さようなら
いきなり何を言っているんだ。そんなこと知るわけがない。
わけが分からないが、殺されそうになっているのは確かだ。佑梨はこの状況を打破すべく必死に頭を回転させた。隙を作って逃げるか、銃を奪い取るしかない。それができなければ、撃たれる。
「私は神様のゲームの正解に至った。私を殺したら真実を教えられなくなるよ」
咄嗟に思いついたハッタリだ。
「おいおい、君はゲームのヒントを得るためにここまでついて来たんだろう? それは苦しいよ」
「くっ」
ゲームに関して見てほしいものがある、というのはここまで計算された嘘だったのだ。人気のないところへ連れて行けるし、佑梨が正解に辿り着いていないことも確かめられる。
「それにもういいよ。自分で見てみるから」
「自分で見る?」
「僕は人間の脳を直接、自分の目で見たいんだ」
「何、言ってんだ……? あんたの目的は何!?」
佑梨は震える声で必死に抗おうとする。
「まさに、全ての真実を知ることだよ」
「えっ……」
「もし僕がクイズに正解したら、神様にこの世界の全てを教えてもらえるのさ。なぜ人が死紙になるのかだけでなく、世界の始まりから、
人が死んだら脳とそれに連なる身体が死紙に変化する。だからこの世界の人間は、人間の脳を調べることができない。それを知るのが右京の目的の一つだったのだ。
口を半開きにして絶句する佑梨。右京は気にも留めずに語り続ける。
「でもさっきも言った通り、僕はできる限り自分の手で真実を見たくてね。そこにちょうど君が現れたんだ。死んでも死紙にならない世界から来た人間。なんて素晴らしいんだ」
佑梨は必死に考える、この絶体絶命を切り抜ける方法を。思いつく限りの嘘八百を並べていく。
「神様が言っていたんだ。私もこの世界で死んだら死紙になると。だから殺しても脳を見ることはできない」
「君の言葉など何も信じないよ。僕が信じるのは神様の言葉だけさ」
確かに神様は言っていた。神様から直接聞けば世界の真理だが、佑梨が言ってもただの妄言、絵空事になると。
あるいは――と佑梨は思う。
こいつは私のことなど最初から信用していなかったんだ。この世界の私の浮気を疑っていたのと同じように。春香のことを未知の存在だとか言っていたが、それはこいつだって同じだ。私は馬鹿だ。私と付き合っていたのは元の世界にいる別人だというのに、こいつのことを理解したつもりでいた。こいつが結局何者なのかも分からないというのに。
佑梨はなぜこんな状況になってしまったのか考えた。なぜ自分は右京と二人きりでいて銃を向けられているのか。
そして、記憶を辿っていくうちに気付いてしまった。
元はと言えば、右京に相談するように提案したのは春香だ――。まさか二人はグルだったのか? 二人で私をハメて殺そうとしているのか!?
最悪の可能性が頭をよぎる。だが、それでも佑梨は諦めずに声を上げた。
「私に危害を加えるなと神様に言われたんじゃないのか!?」
「それは春香さんだけだよ。君の身の安全は神様から要求されていない!」
「そんな……」
やっぱりだ。佑梨の顔が絶望の色に染まる。対して右京は恍惚とした表情を浮かべていた。
「あぁ、君の死体が欲しいよ」
佑梨は青ざめ、全身に鳥肌が立った。
どんな交渉も通じない。もう為す術はない。これで終わりなのかと、目の前が真っ暗になった。
しかし、そこで佑梨は神様のことについて思い出した。
神様はこの世の全ての物体を常に感知している。今この状況だって把握している。それにここは神様の森。あの地下施設からここまで来ることはできる。
神様、見てるんだろ? 早く助けて……。
佑梨にはもう神頼みしか残されていない。ここまで本気で神に祈ったのは生まれて初めてのことであった。
そのことを右京も察したようだ。
「もうそろそろいいかい? 言いたいこともなくなったようだね」
佑梨に銃口を向けながら、鋭い眼光で射抜く。
「じゃあ、これでサヨナラだ。佑梨の偽物め」
右京は再び指先に力を込める。佑梨は恐怖に耐え切れず、固く目を閉じてしまった。
そして、銃声が轟いた。
つんざくような音が鳴り響いたあと、辺りは静まり返った。だが銃声が聞こえただけで、佑梨の体には何も当たっていない。また外したのだろうか。
恐る恐る瞼を開く。
「え……?」
佑梨の前に誰かが立ち塞がり、彼女のことを庇っていた。右京の持つライトの逆光でシルエットしか見えない。
その人物がよろめき、横顔が見えた。
佑梨は目を見開いた。
「春香」
春香の血が、綺麗な赤い花のように彼女の服を彩っている。
どうしてここに? いや、そんなことより。
ハルカガウタレタ――。
そのとき、頭の中から音が聞こえた。漫画みたいに血管がぶちっと切れる音ではない。扉の音だ。どこかにある扉が、がちゃりと開くのが聞こえた。
その瞬間、佑梨はまるで別人になったかのような、静かなる狂気を身に纏った。世界がスロー再生されているかのように、自分以外の動きが遅く感じられた。
春香には構わず、右京との間合いを詰めようとする。そして彼が再び撃鉄を起こす瞬間を狙って、回し蹴りを放った。
佑梨の足が綺麗に銃に当たり、弾き飛ばす。右京は左手に持っていたランタン型ライトも地面に落とした。
二人は銃を拾おうとする、ビーチフラッグのように。だが佑梨の方が駆け出すのが早かった。
