未知

 昼間の森には、朝や夜とはまた違った雰囲気が漂っている。


 佑梨は傾斜の緩やかな山中をピクニック気分で少し歩き、適当に腰を下ろせそうな場所を見つけると死紙を埋めた。その近くに座って神様が取りに来るのを待つ。今回は茂みに身を隠す必要もない。前回は神様が来るまでに数時間かかったので、軽食と水筒も持って来ている。本当にピクニックのようだ。


 いつ来るのか分からないものを一人で待ち続けるのはそれなりに苦行であった。スマホの充電が切れたら困るので、ずっと見続けることもできない。煙草を吸いながら考えごとをしては、たまにパンやお菓子を食べるということをひたすら繰り返す。やっぱり春香も連れて来れば良かっただろうかと少し思った。春香とお喋りをしていれば時間なんてすぐに過ぎてしまうから。


 結局神様が来たのは二時間後となった。陽が傾き始め、橙色の光が地面に森の影絵を映し出している。神様が近づいて来るのが見えると、佑梨は嬉しそうに立ち上がった。


「遅いよー」


 神様は昨日と同じく黒い長袖の襟付きシャツと黒のチノパンツを着ている。いつも通りの無表情。前回よりは早く来たのだが、佑梨には前回より長く感じられた。


「お前一人で来るとはな」


「さて、死紙はどこに埋めたでしょうか?」


 佑梨は両手を広げてニヤリと笑った。孤独感から解放された喜びを隠せずにいる。神様は迷うことなく死紙の埋まっている地点に移動し、すぐにそれを掘り出した。


「おおー」


 拍手をする佑梨。神様はそれを無視して封筒をポケットに入れ、踵を返して歩き始める。だが佑梨は神様の肩に腕を回して絡んだ。


「なぁ、神様くんよぉ。その手品どうやってんのぉ? お姉さんにもちょっと教えてくれよぉ」


「何浮かれているんだ、殺すぞ」


 神様は佑梨を振り払った。


「あぁん。神様のいけずぅ」


 そのまま進んで行き、佑梨も神様の後ろをついて行った。走って追いかけっこをする気はないようだ。こうしているとなんだか自分が、男に送り迎えさせている女のように思えて妙な気分になる。そこでふと疑問に思い、神様に尋ねた。


「男の姿をしているのは何か理由があんの?」


 神様はこの世界そのものが人の姿となって現れた存在であり、姿は自由に変えられると言っていた。


「女の姿をしていた時期もあった。だが一度強姦されそうになり、それ以来男の姿でいることにした」


「はは、それは大変だったな……」


 佑梨は思わず苦笑いを浮かべる。


「そんなことより、お前は何しに来たんだ?」


「クイズのことで右京と相談しようと思って。話し合うのはアリなんだろ?」


「問題ない」


 神様は簡潔に答えた。会話が途切れ、二人は黙って歩き続ける。夕暮れの森の中を神様に導かれて進むなんて、やっぱりおとぎ話みたいだなと歩きながら思った。



 ほどなくして例の施設に着き、中に入った。まずは食堂のような大部屋を横切って行く。医学の発展のために首を切断された哀れな死刑囚たちもここで一時を過ごしていたのだろうかと思うと、不思議な気持ちになる。あるいはカモフラージュのようなものか。なぜかぬいぐるみまで打ち捨てられているのが不気味だ。


 それから地下へと続く階段を下り、長い廊下を歩いて行く。数ある部屋のうちの一つの前で神様は立ち止まった。


「ここが右京の部屋だ」


「ありがとう。帰りも送ってくれるのか?」


「お前にここをうろつかれても邪魔だからな。終わったら適当に玄関へ向かえ」


 そうすれば神の力で感知して来てくれるのだろうか。スマホ要らずの便利な力だ。


「分かった。それじゃあまた」


 神様は頷き、どこかへ去っていった。佑梨は部屋のドアの方へ向き直る。神様がいなくなった途端に緊張してきた。別人とはいえ、元カレである右京と二人きりで会うのだ。それはこの世界に来る前夜、レストランで振られたとき以来のこと。一度深呼吸をしてから、意を決してドアをノックした。


