第3章
人はなぜ死んだら手紙になるのか
午前中は頭と体の休息も兼ねて家でゆっくりと過ごした。佑梨はネットでこの世界の情報について調べたり、ベランダで煙草を吸ったりした。春香は部屋の掃除や洗濯をしていた。
お昼時になると、今日は佑梨が春香に昼食を作ってあげることになった。メニューはペペロンチーノのスパゲッティ。春香は佑梨の作った料理を食べて「ちゃんと料理ができるなんて思ってなかった」と微笑んだ。
腹ごしらえが済んだところで、神様のゲームについて腰を据えて考えることにした。出題は、人はなぜ死んだら手紙になるのか。
「協力するとは言ったけど」
春香が真面目な顔で話し始める。
「これは、これまで人類の誰もが解けなかった謎。私たちじゃ分かりっこないかもしれない」
「マジで?」
「ミステリーや謎解きゲームだったら、考えれば答えを導き出せるようにはなっている。でも神様は『クイズ』とか『言い当てる』っていう表現をしていた。最初から知っているか知らないかが全てで、考えて分かるような正解ではないのかもしれない」
「うーん、わざわざそんな答えのクイズにするかな。そんな正解だったら、ゲームとして成り立たないと思うけど」
「例えば、世界の外側から世界全体を見渡さないと理解できないような答えなのかもしれない」
本当にそんなクイズだったらお手上げだ。
「けど、当てずっぽうでも当てるしかないよ。帰る方法はそれしかないんだから」
佑梨は額に指を当てて唸る。すると、思いの外すぐに閃くことができた。
「待て、春香。思いついた」
「えっ、まさか答えが?」
「そうじゃないけど、取っ掛かりになるようなこと」
「言ってみて」
「私たちと他の人には一つ、決定的な違いがある」
「ああ、佑梨が他の世界から来たってこと?」
「いや、それは今のところあまり関係ないと思ってる。一番重要なのは、私たちは
「……どういう意味?」
春香は眉をひそめた。
「仮にあれが本物の神様だとしたら、世界を創ったり、人間が死紙になるようにしたのもあの神様なのかもしれない。つまり、なぜ人は死んだら死紙になるのかじゃなくて、なぜあの神様は人が死んだら死紙になるようにしたのかを考えればいいんだよ」
「確かに……神様は実際に死紙を集めさせている」
「今朝、神様と一緒に山から出るとき、春香は『神様はどうして死紙を集めているのか』訊いて、神様は『ゲームの答えに関することは教えられない』と言った」
「そうだったね。じゃあやっぱり関係しているんだ」
「実際に死紙を届けている春香なら、どうしてか予想つかないか?」
「どうしてかって……読むためじゃないの? 手紙なんだし」
「まあ、そりゃあそうなんだろうけど、それだけじゃそのまんますぎてクイズにならないと思う。他にも何かあるような気がするんだけど……」
「うーん」
二人揃って腕組みをして黙り込む。しばらくの間言葉を交わさずに考えてみたが、解答が思い浮かぶ気配はない。佑梨は甘いものでも食べて仕切り直そうかと思い始める。だがそのとき、春香の方がようやく口を開いた。
「右京……だったよね、佑梨の元カレ。彼とも相談するのはどう?」
「右京!? でもあいつって、ゲームの対戦相手なんだろ?」
「神様はそう言っていたけど、二人とも正解しても二人とも勝ちだし、協力を禁止するルールはない。つまり、相談したり情報交換したりした方が解答者二人にとって断然有利なんだよ」
佑梨は春香の意見について考えてみた。
テレビのクイズ番組で例えれば早押し問題ではなく、それぞれが解答をフリップに書き一斉に見せるタイプの問題。だがこのゲームでは解答者同士で相談することもできる。その結果両者が同じ答えでも違う答えになっても問題はない。相手を騙すメリットもない。ただ選択できるのは、協力するか否かということだけだ。
「なんか意図が隠されているみたいで気味悪いな……。まるで、
しかもその上で、神様は右京のことを対戦相手だと言っているのだ。最初はシンプルなルールだと思っていたが、それだけではない不可解さが見え隠れしている。
「でも、どっちにしろ私たちじゃ手詰まりか……」
一か八かだが、春香のアイディアを採用してみようと思った。確かに右京は死紙のことについて詳しく知っていそうだ。
佑梨は春香に尋ねる。
「右京のところに行くには、また死紙を山に持って行って神様について行かなくちゃいけないんだよな」
同じ方法で来い、というようなことを神様が言っていた。
「明日、私が死紙を回収しに行くよ」
「えっ、明日?」
「神様から、もう次の依頼が来てるから」
春香はスマホを手に持って言った。神のゲームとは別に、通常の業務は春香に指示しているらしい。
「それなら私も行くよ」
「佑梨は駄目。世間では死んだことになってるんだから、あちこち歩き回らないで」
