制服がビチィッと音がして弾けた。

 変化していく男子高生に、車内には悲鳴が響き渡る。


「きゃぁあ!」

「逃げろ!」

「非常ボタンだ! おい、押せ!!」


 女性の甲高い声や男性の怒声。そして、人々のバタバタとした動作音。

 だれかが非常ボタンを押したようで、緊急の車内アナウンスが流れ、非常ベルも鳴り響いている。

 俺の周りからは人が消え、逃げた人々が隣の車両へ移るために列をなしていた。

 もちろん、俺も逃げたい。けれど、それは叶わない。なぜなら――


「笑うな笑うな笑うな」

「お前を笑ったんじゃない! 離せ!!」


 ――男子高生に胸倉を掴まれているせい。

 さっきまで俺より小さかったくせに、すでに電車の天井に頭がつくほどに大きくなっている男子高生。

 肌の色も、どぎつい紫色で、もはや人間じゃない。

 そんなやつが俺の胸倉を掴んでいるから、逃げることもできないのだ。

 暴れても、うんともすんともしない。見た目通りの馬鹿力。


「笑うなああぁァ!!」


 男子高生はそう言うと、俺を掴んだまま、車両の窓ガラスに突っ込んだ。


「いてぇ……っ!」


 電車の窓ガラスは強化ガラス。特殊なハンマーなどを使わないと割れず、普通、人間の体当たりぐらいでは割れるはずがない。

 けれど、窓ガラスは簡単に砕け散った。

 背中に衝撃と痛みを感じたあとにやってきたのは浮遊感で――


「うそ、だろ」


 俺は高架橋を走る電車から、不気味に巨大化した男子高生とともに放り出された。

 耳に残ったのは、流れてきた車内アナウンス。


『【獣性ラック】です。【獣性ラック】です。決して近づかず、迅速に避難してください』

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