 数秒後、ドアが少し開き、隙間から右京が顔を覗かせた。


「やあ、君か」


「こ、こんにちは」


 平然を装うつもりが、声が若干上擦ってしまった。


「神様がドアをノックすることなんてないから、何事かと思ったよ」


「ごめん、いきなり来ちゃって」


「いいよ。中に入って」


「前もって言ってなかったから、私は他の部屋でもいいけど」


「構わないよ。さあどうぞ」


「あっ、うん。じゃあ、お邪魔します」


 鼓動を高鳴らせながら足を踏み入れる。そこは病院の個室を広くしたような部屋であった。内装は白が基調で無機質だが、デスクやベッドなど、様々な家具や電化製品があり、生活に必要なものは一通り揃っているように見える。


 佑梨は室内を見回して尋ねた。


「この部屋で生活しているの?」


「この施設の研究者はここで寝泊まりしていたようなんだ。一番いい部屋を使わせてもらっているのさ」


「ふーん」


 佑梨と春香が泊まらせられた部屋は良くない部類の部屋だったのかもしれない。佑梨がどうすればいいのか分からず立ち尽くしていると、右京がデスクチェアに腰掛けて言った。


「悪いけど、この施設は客人を招くことを想定していなくてね。座るものがないからそこのベッドに座ってくれないか」


「うん。ごめん、こちらこそ」


 佑梨は言われるがままベッドに腰を下ろす。その行為は彼女のことを余計に緊張させた。


「それで、今日はどうしたんだい?」


 なんだか気さくなお医者さんと、診察を受けに来た患者みたいになっているなと思った。


「神様のクイズの答えが分かりそうにないから、情報交換させてもらおうと思って。神様も相談するのは問題ないって言ってたから」


「なるほど」


「右京はもう答え分かったりしたの?」


「いや、さすがに昨日の今日じゃ無理だ。相談するのはいい考えかもしれない」


「じゃあ、まずは言い出しっぺの私からね」


 佑梨は自分の持っている情報や考えを全て話した。この世界に来てから現在に至るまでの経緯、神様から聞いた話、神様が関わっている孤児院に宮代佳代がいたこと。何がヒントになるか分からないので、出し惜しみすることなく右京に伝えた。


