再生する恋

 右京との待ち合わせ場所は、港や町の景色を見渡すことのできる自然公園であった。敷地は広く、デートスポットとしても使われていそうだ。平日で多くの社会人はまだ仕事をしている時間なので、人の姿はまばらである。春香の家の近くにこんないいところがあるとは知らなかった。彼女は当然知っているはずだが、神様のゲームが終わったら、元の世界へ帰る前に春香とも一緒に来てみたいと思った。


 佑梨は待ち合わせ時刻の十分前に着き、右京は定刻にやって来た。


「お待たせ」


「あっ、右京」


 彼は濃紺のセーターの上にグレーのジャケット、ベージュのチノパンという小綺麗な服装だ。佑梨はこの世界に来る前、元々一人旅のつもりで出掛けていたのでラフな服しかなく、妙に気恥ずかしくなった。なるべく人に顔を見られないように、キャップ帽を目深に被っている。


 二人は他愛のない会話をしながら公園を散策する。その空気感は元の世界で右京と付き合っていたときのことを思い出させた。前回会ったときは屋内で話をしただけだが、夕焼け空の下で一緒に歩きながら見上げる彼の横顔は、懐かしい宝物のようにも見えたし、初めて見る映画のワンシーンのようにも思えた。


 適当に公園の中を見物したあと、二人はベンチに座った。橙色に煌めく海を一望できる絶好の場所だ。ささやかながら素晴らしき日常の風景について感想を言い合い、陽が水平線の彼方に沈みかける頃、右京の方から切り出した。


「それで、今日相談したかったことって?」


「うん、それなんだけど……前に話した宮代佳代って覚えてる?」


 佑梨は昨日気付いた疑惑について右京に説明した。佑梨がこの世界にワープしたときの順序。この世界の佳代が死ぬ直前の状況は目撃していないこと。もし自殺でなかった場合、佳代を殺すことができたのは春香だけだということ。


 右京は少しの間黙って考えてから、言葉を選ぶようにして落ち着いた口調で言った。


「確かに、春香さんの犯行である可能性を完全に否定することはできないかもしれない」


「やっぱり……」


「でもごめん。君を疑心暗鬼にさせてしまったのは僕のせいだね」


「えっ、どういうこと?」


「僕が春香さんのことを未知の存在とか言ってしまったからさ。だけど彼女が人殺しをするなんて、そこまで思っていたわけではないんだ」


 そういえばそんなことを言っていたが、佑梨は今言われて思い出した程度であった。


「私も別に右京の言ってたことを気にしてたわけじゃないけど」


「いや、君の無意識下に影響していたということも有り得る。謝るよ」


「あ、うん。じゃあ、やっぱり私の考えすぎだったってことだよね」


「もちろん。春香さんは君とずっと一緒にいて助けてくれた人なんだろう? そんな人が殺人なんかするわけないじゃないか」


「そうだよね。私も頭では分かっているんだけど、他の誰かにも認めてもらえないと不安になっちゃって……」


 証拠なんかなくたって、春香はそんなことしない。分かりきっていたことじゃないか。


「ありがとう、右京に話して気持ちが楽になった。春香には改めてちゃんと謝るよ」


 今日はベッドで一緒に寝てあげてもいいと思った。しっかり者に見えても本当は甘えたがりな彼女のために。


 右京も安堵の表情を浮かべる。彼の眼差しを見て、佑梨は今なら訊いても大丈夫だと思った。前からずっと気になっていたことを。


「それと、もう一つ話したかったことがあるんだけど」


「何だい?」


「この世界の私のこと。どうして自殺したのか、あんたと何があったのかが気になってたんだ……」


「ああ、そのことか」


 今度はさっきよりも長く考え込んでから、話を始めた。


「実はね、僕は彼女が浮気をしていたんじゃないかと疑ったんだ」


「う、浮気!?」


 佑梨は浮気などしていなかったのになぜか焦ってしまう。


「いくつかの状況証拠はあった。それで彼女のことを問い詰めた。彼女は否定したが、もう僕のことは愛していないと決めつけ、別れを告げたんだ」


 彼女の死紙には『私は右京のことが好き。別れたくない』と書かれていた。右京に振られたことだけが自殺の原因なのかは分からないが、少なからず関係はしていそうだ。


 右京は目を伏せ、頭を抱えている。


「それがこんなことになってしまうなんて……」


「いや、まさか自殺までするなんて予想できなかっただろうし、それは仕方ないよ……」


 慰めようとするが右京は何も言わない。佑梨は取り繕うように話を続けた。


「ええと、神様が彼女の死紙を持っていることは知ってるんだよね?」


「ああ。かつて僕と一緒にいた女性と同じ姿形をした人物が突然海辺に現れ、そのあと彼女が自殺したと聞いた」


「……それはつまり、長くはないけど二人の私が同時に存在していた時間があったってことか」


「そうだね。それを感知していた神様は気になって、春香さんに死紙を回収させたってところだろう」


「あんたは神様から死紙の内容を教えてもらったの?」


「いや、神様からは話さないし、僕の方からも内容を訊かなかった」


「どうして?」


「僕は自分の過ちや彼女の想いについて、もっと自分の頭で考えなければならないからさ。それを一生続けることが、彼女への償いなんだと思っている」


 右京は彼女の想いに至り、信じることができるのだろうか。佑梨には分からない。


「あんたって、そこまで悪い奴ではないんだね」


「そりゃあ、そうさ。別の世界では君は僕に惚れて付き合っていたのだろう?」


 佑梨はまた右京と付き合っていたときのことを思い出し、目の前に広がる空と同じくらいに頬が赤く染まった。


「あくまで、別の世界の話なんだから」


 それから二人は何となく喋るのをやめ、海を眺めた。佑梨は今この時間だけ、難しいことを考えるのをやめた。神様のクイズだとか、パラレルワールドだとか、死紙だとか自殺だとか。何も考えずにただ綺麗な景色を見ているだけなんて、この世界に来てから初めてのことだと思った。頬を撫でる潮風が気持ちいい。心が穏やかになり、少しばかり救われたような気がした。まさに、に戻ったかのようだ。


