大人になるのなんて、待ってられないよっ!


鏡の前のルナは、

精いっぱいのおめかしをしている。

衣装もそうだし、

髪の結び方も変えた、

あと柑橘の皮を搾って、

それをくすり指に取って、

うなじと、

それから胸もとに押す。


ルナは、

十一歳のおんなの子だった。

そんな、

まだ子供のルナが、

こんなにも一所懸命おしゃれをするのには訳があった。


明日、

グリフが、

戦場に行っちゃう、………


暫定統一歴一五九一年、

地中海を北に隔てた大陸にある、

トラキア共和国、

そこで少数民族の武力蜂起があった。

曰く、

クルダード独立紛争、———


トラキアの要請を受けて、

リプロスの派兵が決まり、

十五歳のグリフも、

従軍することになったのだ。


山間のアルスの街では、

恋人が出征する時には、

人里離れた湖畔の草原で二人で逢って、

愛を囁き合い、

将来を約束する慣わしがあった。


元よりルナとグリフは、

恋人などでは無かった。

グリフはまだ十五歳だったし、

ルナに至っては、

ほんの十一歳だった。


しかし幼い頃から一緒に遊んでくれた近所のお兄さんであるグリフに、ルナはひそかに憧れていたし、そんな彼が戦争に行くことになってしまって、ルナは、いても立ってもいられなくなったのだ。


ルナは、

鏡の中に立つ、

自らの姿に見入る。


ルナは、

妹のソフィと共に、

幼い頃から可愛いと言われてきた。

まだ十一歳、———

だけど、

おとこの人から見ても、

きっと魅力的に見えるはず、

そう、

自分に言い聞かせる。

 

まだ子供だった。

初潮すら、

迎えてはいなかった。


でも、

明日、

グリフが行っちゃうっ………!!!


ルナは、姿見の横の化粧机(もちろん母親の)に置いてあった小さな容れ物を手に取ると、蓋を開け、中に入っていた口紅を、ほんの少しだけ、くちびるの先にさした。


子供じゃない、

わたしはおんなの子だよ。

大人になるのなんて、


———待ってられないよっ!!!


**


グリフは戸惑っていた。湖畔の、空に向かって開けた原っぱの、その白く光る空を背景に佇む少女は、近所に住んでいる子だった。確か十一歳、———まだ子供だ。


しかし、少女は美しかった。


この辺りでは評判の、きれいな顔をした姉妹の、お姉ちゃんの方だった。きれい、と言っても元より子供である。子供、でしか無い。


少女は、まだ背丈も小さくて、顔付きや全体の佇まいにも、稚さが見て取れた。


しかし、涙に揺れる眼と、口紅をさした口元には、愛を伝えたい、というひたむきな決意が表れて、ハッと胸を衝かれる程に、魅力的だった。


グリフだって、

十五歳、

まだ子供だった。

しかし、

これから征くのは戦争で、

生きては、

………帰れないかも知れない。

不安は、

無いと言えば嘘に違いなかった。


眼を逸していた。

気付かない振りをしていた。

しかし、

やはり不安だった。

本当は、

夜、独りで寝床につく時、

頭を抱えて泣いてしまうくらいには不安だった。


でも、

これほど美しい女の子が、

もし自分を待っていてくれるとしたら?


耐えられるような気がした。

あらゆる苦痛や困難を乗り越えて、

生きて帰る、

そのための勇気を、

手に入れられるような気がした。


「ルナ、………いいのか?」


少女の髪をそっと撫でながら、

グリフは訊いた。

今にも泣き出しそうな少女の顔。

涙が、

今にも堰を切って、

揺れる色彩の眼から溢れてしまいそうだ。


「グリフ、愛してる、きっと帰ってきて、わたしをお嫁さんにして、………」


グリフは、

もう何も言わずに、

小さな少女の肩を抱き寄せて、

キスをした。


ルナは、

かかとを上げて、

精いっぱい背伸びをして、

グリフの愛を、懸命に受けた。

閉じた眼からは涙が溢れ、

頬肌に一筋の光の軌跡を記した。


グリフは夢中になった。


やわらかくて、

あたたかくて、

妖精のようにきれいな、

不思議ないきもの。


十一歳の少女のキスは甘くて、

そして、

柑橘の香りがした。





















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