「でね、なぜ人は死んだら死紙になるのかじゃなくて、なぜあの神様は人が死んだら死紙になるようにしたのかを考えればいいと思ったわけなの」


 昨日春香と話し合ったことだ。右京は興味深そうに佑梨の話を聞いていた。


「なるほど。そういう観点では考えていなかったよ」


「例えば、あれが本物の神様だとしたら、人類が誕生した頃から死紙を集めさせていたのかな」


「いや、そもそも人類が紙を発明する前から、人が死紙になっていたと思うかい?」


 右京は薄い笑みを浮かべて言った。


「人類が紙を発明する前から……?」


 言われてみると違和感がある。そんな大昔の人間が死んでも手紙に変化し、そこに文字が書かれているというのは。


 佑梨は首を傾げて尋ねた。


「もしかして、古代の人は死んでも死紙にならなかったということ?」


「死紙にはならなかった……が、その代わり別のものになっていた」


「別のもの?」


「例えば、石板に文字を書いていた人間は石板になり、粘土板に文字を書いていた人間は粘土板になったらしい」


 この世界では周知の事実なのだろうか。だが佑梨はまだ知らなかった新事実に目を丸くした。


「じゃあ、遠い未来に紙というものが全く使われなくなって電子機器だけになったら、死紙じゃなくてタブレットになるってこと? 凄いじゃん」


「はは、それがタブレットとしてちゃんと使えるのか大いに疑問だけど、そういう形になるという説も確かにあるね」


 佑梨は冗談のつもりで言ったのだが、どうやら本当にそういう可能性もあるらしい。


 それから二人は少しの間黙って頭の中を整理した。やがて右京の方から先に口を開いた。


「僕の考えでは、人類が死紙になる前の石板や粘土の時代には、神様はそれを集めてはいなかったと思う」


「どういうこと?」


「神様はいつでもどこでもそれを読むことができたんだよ。何かに刻まれた文字ならね」


 佑梨はその理由について自分で考えてみた。そして、すぐに理解することができた。


「まさか……例の力で?」


「そう。この世の物体の形や動きを感知する力。それを使えばどこにいても、点字を指で触るように文字を認識することができたんだ」


「でも、人間が言語を紙に記す時代になったら、死に際の想いが石板や粘土ではなく死紙に綴られるようになってしまった……」


「その結果、神様は力を使ってそれを読むことができなくなってしまったというわけさ」


 現在、神様は春香に死紙を集めさせている。佑梨に死紙の内容を訊いたこともあった。


「うーん。結局、この顛末は一体何を意味しているんだろう?」


 腕を組んで頭を捻る佑梨。すると、右京はなぜか重々しい口調で言った。


「つまり、神様にとっては誤算だったのかもしれない。人類がここまで高度に進化してしまったのは」


 佑梨は相槌も打たずにしばらく黙孝した。何か重要なことに辿り着きそうな予感がしたからだ。だが結局何も思い浮かばなかった。迷路の分かれ道の中から一つを選んで、しばらく進んだが行き止まりだったときのように。


 その後も話し合ったが、クイズの答えは分かりそうになかった。右京もヒントになりそうな情報はもう持っていない。


 だが実りのない時間だったのかと問われると、そうではない。佑梨の元恋人とは別人であっても、右京と一緒にいるのはやっぱり楽しい。そんな風に思えたのは随分と久しぶりな気がした。またこうして彼と普通に話せる日が来るなんて、振られたあとは夢にも思っていなかった。まるで奇跡のようだ。


 議論し尽くし、どうしようかという空気になったところで、突然佑梨の腹の虫が鳴った。恥ずかしくて俯いていると、右京は笑いを堪えきれずに声を漏らした。


「今日はもうこの辺にしておくかい?」


「あっ、そうだね……」


 本当はゲームの相談以外にも色々なことを話したかったが、あまり長居するのも右京に悪い。とりあえず一番の目的を果たすことはできたから良しとすることにする。


「君とはまた会いたいな。連絡先は交換できる?」


 思いがけない誘いに佑梨の表情が明るくなる。彼とはもう、ゲームの決着まで会えないと思っていたからだ。


「うん、いいよ!」


 佑梨が持っているのは二台持ちの春香から借りているスマホだが、不要になったら削除すればいいと思い、了承した。


「今度はこんな場所じゃなくて、もっとマシなところにしよう。山の外にも人目につかない場所はあるから」


「えっ。うん、そうしようか……」


 佑梨はこの世界では死んだことになっている。だから人目につかない場所にするしかないということは分かっているのだが、別の世界では恋人だった相手にそういうことを言われると、思わず胸が高鳴ってしまう。


 佑梨にとっては、自分を振ったという事実がなかったことになって右京に会うことができる。右京にとっては、自殺してしまったはずの元恋人がまた元気な姿で彼のもとを訪ねてくれる。お互いにとって実に都合のいい関係だ。


 連絡先の登録が済み、佑梨はベッドから立ち上がる。右京の前を通り過ぎ、部屋から出ようとすると、彼がまた声をかけてきた。


「そういえば、今日は春香さんは一緒じゃないんだね」


 佑梨は振り返って小さく笑った。


「ああ。春香、あんたのこと怖がってたよ」


「はは、やっぱり悪いことしたかな」


「ホントだよ。どうして無理矢理眠らせたりなんかしたの?」


「いくら神様の頼みでも、春香さんは僕にとっては未知の存在だったから。確実に君たちを分断できる方法を取ったのさ」


「付き合い短い私が言うのも変だけど、春香は悪い人じゃないよ」


「そうか。君がそう言うのなら、きっとそうなんだろう」


 未知の存在。妙に引っ掛かる表現に聞こえた。だが佑梨にとっては未知で満ちている世界だ。些細なことだと思い、すぐに彼女の意識の外へ零れ落ちた。ドアを開けて、今度こそ右京に別れの挨拶をした。

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