「えぇー、それじゃあここでお留守番か?」
「県外だけど日帰りで行ける場所だから、大人しく待ってて」
「うーん、分かった」
「じゃ、決まりだね」
次の方針が決まり、話し合いは一旦お開きとなった。
夜はゲームについて議論せず、日常的な時間を過ごした。テレビをつけると、ニュース番組で見覚えのある風景が映った。
「あっ、ここって!」
それは宮代佳代の失踪のニュースであった。とある児童養護施設の女の子が行方不明になり、近くにある海辺で彼女の着ていたと思われる服が見つかった。ワンピースは血塗れで、傍には包丁も落ちていた。死紙は見つかっていない。警察は自殺の可能性が高いと見て捜査を進めている。
春香も驚き、目を見開いていた。
「この子の孤児院、私が行ってたところだ……」
「えっ」
短い時間だが児童養護施設の映像も映った。春香は懐かしそうに目を細めて呟く。
「神様が経営に携わっているところ」
「神様、佳代のこと知っているようだったけど、孤児院の子だからだったんだな」
山の中に引きこもりながらどういう風に関わっていたのかは不明だが。
「なんであんな子供が自殺したのか疑問だったんだけど、やっと腑に落ちたよ。あそこでは密かにいじめが蔓延しているから……」
「あ……」
春香も孤児院でいじめられていたという話を以前に聞いた。どこか悲しそうにしている春香を見て、佑梨も暗い気持ちになってしまう。
「私、このまま佳代の死紙持ってていいのかな。やっぱり返した方がいいのかも……」
「それがないと元の世界に帰れないって神様言ってたでしょ。罪悪感あると思うけど今は耐えて」
「うん……」
「私がついてるから」
「ありがとう」
力なく笑う佑梨。ニュースはいつの間にか次の話題に移っていた。
就寝前、佑梨がソファーで寝転がろうとすると春香が言った。
「ソファーだと疲れるでしょ。一緒にベッドで寝ていいよ」
「あっ、ああ……」
妙な感じはするが、昨夜も一つのベッドで一緒に寝てしまったので、まあいいかと思った。それに、二人ともさっきのニュースのときの空気を引きずってしまっているから断りづらい。佑梨は照明を消したあとベッドに乗り、春香の隣に横たわった。やっぱり体が近い。春香という存在を至近距離で感じる。
「じゃあ、おやすみ」
それだけで言って、春香は瞼を閉じた。さすがに今日も手を握るということはないようだ。佑梨も思ったほど緊張しなかった。春香の息遣いを聞くとむしろ安心する。それからほどなくして、穏やかな眠りに落ちた。
次の日、春香は朝早くに家を出発し、佑梨はそれをちゃんと見送った。仕事に出かける夫とその妻みたいだなと少し思った。
春香は午後二時過ぎに帰って来た。
「ただいま」
「おかえりー、早かったな。ご飯にする? お風呂にする? それとも私?」
「何言ってんの」
春香は呆れ顔だ。
「一度でいいから言ってみたかったんだ」
「はいはい」
軽くあしらいながらバッグの中を見る。それから白い封筒を取り出して佑梨に差し出した。
「はい、これ」
「死紙?」
「うん、今日は迷わずに見つかった」
佑梨は受け取った封筒を開けずにじっと見る。春香は不思議そうに尋ねた。
「中身見ないの?」
「私に関係のない人なら別にいい。むやみに見ちゃいけない気がする」
「そう」
春香は口元に微かな笑みを浮かべ、ソファーに身を沈める。佑梨も隣に座って言った。
「少し休んだらもう山に行く? それとも明日にする?」
「いや、私は遠慮しとくよ」
「えっ、春香は来ないのか?」
「私、あの人ちょっとトラウマだし。それに、私がいない方が二人は話しやすいんじゃない?」
言われてみればそうかもしれない。右京には、
「神様とも会えるのに」
「だから、それはいいって」
「分かった。でも今日は、私たちすれ違いだな」
「大袈裟だよ。何日も離れるわけじゃないのに」
「それもそうか。それじゃ、早速行ってくるよ。帰り遅くなりそうだったら連絡する」
「うん」
佑梨は居ても立っても居られないという様子で身支度を整える。準備ができると玄関で靴を履き、春香の方を振り向いた。彼女は見送るように後ろに立っている。佑梨は春香の顔を見て、思い出したように言った。
「よく考えたら、このゲームの勝敗に私の世界の命運がかかってるんだよな」
「そうだね、責任重大だよ」
「私が負けたら世界は永遠に終わったまま。私が勝ったら……」
「佑梨は世界を救う勇者になる」
春香は不敵な笑みを浮かべる。
「それも大袈裟……ってことはないのかな」
「頑張ってね」
「……おう!」
佑梨も微笑み、力強く頷く。そして扉を開け、再び神の山に向かって歩き出した。
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