神のゲーム

 翌朝、目が覚めると目の前で誰かが寝ていた。春香と一緒に寝たのだから当然なのだが、それを思い出すまで暗闇の中でしばし混乱した。手探りで壁にある照明のスイッチを押す。部屋が明るくなり、春香も起き上がった。


 春香は眠そうな声で言った。


「おはよう」


「おはよう、今何時か分かる?」


 そう言われ、春香は傍らに置いていたスマホを見た。


「もう九時」


「こんな場所でがっつり寝ちゃったな」


 佑梨もベッドに座り、春香の顔を覗き込んで言った。


「今日はどうすればいいんだろう。ここで待ってればいいのかな」


「だと思う。神様の話が本当なら、私たちが起きたことも感知しているんでしょう」


 神様の不思議な力についても昨夜春香に教えてあげた。彼女もとりあえずその話を受け入れているようだ。なかなか肝が据わっている。


 適当に雑談をしながら待つことになったが、春香の話し方が友達言葉から丁寧語に戻ることもなかった。表情でも「もうこれでいくから」と言っているような気がした。昨夜の一時的なものではなかったようだ。佑梨としても、春香と親密になれたような感じがして悪い気はしなかった。


 やがて部屋のドアが開き、二人の予想通り神様がやって来た。佑梨は頰を膨らます。


「女がいるんだからノックくらいしろよ」


「うるさい黙れ」


 きつい言葉の割には抑揚のない声だ。神様はベッドに座っている佑梨の前に立ち、無表情で見下ろした。


「お前、元の世界に帰りたいか?」


「ふえっ、帰れるの!?」


 前置きもなくいきなり本題が始まり、佑梨は素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ああ」


「私の世界は完全に停止したって言ってたけど……?」


「世界を戻してそこへ帰る方法はないこともない」


「どうやって!?」


「教えてやってもいいが、人間ごときにタダで教えるのもつまらない」


 やっぱりね、と佑梨は思った。何か取引や交換条件を持ちかけられると薄々予感していた。


「どうすればいいんだ?」


「俺とゲームをしようじゃないか」


「ゲーム?」


「ゲームと言ってもややこしいルールはない。ただのクイズだ」


 クイズ遊びなんてなんだか子供みたいだなと思った。どんな問題なのか全く想像がつかない。しかし今の状況では、挑戦する以外の選択肢はない。


「……分かった。とりあえず問題を出してみて」


「慌てるな。制限時間は一週間後の正午までにしてやる」


「一週間!?」


 解答に一週間もかかるクイズとは何なのだろうか。やはり簡単に元の世界に帰す気はないようだ。物凄く難しい問題なのかもしれない。


「ちなみに、ゲームなので対戦相手も用意する」


「た、対戦相手?」


「春香のことを眠らせた、俺の知り合いだ」


 昨夜神様を追跡していたら、春香の背後にいきなり現れたあの人物。


「おい、大丈夫なのか? そんな奴で」


「安心しろ。春香に危害は加えるなと釘を刺してある」


 その割にはかなりグレーゾーンのように見えたが。春香と顔を見合わせると、彼女の顔に緊張感が走っていた。佑梨も安心どころかどんどん不安になっていく。


「ちょうど来たな」


 神様は後ろを振り向き、部屋のドアに視線を向けた。ドアはまだ閉ざされたままだが、物体を感知する力で誰かが向かって来るのが分かるのだろうか。佑梨と春香は息を吞み、ドアが開くのを待つ。数秒後、ドアノブを回す音が聞こえた。ドアがゆっくりと開き、隙間からその人物が姿を現した。


「あぁっ……」


 佑梨は驚きのあまり、目を見開いた。言い知れぬ感情に手足がわなわなと震える。息苦しくなり、呼吸が短く浅く早くなった。春香は不思議そうに佑梨と彼を交互に見た。佑梨はそれに気付くこともなく彼を凝視し続けている。


