疑心
翌日、振り出しに戻った佑梨は再び自分でクイズに挑まなくてはならなくなった。なぜ人は死んだら手紙になるのか。右京からの連絡も今のところはない。それを待っている場合でもないのだが。
昼ご飯も春香が作ってくれることになった。佑梨がクイズに集中できるように気を遣ってくれているのかもしれない。だが佑梨はいい考えが思い浮かばないので、何となくテレビを眺めていた。台所から、包丁で野菜を切る小気味いい音が聞こえる。
テレビの映像がコマーシャルからニュース番組に変わり、宮代佳代失踪の続報が流れた。浜辺に落ちていた血塗れのワンピースが佳代のものだと断定されたが、周辺で死紙は見つからず捜索は打ち切られ、有効な目撃証言もない。自殺ではなく、何者かに殺害され死紙が持ち去られた可能性も高くなったとアナウンサーは報じている。
死紙が持ち去られたのは事実だが誰かに殺されたわけではない。佑梨は佳代が自殺する瞬間をこの目で見た。
だがすぐに思い直す。本当にそうだっただろうか、と。
佑梨はそのときの状況をよく思い出し、思案した――。
私が見たのは
佑梨の鼓動が徐々に速くなっていく。額には薄らと脂汗が滲むのを感じた――。
え……、結局どういうことになるんだ……?
仮にこの世界の佳代が自殺じゃなかったとしたらどうなるんだ?
殺された?
誰に?
あのとき、佳代を殺せた人物は一人しかいない。
彼女が死んで死紙になったときにあの場所にいた、春香だ――。
佑梨は青ざめた。
しかし、春香は殺していないということを何とかして証明しようとする。
包丁に春香の指紋がなければいい? いや、手袋を付けるとか、指紋を付けずに包丁を持つ方法なんていくらでもある。誰の指紋が付いていても付いていなくても、春香が殺していないということは確定しない。
しかも紛らわしいことに、春香はあのとき黒いセーターを着ていた。多少血が付いてしまっても、滲んで傍目にはすぐ気付かないかもしれない。
つまり、私には知りようがないのだ。佳代は自殺なのか、それとも春香が殺したのか、ということを。春香には佳代を殺す動機だってある。なにせ神様に死紙を献上すれば報酬を貰えるのだから。
今思えば、春香が私を自宅に住まわせてくれたのも、始末して口封じをするためではなかったのか。ついでに私の死紙が手に入ると考えたかもしれない。
佑梨の思考は迷走し、無実を証明どころか疑心暗鬼の沼にはまり込んでいった。ニュース番組はとっくに別の話題に移っている。そんなことにも気付かず俯きながら小声で考えを漏らしていると、すぐ近くに誰かが立っている気配を感じた。我に返り顔を上げる。すると、春香が右手に包丁を握り締めてこちらを見下ろしていた。
「ひっ」
佑梨は大袈裟に驚き、後ずさろうとする。春香は首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、包丁……」
「ああ、ごめん。置き忘れた。でも驚きすぎでしょ」
頬を引きつらせている佑梨。春香は気にかけることもなく笑った。
「ラーメン、味噌と塩どっちがいいって訊こうと思っただけ」
「じゃあ……塩で」
「分かった、佑梨はシオラーね」
そう言って春香は台所に戻った。出来上がった塩ラーメンは野菜たっぷりでとても美味しそうだったが、食べても全然味わうことができなかった。
その日は外出せずに一日中神様のクイズについて考えた。だが気持ちが落ち着かないせいか、考えも上手くまとまらない。ゲーム開始から既に三日目だというのに、解ける気が全くしなかった。焦りだけが頭の中に降り積もっていく。
結局何の進展もなく就寝の時間となった。春香はベッドで寝ようとしていたが、佑梨はソファーに腰を下ろしたまま言った。
「私、やっぱりソファーで寝るよ」
「どうして?」
「別に、何となく……」
佑梨が目を逸らすと、春香が来て顔を近づけた。心臓が強く脈打ち始める。
「ねぇ、今日はなんだか様子が変だよ。何かあった?」
「な、何でもない」
「何か隠してるでしょ、正直に言って」
