最後の瞬間まで
佑梨は絶句した。右京の話は想像するだけでもおぞましく、気分が悪くなる。
「つまり、本質的に死紙に変化しているのは脳の部分ということだよ」
人間というより、脳が死んだら手紙になっている。海辺で佳代が死紙になったときのことをふと思い出した。体が光の粒に変化し、それらは確かに佳代の頭部の位置に集束し死紙が現れた。死んだときに頭と体が繋がっていれば、脳以外の部分は全て光に包まれて脳に集まるということなのか。
「今の話って、クイズのヒントになってる気がするけど、教えちゃって良かったのか?」
「構わないさ。両者が正解しても両方とも勝者になるんだろ?」
「ああ、そうだったな」
「君の世界が羨ましいよ。人間が死んでも手紙にならないで死体が残るなんて。きっとこの世界よりもずっと脳科学が進歩していることだろう」
今度は春香を山の中で助けて話したときのことを思い出した。滅茶苦茶だと思っていた話が一つ腑に落ちる。
「ねぇ、死紙を持ち去ったら死刑になる理由って……」
「死刑になるのは死紙持ち去りだけじゃないけどね。この世界では、医学の未来のためにできるだけ多くの死刑囚が必要なんだよ」
なんという世界なんだろう。初めは奇妙なパラレルワールドくらいにしか思っていなかったが、その裏側は仄暗く血に塗れている。佑梨は血の気が引くのを感じた。
右京は神様の方を振り向いた。
「こんなことをしなければならないのも、神様が難儀な世界を創ってしまったせいさ」
人が死紙になってしまうのも、この神様のせいだと言うのだろうか。神様は何も言わず、表情も変えない。右京は微笑み、部屋の出口へ向かった。
「それじゃあ、今度こそ僕は行くよ」
そして、ドアの前まで行ったところで振り返った。
「春香さん、昨日は悪かったね。無理矢理眠らせてしまって」
いきなり話しかけられ、春香は無意識のうちに右京の顔から目を逸らした。
「別に、もういいです」
春香が呟くように言うと、右京は軽く会釈をして部屋から出て行った。佑梨は黙ったまま見送る。
続けざまに神様が佑梨と春香の前に立った。
「では、俺たちも行くぞ。ついて来い」
二人は顔を見合わせて頷き合い、神様について行った。
昨日は真っ暗だったのに、今日は廊下に照明が点けられていた。施設の出口へ向かって、神様の後ろを歩いていく。すると、隣に並ぶ春香が話しかけてきた。
「佑梨、あなたってさ」
「うん?」
「男の趣味悪いよね」
佑梨は思わずずっこけそうになった。先ほど会った右京は、死刑囚の頭が切断されているという話を笑いながらしていたのでそう思うのも無理はないが。
「いやいや、付き合ってたのはあいつじゃないから、別人だから。私の世界ではあんなんじゃなかったから」
反論しながらも思った。元の世界も人が死ぬと手紙になる世界だったら、元カレの方も同じようになっていたのだろうか。医学に詳しい点は同じらしい。絶対にそうならないとは言い切れない。
春香は興味を失ったのか、つまらなさそうに相槌を打った。
「ふーん、そうなんだ」
地下のフロアを抜け、階段を上って一階に出る。食堂のような部屋には、窓から陽の光が差し込んでいる。廃墟のようであることには変わりないが、真夜中に入ったときとは随分と印象が違って見えた。
神様が金属製の扉を開け、三人はようやく外の世界に出ることができた。深緑の木々によって瞳が癒され、澄んだ空気が体の隅々まで浄化してくれるような気がした。佑梨と春香は揃って深呼吸をし、手足を伸ばして筋肉をほぐした。
「森の出口まで送ってやる」
神様はそう言って再び歩き出し、二人も続いた。神様の後ろを歩きながら、今度は佑梨が春香に話しかけた。
「春香、せっかくだし神様ともっと話してみたら? 訊きたいこととかないの?」
「あっ、うん……そうだね」
春香は少しだけ迷ったあと、小走りで神様の隣に追いつき、声をかけた。
「神様」
「何だ?」
「神様はどうして死紙を集めているの?」
「ゲームの答えに関することは教えられんな」
春香はもう丁寧語ではなく親密になろうとしているが、神様の口調はぶっきらぼうなものだ。
「お金はどうやって稼いでるの?」
「人間どものルールに則って調達している」
「死紙を運ばせる人に私を選んだのはなぜ?」
「さあな。自分で考えろ」
佑梨は後ろから二人のやり取りを聞いていた。春香は、憧れの先輩に一生懸命話しかけている女学生のように見えた。あるいは親に質問攻めしている子供。微笑ましくはあるが、佑梨が狙っていた展開にはならず苦笑いを浮かべてしまう。
昨夜神様を追いかけるときに放置した荷物を回収したあと、ほどなくして木々の間の向こう側に町の景色が見えてきた。神様を追いかけている間は距離が長く感じられたが、神様がくねくね曲がりながら走っていたせいらしく、真っ直ぐに歩くとそれほど遠くはなかった。人が行き来する施設なのだから当然と言えば当然だが。
「それでは、俺はここまでだ」
「ああ、ありがとな」
佑梨は送ってもらったことに対して素直に礼を言った。春香はまたもや神様に質問をぶつける。
「神様も町に来ることはあるのか?」