「な、なぜあんたがここに……?」


 その人物は、佑梨の元カレであった。名は西山右京。佑梨の前に立つと、喜びと悲しみが入り混じったような表情で彼女を見つめた。


「佑梨、本当に君だったんだね」


 忘れもしない、穏やかで柔らかい声。彼はこの声で佑梨に別れを告げた。煌びやかな土曜の夜の、レストランの中で。


 佑梨が何も言えずにいるので、右京は続けた。


「君が死んでしまったと神様から聞いたときは本当に悲しかった。でも、別人でもこうして生きた君にまた会うことができてとても嬉しいよ」


「えっ……」


 何を言われているのかよく理解できない。元カレがパラレルワールドのこんな山中の施設に突然現れ、頭の整理が追いつかない。


 佑梨が困惑していると、神様が補足するように口を挟んだ。


「分かっていると思うが、こいつはこの世界の住人だ。お前の世界の人間ではないぞ」


「あっ、ああ……」


 ようやく理解が追いつく。佑梨と付き合っていた彼ではなく別人。この世界の方の佑梨と付き合っていたのだろう、彼女の部屋にあった写真にツーショットで写っていた。


「って!」


 状況把握と同時に重要なことを思い出した。


「あんた、この世界の私に何したんだ? そいつ、自殺しちまったじゃねーか!」


 佑梨は真剣な眼差しで右京に詰め寄る。


、私に何を言ったんだ!?」


 右京は動じることなく、しかし彼も真剣な顔つきになって答えた。


「悪いけどそれは僕と佑梨の問題だ。君には関係ない」


「さっき私のことを佑梨って呼んだくせに!」


 佑梨の興奮は収まらない。すると、再び神様が後ろから口を挟んだ。


「おい、痴話喧嘩ならあとにしろ。まだゲームの説明の途中だ」


 右京は後ろを振り向き、三人の視線が神様に集まる。神様は話を続けた。


「こいつはお前にとってはただのゲームの対戦相手だ。それ以上でもそれ以下でもない。ちなみにこいつが勝ったら、お前と同じようにこいつの望みを叶えることになっている」


「ふぅん……」


 右京の望みが何なのかも気になったが、とりあえず黙って話を聞くことにする。


「お前らのせいで話が脱線したが、ゲームの問題を出すぞ」


 神様は佑梨と右京の顔を順番に見た。佑梨は部屋の空気が張り詰めるのを感じた。


「出題はこうだ。なぜ人は死んだら手紙になるのか? 正解を言い当てたら、お前らの望みを叶えてやる」


 なぜ人は死んだら手紙になるのか、だって? そんなこと知るはずがない。


 佑梨は一瞬、自分に不利な問題であると考え焦った。だが以前に春香が、人が死紙になるのは神の力によるものだと言っていたのを思い出した。雲を掴むような話であることは、この世界の人間にとっても同じ。それを一週間で解明しなければならないゲームということだ。


 右京と春香も黙って考え込んでいるようだったので、先に佑梨が口を開いた。


「それはどういう原理で死紙になるのかっていうメカニズムを当てろってこと? それとも、なぜそういう機能があるのかっていう理由って意味?」


「問題の意味の解釈は各々に任せる。解答は早い者勝ちではない。一度帰って一週間後にまたここに来い」


「帰り方も行き方も分からないんだけど」


「山の出口付近まで送ってやる。来るときは、昨日ここに来たのと同じように来ればいいだけだ」


「えぇ……」


 またどこかで死紙を回収して山の中に埋め、取りに来た神様を追いかけなければならないのだろうか。佑梨はげんなりした。


「なんかだるいな。なんで、人が死んだら手紙になる理由なんか考えなくちゃいけないんだか」


「それは、お前が元の世界に帰る方法と深く関わっているからだ」


「はぁっ!?」


 佑梨は驚愕した。


 どういうことだ? 本当に何なんだこの世界は!?