もう誤魔化すことはできなさそうだ。どうせ自分の考えすぎだろうと思い、佑梨は正直に打ち明けることにした。
「あの、大したことじゃないんだけど……」
「うん」
「今日考えてたんだ。私たちが出会ったとき、海辺で宮代佳代っていう子が死紙になるところ見たよな」
「うん、そうだね」
「私がこの世界の佳代を見たのは死んだ瞬間からだった。だからもし佳代が他殺だったら、殺せたのは春香しかいないって……」
言ってしまった。逸らしていた視線を春香の顔に向ける。そして佑梨は息を吞んだ。
春香はほんの一瞬だけ、とても悲しそうな表情をしていた。だがそれも束の間、すぐにいつも通りの笑みを浮かべた。
「分かった。じゃあ今日は別々に寝ようか」
「えっ」
「怖がっている人の隣に無理矢理いるのって、良くないと思うから」
「違う、別に春香がそんなことしたなんて思ってないよ」
しかし、やっていないと証明することはできない。春香は佑梨の心情を見透かしたのか、不安にさせないようにもう一度微笑んだ。
「大丈夫、分かっているから。おやすみなさい」
それだけ言って部屋の照明を消してしまった。彼女を傷つけてしまったかもしれない。
「おやすみ……」
佑梨もぽつりと挨拶を返したが、その声は目に見えない花火のように暗闇と同化していた。
言ってしまったものはもう仕方がないので、とりあえずソファーで横になった。もし春香が佳代殺しの犯人だったら、自分が眠ったあとに始末されるなんてことはないだろうか。そう考えたあと佑梨は再び自己嫌悪に苛まれた。そんなこと、想像するだけでもいけないことなのに。
でも春香は、私の言ったことを否定しなかった。それもそうか。友達にそんな弁明をしなければならないなんて、考えるだけでも悲しい。
翌日、佑梨は無事に朝を迎えることができた。寝ている間に殺されるなんてことはなかった。緊張でなかなか寝付けなかったが少しは眠れたようだ。
春香もほぼ同時に起き、カーテンを開けた。
「お、おはよう」
佑梨はどこかたどたどしい口調で彼女の背中に声をかける。もう殺人犯だと疑っているわけではなく、昨日彼女に疑惑のことを伝えてしまったのが後ろめたいのだ。
「おはよう」
後ろを振り向いた春香は普段と変わらぬ様子に見えた。佑梨はとりあえず胸を撫で下ろす。
「あの、昨日はごめんな。変なこと言っちゃって」
「……ああ。聞き出したのは私だし、別に気にしていないよ」
そうは言ってくれたものの、昨日ほどではないが、二人の間にはどことなくぎこちない雰囲気が残っていた。朝食の間も会話は弾まない。やはり昨日は正直に話さずに上手く誤魔化すべきだったのだ。佑梨は自分の失言を酷く後悔した。
こういう日に限って春香も用事がないようだ。死紙を回収する依頼もなく、家で手持ち無沙汰にしている。佑梨は神様のクイズについて考察を進めようとするが、今日も駄目そうだ。どうしても春香の件の方が気になってしまう。
やがて、あれこれと悩んでいるうちにふと思いついた。
また右京に相談してみようかな――。
その必要があるのかは分からない。もしかしたら、この気まずい空気と自分の過ちから逃げ出したいだけなのかもしれない。あるいは、何かと理由をつけて右京に会いたくなったのかもしれない。元の世界で付き合っていた頃のように。
ともあれ、佑梨は春香に借りているスマホから右京にメールをした。また会って相談したいことがあると。
右京からの返事はすぐに来た。今日会ってくれるようで、夕方に近くの小高い丘の上にある公園で待ち合わせることになった。そのことを春香に伝えると「また男遊び?」と冗談めかして言われた。
約束の時間が近づくと、佑梨は身支度をして玄関に立った。
「それじゃあ、いってくる」
春香はいつものように見送ってくれた。
「いってらっしゃい。ちゃんと帰って来てね」
「もちろん」
佑梨と春香は、微かにではあるけれど自然な笑みをこぼすことができた。ちょっとだけ元の二人に戻れたような気がした。
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