花畑の見える家で

「え……」


 佑梨の思考も停止しそうになった。世界が完全に停止している? どういうこと?


 神様は佑梨のことは気にせずに話を続けた。


「ちなみに佳代の死紙には何て書いてあるんだ?」


「私に聞かなくても、それこそ神の力とやらで分からないのか?」


 今の佑梨には悪態をつくのが精一杯だ。


「それではできない。感覚としては触覚と同じものだと考えていい。離れた場所を見たり聞いたりすることはできないし、味や匂い、色や文字などは識別できない」


 なんだか都合のいい力だなと思った。


「ふぅん。あと一応言っておくけど、私はあんたのことを本当の神だと認めているわけじゃないぞ」


「好きにしろ。神とは本来そういうものだろう。いいから死紙の内容を言え」


 神様が急に小物っぽく見えてきたが、佑梨は既に暗記している死紙の文章を口にした。


「……人が死んだら手紙になる世界が、私のものになりますように。と、そう書いてある」


「よく分からんな」


 神様は佳代に会ったことがあるのだろうか。記憶を探るように口元に手を当てている。


「こっちの世界の佳代は、あんたの言うところの神的存在ではないんだよな?」


「……普通の人間のはずだ。この世界の神は俺だと言っている」


「他に神はいないってことか?」


「世界中の人類によって様々な神が信仰されている。日本でも八百万の神という言葉があるくらいだ。しかし残念だが、この俺だけだ」


「……どうだか」


「まあいい。お前から訊きたかったことは大体分かった」


 神様はいきなり立ち上がり、部屋から出ようとした。


「待てよ、こっちにはまだ訊きたいことが山ほどあるんだ」


「春香のことが心配ではないのか?」


 あまりに現実離れした話を聞かされ、春香のことまで頭が回っていなかった。危害は加えていないと言っていたが。


「う……分かったよ。春香はどうしてる?」


「薬で眠らせられている。案内してやろう」


 神様はドアを開けて部屋から出て行き、佑梨もそれに続いた。


 隣の部屋に入る。来たときと同じように首なしミイラが床に放置されている。佑梨は顔をしかめて訊いた。


「なぁ、これ死体だよな? なんでこんなところに死体があるんだ? どうしてこれは死紙にならない……」


「ここにある理由は教えんが、死紙にならない理由はこの世界の人間なら誰でも分かる。あとで春香にでも聞いてみるんだな」


 誰でも分かる? この死体の誰にでも分かる特徴は首がないことくらいだ。それが関係しているのだろうか。


 廊下に出ると、先を歩く神様を懐中電灯で照らしながら佑梨は考えた。この男は本物の神様なのか、それとも嘘を吐いているだけのただの人間なのか、ということだ。世界そのものが人の姿となって現れ日本の片田舎をほっつき歩いているなんて、世界中の物体や動きを常に感知しているなんて、到底信じられる話ではない。しかしこの男が、佑梨がポケットの中で作った手の形を即座に当ててみせたのも事実だ。


 いやいや、と佑梨は頭を振る。


 人間に不可能と思われる奇跡を見せつけて自分のことを神だと思わせるなんて、宗教の教祖そのものではないか。パラレルワールドに関する話だって、佑梨の話を聞きながらコールド・リーディングのように話を合わせていただけかもしれない。


 だが神様がただのペテン師だったら、元の世界へ帰る手がかりはゼロに戻るということになる。本物であるとは信じられないが、本物でなくてはならないというジレンマ。


 悩んだ末、神様は本物で彼の語ることは全て真実であると、とりあえず割り切ることにした。一旦そうしないことにはどこにも進むことができない。


 廊下をしばらく歩き、神様は数ある部屋のうちの一つの前で止まった。室内に入り照明を点ける。その部屋は一人用の病室のような場所であった。壁際にベッドがあり、その上に誰かが横たわっている。