「俺は決してこの山からは出ない。前にも言ったが、人目に触れたくないからな」
「昔からずっと住んでいるの?」
「そんなことはない。日本以外の国にいた時代もあった。それぞれの時代にそれぞれの使いがいて、死紙を届けさせていた」
壮大なスケールの話をさらっと口にする。隣で聞いていた佑梨が口を挟んだ。
「ちなみに、地球以外の星にご滞在になられていたことは?」
「宇宙のどこかに、地球のように生物がいる星が他にあってもおかしくはない……。そう思っているのかもしれんが、事実を言ってしまうとそんな星は存在しない。この世界では、生命が存在するのはこの星だけだ」
「はは、それはなんというか……夢のない話だな」
「お前ら人類の夢など、俺が知ったことか」
地球外生命を探している研究者たちに向けて心の中で合掌をした。
「それじゃ、勝ったら本当に元の世界に帰してくれるんだよね?」
「ああ、佳代の死紙は手放すなよ。それがないと無理だからな」
「そうか、分かった。ではでは」
そう言って踵を返そうとする。
「あのっ」
春香がいきなり声を上げた。まだ何かあるのだろうか。神様に向かって、おずおずと話しかける。
「ゲームが終わったら、神様とまた話がしたい。今度は、ゆっくりと……」
「分かった」
意外なことに神様はあっさりと了承した。春香は思わず顔を綻ばせる。
佑梨と春香は小さく手を振った。神様は何もせず、相変わらず表情すら変えないまま森の中へと去って行った。二人は顔を見合わせ小さく笑う。
なぁ、と佑梨は春香に問いかける。
「何?」
「花畑が見える家で暮らすっていう夢、神様と一緒に叶えた方がいいんじゃないのぉ?」
ニヤニヤしてからかう佑梨。春香は頬を膨らませる。
「だから、そういうんじゃないって」
「ふぅん」
佑梨は嫌らしい笑みを崩さない。二人は小突き合いながら、神様の山から人間の町へ向かって歩き出した。
春香のアパートに帰ると、いの一番にシャワーを浴びた。先に春香が入り、次に佑梨が入った。昨夜はお風呂に入れなかったから髪や体を丹念に洗う。綺麗な部屋着に着替え、二人でソファーに座って牛乳と一緒にパンを食べる。食後のコーヒーを一口飲むと、ようやく安堵の息をつくことができた。
「はぁー、やっぱり我が家が一番だ」
佑梨はそう言って顔を綻ばせる。春香も穏やかな表情で相槌を打った。
「そうだね」
「今のは、ここは私の家でしょって突っ込んでくれないと」
「ああ、そうだった」
「それにしても予想以上に大変だったな。まさか元カレに出くわすことになるとは……別人だけど」
「あの人、私を薬で眠らせたし」
そう言われると、佑梨はなぜか自分のことのように申し訳なく思った。この世界の右京とは何の関係もないというのに。謝るのも変なので話題を変えることにした。
「でもやったよ! 元の世界に帰れるかもしれないなんて!」
笑顔で春香の方を向く。しかし春香の表情には、悲しみと困惑が薄らと浮かんだ。
昨晩寝る前にもしていた、二人でずっと一緒に暮らすという話。もしかしたら結構真剣だったのだろうか。だがそれは、佑梨にとってはあくまで元の世界に帰れなかったらの話だ。可能性があるのにそれを放棄することはできない。
春香はコーヒーの液面をじっと見つめながら、呟くように言った。
「元の世界に帰ったら、もう二度と会えなくなるんだよね」
佑梨も笑顔を引っ込めて、コーヒーの焦茶色に目を落とす。
「そうなると思う」
「寂しいな。せっかく友達になれると思ったのに」
「えっ」
佑梨はもう一度春香の横顔を見る。少し考えてから、勇気を出して切り出した。
「もう友達ってことじゃ……駄目か?」
春香も顔を上げて、佑梨のことを見た。
「……いいの?」
「確かに私たちは出会ってから数日しか経ってないし、お互いのこともそんなに知らない。でも、こんなに濃密な日々は生まれて初めてだ。お互いのことは、まだ一週間あるんだからこれから知ればいい」
「今から知ったって、一週間後には別れなくちゃいけないんでしょう?」
縋るように問いかける春香。だが佑梨は彼女に向かって優しく微笑みかけた。
「そうだな。だからこそ残りの一週間、私は春香と楽しく過ごしたい。これは神様がくれたゲームだと思えばいいよ。ゲームっていうのはね、楽しく遊ぶためにあるんだから」
「佑梨……」
「それで春香と仲良くなって、一週間後にちゃんと笑ってお別れができたら、この経験は私の人生で一番の思い出になるかもしれない。男なんかよりもな。こんなの一生忘れられないよ」
春香は佑梨の考え方に少し驚いているようだ。しばらく言葉を失っていたが、やがて口を開いた。
「分かった」
ようやく春香の口元に小さな笑みが浮かぶ。
「そういうことなら、私も協力するよ」
「おう、よろしく!」
佑梨は満面の笑みで返してあげた。
一緒にいられる最後の瞬間まで、春香と過ごす時間を大切にしたいと思った。死の匂いが仄かに漂う薄暗い世界で、彼女だけが一輪の花のようにそっと寄り添ってくれているのだから。
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