 しばらく沈黙の時間に身を委ねていたが、やがて右京が口を開いた。


「神様の言うことは絶対だ」


 唐突に、自分に言い聞かせるように呟く。佑梨は首を傾げた。


「……何の話?」


「でも本当は、佑梨は自殺なんかしてなくて、今ここにいる君がやっぱり佑梨なんじゃないかって、ちょっとだけ思った」


 そう言って右京は、おもむろに佑梨に顔を近づけた。


 え――。


 キスされる。そう予感した。


 佑梨は抵抗しなかった。そういえば最近キスとかしてなかったなと、ただ他人事のように思っただけだ。


 でも、キスはしていないけど、キスに関する話をどこかで聞いた覚えがある。


 そのとき、なぜか神様の声が頭をよぎった。


 この世界のどこであっても、俺は感じ取ることができる。今ちょうど、京東にある病院で赤ん坊が生まれたぞ。アメリカのマイアミビーチでカップルがキスをしている――。


「わあぁっ!」


 佑梨は慌てて体を離した。それは、地下施設で神様と初めて話したときの言葉だった。今この瞬間も神様に見られているのかもしれないと思い、反射的に避けてしまった。


 右京はばつが悪そうな顔を見せる。


「ごめん、つい……」


「いや、そうじゃないの。こっちこそごめん」


「そろそろ行こうか」


「そ、そうだね」


 お互いに気まずくなり立ち上がる。何も話さないまま出口まで歩いて行く。公園の敷地から出たところで右京が佑梨の方に向き直った。


「良かったら、これから僕の部屋に来ないか?」


「えっ、今から?」


 この流れで部屋に誘われるのはさすがに動揺する。


「神様のゲームに関して、君に見てほしいものがあるんだ」


 佑梨は声を出さずに驚いた。ここでゲームの話が出てくるとは思わなかったからだ。


「……何を?」


「それは実際に見てもらわないと説明できない」


 一体何を見せたいと言うのだろう。非常に気になるが、もう陽が沈んでしまっている。


「うーん、でも帰りが遅くなりそうだし、神様また送ってくれるのかなぁ」


「もちろん帰りも僕が送るよ。時間はそんなに取らせない」


「分かった。ゲームの方も行き詰っていたし、行かせてもらうよ」


「そうこなくっちゃ」


 二人は丘の上の公園を出て、山の麓にある道路沿いを歩き、地下施設のある森へ向かった。森の入り口に着き、右京は小さなランタン型ライトを取り出して周りを照らす。


 夜の森を歩いていると、春香と一緒に神様を待ち伏せしたときのことを思い出す。野外で食事したりお喋りしたり、ちょっとしたキャンプみたいで楽しかった。星と月が綺麗だった。そのあとの神様との追いかけっこは大変であったけれど。


 木々や茂みがライトの光の中に浮かぶ。虫の歌がBGMのように森の中に流れている。土や落ち葉を踏みしめながら、足音のリズムを刻んでいった。二人それぞれ僅かに異なるテンポで。


「おや」


 右京が何かに気付いたように立ち止まる。佑梨も足を止めた。


「どうしたの?」


「あの木を見て。幹に擬態した蝶がいる。珍しい種類だ」


 右京は佑梨を挟んだ向こう側にある木を指差した。


「えっ、何それ」


 佑梨もその木を見てみた。しかし、どれだけ目を凝らしても蝶がどこにいるのか分からない。


「もうちょっと近づかないと分からないかもしれない」


「うーん」


 言われた通り、木の方に向かって歩き出す。


 その瞬間だった。


 突然、背後で何かが破裂するような大きな音が聞こえた。鼓膜がひりひりと痛む。


 まさかと思い、佑梨はゆっくりと右京の方を振り向いた。


「あれ、外した」


 あっけらかんとした声。数メートル先に、左手にランタン型ライトを持った右京が立っている。そしてもう片方の手には、拳銃が握られていた。


 突然の凶行に佑梨は言葉を失う。恐怖で体が硬直し、呼吸すらも上手くできない。


「やっぱり初めてじゃ当たらないものだね」


 右京は何でもないことのように言いながら、拳銃の撃鉄を起こしている。西部劇で使われるような古い銃種のリボルバーだ。銃口は佑梨に向けられている。


「い、一体、何を……」


 間抜けな問いだと自分でも思った。どう見たってこちらを撃とうとしているのに。そもそもなぜ彼が拳銃なんか持っているのだろうか。


「僕には確かめたいことがあるんだ」


「な、何?」


「この世界で君を殺したらやはり死紙になるのか? それとも、この世界で生まれた体ではないから死紙にならないのか?」

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