「春香っ」


 駆け寄ると確かに春香がいた。外傷などは特に見当たらない。穏やかな表情で瞼を閉じている。佑梨は春香の手を握り、安堵の息を吐いた。


「良かったぁ……」


 金属製の扉によって隔たれ、春香の悲鳴が聞こえたときは目の前が真っ暗になった。またこうして会えて本当に嬉しく思った。


 手を強く握りすぎてしまったせいか、春香が目を覚ました。薄目を開けて佑梨の顔を捉える。


「佑梨……?」


「春香、大丈夫か?」


 驚かせないよう静かに声をかける。しかし、春香は跳ねるように上体を起こし、周囲をぐるぐると見回した。


「佑梨、ここはどこですか!? さっきの奴は!?」


 気が動転しているようだ。いきなり襲われたあとだから無理もない。安心させようと、佑梨はベッドに座り、春香の肩に手を置いた。


「いないから大丈夫だよ。とりあえず、もう安全だ」


「そうなんですか…?」


「うん、ケガはない?」


「大丈夫だと思います。あのときはすぐに眠らされたから……」


「良かった」


 佑梨が微笑みかけると、春香は佑梨の体に抱きついた。


「ありがとう、佑梨。助けてくれて……」


 春香の声が涙ぐんでいる。春香の温もりを感じる。別に佑梨が助けたわけではないのだが、感謝されるのは悪い気はしないので、指摘する代わりに優しく髪を撫でてあげた。


 春香はふと、後方にいる人物の存在に気付いた。佑梨の体を放して尋ねる。


「ねぇ、あの人は……」


「ああ、あれが神様だよ。さっきまで話をしてた」


「えっ」


「予想以上にわけ分かんない奴だったよ」


 佑梨は困り笑顔を浮かべて言った。春香はベッドから下り、神様に近づく。


「あの……」


 緊張を隠せないまま口を開く。


「い、いつもお世話になっています」


 新入社員のように恐縮している。長年世話になった恩人に初めて会い、どう接すればいいか分からないようだ。


「お前はよくやっている。これからも頼むぞ」


「あ、はい……」


 佑梨は傍から二人のやり取りを見て、苦笑いした。もっと感動的な対面になるのかと思っていたが、なんか違った。


 神様は春香との会話を早々に終わらせてしまい、二人に向かって言った。


「今日はもう遅い。一晩この部屋で休んでいろ」


 佑梨は口を尖らせる。


「ベッド一つしかないじゃねーか」


「女二人なら納まるだろ。さすがに風呂はないが、トイレならある。文句は言うな」


 そう言い放ち、踵を返す。


「あ、ちょっと」


 佑梨が引き留めようとするが、神様は無視して部屋から出て行ってしまった。


 二人は少しの間呆然として何も言えずにいた。嵐が周囲を滅茶苦茶にして通り過ぎたあとのような気分だ。


 やがて佑梨の方から口を開いた。


「春香、めちゃくちゃ緊張してたね」


「はい……神様が若い人だとは思ってなかったから」


「姿は自由に変えられるらしいよ。なんか笑っちゃうよな」


「何それ? それなら変えてほしくないです……」


 目を伏せて呟く春香。何となく頬が紅潮しているようにも見える。もし人間の女を操るために若い男の姿をしているのだとしたら、神様はなかなかの策士だ。


 春香は気を取り直すように立ち上がり、室内を眺めながら言った。


「それで、ここも施設の一部なんですか?」


「ああ、何の部屋か知らんけど。これからどうする?」


「今日はもう寝るしかないですね、夜中だし。明日また神様に話を聞きましょう」


「ん、そうだな」


 懐中電灯以外の荷物は全て山の中に置いてきてしまった。体はボロボロで清潔な状態とは言い難い。本当は今すぐ家に帰ってケアをしたいが、それも叶わない。トイレで用だけ足し、二人は一つのベッドで横になった。枕も一つしかないから顔が近い。でも話をしているうちに慣れてきた。すぐには寝付けそうになかったので、佑梨は春香と離ればなれになってからの出来事や、神様について話して聞かせた。それは、修学旅行の夜中に友達とこっそりお喋りをしていたことを思い出させた。


「神様は、この世界そのものが擬人化した存在なんだって。そして私の世界では、海辺で出会った佳代という女の子が神様と同等の存在だった」


 春香は時折相槌を打つが、概ね口を挟むことなく佑梨の話に耳を傾けていた。だから佑梨も頭を整理しながら分かりやすく話すことができた。


「世界そのものである佳代が自殺したということはやっぱり……」


 佑梨はその先を口にしなかったが、春香も分かっているだろう。佑梨の世界はもう終わってしまったのかもしれない。人類がそれを認識すらできないまま、テレビ画面を消すようにぷつんと。


 それにしても世界が自らの意志で消滅してしまうことなんて、有り得るのだろうか。自分のいた世界はそれほどまでに酷いところであっただろうか。人間同士の醜い争いか、はたまた繁栄による環境破壊が原因か。いや、世界とは地球だけを指す言葉ではないというニュアンスのことを佳代は言っていた。地球以外の惑星や宇宙の外側は地球よりどうしようもなく酷いことになっていたのかもしれない。


 自分のいた世界がもう終わってしまったのだと思うと、佑梨は泣きたくなってきた。空元気で抑え込んでいたものが一気に溢れそうになる。


 すると、春香はおもむろに佑梨の手に触れ、か細い指を絡めた。


「春香……?」


「大丈夫だよ、佑梨」


「でも私、もうどこにも帰る場所がないかもしれないんだよ?」


のことなんか忘れてさ、私とずっと一緒にいようよ」


「えっ」


 予想外の言葉に思わずドキッとしてしまう。それに、春香は今まで丁寧語で話していたのに、友達言葉に変わっている。


「私、いつかハナビシソウの花畑が見える家で暮らすのが夢なの」


「ハナビシソウ?」


 いきなり何の話だろうと思った。


「黄色で小さくて可愛い花なんだ。私、物心がつくかつかないかって頃に孤児院に引き取られたんだけど、その花畑の近くにある家で家族と暮らしていたことは覚えていたの。だから、またそういう場所で暮らしたい」


 春香はなぜ孤児院に引き取られたのか。家族は今どうしているのか。いくつかのパターンが推測できるが、どれも暗い話にしかならないので今は詮索しないことにした。佑梨は春香の夢に対する感想だけ簡潔に述べた。


「結構乙女趣味なんだね」


「そうかもね……。でもその夢を叶えるまで私は、生き抜いてみせる」


 暗闇の中で、春香の瞳に強い意志の光を見た気がした。


「だから、佑梨もそこで一緒に暮らそうよ」


「私も……?」


 想像してみた。帰れなくなってしまった自分がずっと春香と暮らすことなり、黄色で小さくて可愛い花々に囲まれて一緒にいるところを。その光景は、まるで未来の映像を見ているかのようにありありと目に浮かんだ。


「そうだな」


 数日前に出会ったばかりの春香がどうしてここまで良くしてくれるのかは分からない。佑梨に助けてもらった恩を返しているだけかもしれない。単純に、落ち込んでいる佑梨を励まそうとしているだけなのかもしれない。小さな頃に家族と離れ離れになり、孤児院でもいじめられ、今は一人で死紙の運び屋をやっているような女の依存なのかもしれない。だが、そうだとしても佑梨は心が救われたような気がした。だから春香の提案を断らなかった。


「そういうのも悪くないかもしれないな……」


 安心感に包まれると、ようやく睡魔が訪れた。二人は繋いだ手を放すことなく眠りに落ちていった。

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