右京より早く銃を掴み取る。背後から、彼がのしかかろうとするように迫り来る。佑梨はしゃがんだまま振り向きざまに銃を構え、左胸の位置に狙いを定めた。
普通、走馬灯のように記憶が蘇るのは殺される方の人間だ。しかし佑梨の意識の中に、彼との思い出が一瞬のうちに溢れ出した。目の前にいる彼ではなく、元の世界で佑梨と付き合っていた彼だ。
春香が撃たれたからとか、やらなきゃこっちがやられるからとか、それだけでは引き金を引くことはできなかったかもしれない。指先に力を込める寸前、最後に思い浮かんだのは、レストランで振られたときに見ていた彼の顔だった。佑梨にとって大切な恋の日々を、サービス業の労働だったと言っていた。
さようなら、私の恋人――。
心の中で彼に告げ、冷徹に引き金を引いた。
乾いた音と共に銃弾が放たれ、心臓に命中する。右京は鈍い呻き声を上げ、佑梨の目の前で地面に倒れた。
佑梨は右京の生死を確かめることもせず、春香の方に駆け寄った。春香も地面に横たわっている。
春香の前にしゃがみ、彼女を抱きかかえる。
「春香! しっかりしろ!」
「佑梨……ごめん、二人が山に入ってくとこ見かけたらなんか不安になって……追いかけたんだけど……途中で見失って、遅くなって……」
「分かったから! 今は喋るな!」
「私……もう、駄目かも……」
「そんな、もう終わりみたいな言い方するな!」
「あなたの言っていた、天国で先に待っている」
「駄目っ! 春香には夢があるんだろ!? 私も一緒に暮らすから! 元の世界に帰れなくてもいいから! だから死ぬな! ずっと一緒にいて!」
佑梨は必死に捲し立てる。春香はかろうじて薄目を開け、佑梨の顔を見ている。
「私はあなたのこと……信じてるから」
それだけ言い切ると、春香は瞼を閉じた。気を失ったのだろうか。
そう思ったのも束の間、春香の体の表面が淡く光り始めた。佑梨は目を見開く。
「春香っ!?」
春香の体が白い光に包まれていく。この現象が始まってしまったら、もう誰にも止めることはできない。これから死紙になるのだ。神様によって設計された人間の運命として。
春香は、死んだ。
「嫌だ、嫌だぁっ!」
佑梨の瞳から涙が溢れ出す。
光が頭部に収束していき、小さな四角形となる。佑梨が支えていた重みがなくなり、彼女の腕の中に残されたのは抜け殻のような衣服だけとなった。
「あぁぁ……」
四角形の光が地面にふわりと舞い降りる。そして輝きを失い、死紙が現れた。春香はもうこの世界のどこにもいない。春香は死んで手紙になった。
佑梨は縋るように、死紙に手を伸ばす。体を震わせながらそれを拾い上げ、春香の最期の想いを読んだ。
『佳代を殺したのは私じゃないよ』
死紙はその人の最も強い想いや気持ちが手紙という形で遺るもの。
だから、死紙で嘘はつけない――。
佑梨はそのことに気付き、息を吞んだ。
こんなことが、人生の最期に一番伝えたいことだったのか?
私のせいだ。私が春香のことを疑ってしまったから。
それに春香のことを疑わなければ、私と右京が一緒にいるところを見られても不安にさせなかったかもしれないじゃないか。追いかけて来なかったかもしれないじゃないか。
春香が死んだのも、こんな気持ちにさせてしまったのも全部私のせい。私が彼女の人生の終わりを台無しにしてしまった。
全部、私のせいなんだ――。
「うわあああああっ!」
佑梨は激しい後悔の念に押し潰されそうになり、泣き叫んだ。髪を掻き毟り、拳で地面を何度も叩いた。
声が枯れるまで泣き喚いたあと、ふと思い出して右京の倒れている方に目をやった。彼はいなくなっていた。血に塗れた衣服と、手紙らしきものが地面に落ちているだけだ。
そういえば、人を殺してしまった――。
どこか他人事のように思った。あっけないものだ。いまいち実感が湧かないのは、死体が残らず手紙になってしまうせいだろうか。
右京の死紙に近寄り、拾って読んでみた。
『佑梨のことを愛している。別れたことを後悔している』
愛の言葉のはずなのに、不快感しか湧いてこない。
私は所詮、この世界の私の代わりだったのだ。
右京が持っていた拳銃の方に視線を移す。ふと思った。どうして彼はこんな物を持っていたのだろうと。少し考えてみると、ヤクザという言葉が連想できた。
佑梨はこの山で暴漢に立ち向かい春香を助けた。彼らはヤクザだったのかもしれないと春香は言った。
もしそのことが関係しているのであれば、今の出来事は自分に対する
じゃあ、あのとき私はどうすれば良かったと言うんだ? 春香を助けない方が良かったのか? そうかもな。もし襲われても、死ぬことはなかったのかもしれない。私がこれまでやってきたことは全て、春香にとって余計なことだったのかもしれない――。
佑梨は誰もいない夜の森で呆然と立ち尽くした。自分以外の人間はみんな死んで手紙になってしまった。右手には右京の死紙、左手には春香の死紙。希望が無理矢理エレベーターの中に押し込まれて、果てなき地の底へどこまでも堕ちていくような気分だ。
右京の死紙はその場で捨てた。二つの世界での思い出と共に。
やがて我に返り、地面に落ちている春香の衣服を回収する。右京のライトも貰う。結局神様は来ない。地獄よりも深いため息を一つ吐き、森の外に向かって歩き出した。
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