 言葉を失っていると、今度は右京が質問をした。


「二人とも正解したら勝敗はどうなるんだい?」


「その場合は両者の望みを叶えてやる」


「気前がいいんだね」


「神だからな。訊きたいことはそれだけか?」


「ああ」


 右京が頷くと神様は視線を移し、佑梨の目を見た。神様に訊きたいことならいくらでもあるが、このゲームに関してはとりあえずない。


 しかし、佑梨はふと思い出し、春香の方を向いた。


「春香は参加しなくていいのか?」


「え、私?」


 春香にはその気がなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。けれど、彼女は悩まずすぐに答えた。


「私はいいよ。私は、自分の願いは自分の力で叶えたいから」


 春香の瞳には、昨夜に夢を語ったときと同じような静かな強さが感じられた。


「分かった」


 佑梨もこれ以上は何も言わずに頷く。


 ようやく話がまとまった。神様は右の手のひらを前方にかざし、ゲームのスタートを宣言する。


「いいだろう。それでは、ゲーム開始だ」


 右京が佑梨に向かって言った。


「それじゃあ僕は先に戻るよ」


「戻る?」


「ああ、ここは僕が管理している施設だからね。ここに住んでいるんだよ」


「えっ、こんなところに? ていうか、神様のアジトなのかと思ってた」


 神様が後ろから口を挟む。


「俺は間借りしているようなものだ。神が人目につくわけにはいかないからな」


 右京と関わることは問題ないのだろうか。なんだか不思議な関係だ。


「あっ、そうだ」


 佑梨は昨日から気になっていたことを思い出した。


「首がないミイラみたいなのが転がっていたんだけど、あれは何? 死体だとしたらどうして死紙にならないんだ?」


 右京はふっと息を漏らし、微笑んだ。小馬鹿にされているような気がしてちょっと腹が立つ。


「君が他の世界から来た人間だなんて聞いたときはビックリしたけど、確信したよ。神様の言うことはやはり真実なんだって」


「どういうこと?」


「まず後者の質問から答えよう。死んでも死体が部分的に残る死に方というのが存在するんだよ」


「それが首なしってこと?」


「そう。首を切断されるという死に方をした場合、頭部だけが死紙になり、体の方はそのまま残る」


 佑梨は息を吞んだ。嫌でも恐ろしい光景を思い浮かべてしまう。


「じゃあ、あのミイラも頭だけが死紙になって、体は放置されたものだったのか……」


「そう。そこで前者の質問に戻る。そのミイラは一体何なのか。答えはこの施設の正体にある」


「この施設……そうだな、ここもどういう場所なのかよく分からない」


「ここはかつて処刑場兼研究施設だった場所なんだよ。もう放棄されているけどね」


「処刑って……まさか首を切ってるのか!? 現代の日本で!?」


 ぎょっとして思わず声が大きくなる。


「そう。君の世界のように、死んでも死紙にならない世界だったらその必要はないのかもしれない。でもこの世界ではそうしなければならないんだ。なぜだか分かるかい?」


「……もしかして、死体が必要だから?」


「その通りだよ。君はなかなか鋭いね」


「でも、どうして死体が必要なのかが分からない」


「それはね、医学の発展のためだよ」


「あ……あぁ!」


 佑梨の中で点と点が繋がった。


「気付いたようだね。死んだあと死紙になって人間の体が消えてしまうから、人体の研究は困難だ。医学の発展とはすなわち解剖学の歴史。だから罪人は首を切って死体に変えなければならない。君が見たミイラも、この施設が使われていたときに処刑された者の残骸だろう」


 右京が今この施設を管理しているなら、ミイラは片付けておいてほしかったと心の中でぼやいた。


「……でも結局、頭の部分は死紙になって消えちゃうんだよな?」


「これは正式に発表されていることではないんだけどね。どういう切断の仕方をすれば人体を最も多く残せるかという研究も、いくつかの国でされていたんだ。その結果、眼球の上から首の後ろに向かって頭を切ればいいということになったらしい」


「その切り方って……」


「そう、脳を丸ごと切除するのさ。スイカを半分に切るみたいにね。そうすれば脳より下側は死紙にならず、そのまま死体として残る。絶命した瞬間に死紙になってしまうから、切断は生きている状態から素早く行わなければならない。何を使えば頭部を瞬時に切断できるのかは想像にお任せするよ。他にも様々な切断方法が試されたらしい。ふふっ……」

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