第4話 父の話


男は妻が子を産んでから父になるということを聞いたことがあるが、私もそのタイプだったらしい。


産まれるまでは男児なら長男のスペアになるなと、女児ならどこか良い縁の家との婚約という契約に使おうと考えていた。


だが、よくよく考えれば長男が産まれる前までもそのように考えていたのにいざ産まれると初めての子供ということで感激し、妻を抱き締めよく頑張ったと声を掛けたのだ。


第二子に対して急に利己的になれるはずがなかった。




結果、産まれた第二子は女児で、私はまたも妻を抱き締めよく頑張ったと声を掛け、出産したばかりの我が子を慈しむ妻とようやく室内に入ることを許された長男と産まれたばかりの娘の四人となった家族に一人で、この家族を守るためにも頑張ろうとより己の立場を律し家族の幸せを願った。








そんな娘のシャルロットが生死の境を彷徨った。


理由は分からない。


何人、何十人の医師に見せても原因は分からなかった。


いざとなったら覚悟をした方がいいと言われたときは頭が真っ白になった。


シャルロットが亡くなる。


私の、まだ、幼い娘が。


それを現実として受け止めきれずにいる私とは反対に妻は泣きながらもシャルロットの看病を止めることはなく、ずっと側に居た。




シャルロットが寝込んでから一週が経つ頃、ようやくシャルロットが目を覚ました。


知らせを受け執務室から急いで駆け付けると妻はシャルロットの片手を握り締め「シャルロット!」と名前を呼んでいた。


シャルロットは不思議そうにもう片方の自身の手を見たりしていた。


私は妻の肩に手を置きシャルロットの様子を見守ると、しばらくしてまたシャルロットが苦し気にしだした。


妻が「まだよろしくないようだから寝ていなさい」と布団を掛け直すと、シャルロットはまた意識を手放した。


なんにしても意識を取り戻して良かった。


心からの安堵と共にずっとシャルロットの側に付き添い看病していた妻を労った。








シャルロットが起き上がれるようになったのはそれから十数日してからで、ようやく医師から問題はないと診断された。


その日のディナーはシャルロットの好物で揃えた。


家族四人での食事は久し振りだ。


私はシャルロットの快方と共に喜びでディナーが今かと待ちきれなかった。


こんなことはシャルロットの出産以来だ。








だが、そんな浮かれた気持ちも始まりですぐさま終了した。


シャルロットは不可思議な話をした。


シャルロットは、シャルロットではないという。


中身は別人の、見知らぬ女性だという。


最初は高熱が続いた故の夢を見てそのように思ったのだろうと流していたが、シャルロットが寝込む前より大人びておりまったくの他人に感じられること、誠心誠意話す姿に真実だと悟った。


貴族の仮面を被ることも出来ず唇を噛み締め静かに泣き出す妻を支えることも出来ない。


私も外聞なく泣き出したい気持ちは同じだった。


何故、幼いシャルロットが死に、更にその中に見知らぬ女性が入り込まねばならない。


それならば、まだ普通に亡くなってくれた方が良かったとすら思ってしまう。




「シャルロットは死んで、君が娘の体の中にいる。その言葉に相違はないか?」


「はい。多分間違いありません。私の中にシャルロットさんは感じられません」


「そうか………」


シャルロットは、娘はもういない。


その絶望に打ちのめされるよりも、家長として伯爵家の者としてやるべきことがある。


私は、ため息を吐きその娘に二択を与えた。


「君に二つの選択肢を与えよう。シャルロットは死んだものとし市井で平民として生きるか、『シャルロット』としてこの屋敷で生きるか」


「それは………」


言い淀むこの子は考えて悩んでいるのだろう。


彼女は悩んだ末に『伯爵令嬢のシャルロット』として生きることを選んだ。


まあ、突然見知らぬ世界の市井で暮らせる筈もない。


私達のことは、両親と兄として扱うように言っておく。


彼女は『シャルロット』になったのだから。


最後に一言「申し訳ありません」と彼女が頭を下げて謝ったがなんの感慨も浮かばない。


彼女はシャルロットではなく見知らぬ他人なのだから。








この娘は早々にどこか良い縁の政略結婚をさせせめて姿が見えないところへやろうとするも、もしかしたらシャルロットが戻ってくるかもしれないと思うとなかなか手元から離せずにいた。


妻にはせっつかれたが、シャルロットではなくとも『シャルロット』の姿をしているのだ。


私には、シャルロットでないと分かっていながらあの娘を邪険に扱うことも出来ず、すべてを忘れるかのように執務に没頭していった。


私達夫婦のあの娘への態度を見ていたからか使用人達も娘への態度を邪険にはしないものの今までのシャルロットからは考えられない冷遇になっていった。


唯一、息子だけはあの娘のことを気に掛けていたが、本来学園に入寮し通う身。


それほど長くは居られないものの長期休暇や纏まって休みが取れそうな日には必ず帰ってきて娘への気遣いをしていた。








それからしばらくして深夜に妻が執務室を訪れ泣きながら謝罪してきて、手に持った毛糸であの娘の首を絞めようとしたこを告白してきた。


妻がそこまで思い詰めているとは思ってもいなかった。


その罪は私も同罪だろう。


仕事に逃げ込み、すべてから逃れようとしていた。


私には泣く妻の背を撫でるしかなかった。


私も向き合うべきなのだろう。


あの娘に。








それからは執務の合間を縫ってあの娘の様子を陰ながら見ることにした。


真正面から向き合うには恥ずかしいことにまだ勇気がでなかったのだ。


娘は妻がつけた教師の厳しい課題も泣き言ひとつ言わずやり遂げ、『シャルロット』がなるはずだった伯爵家の娘として期待に応えようとしていた。


シャルロットはもういないのに、その期待はないもので、応えようとしなくてもいいものを。


それでも娘は懸命に『シャルロット』が歩む筈だった道を歩もうとする。


無駄なのに、と思ったのは最初のうちだけだった。


娘は着実に伯爵令嬢として恥ずかしくないレディになっていった。


妻は段々と娘への態度を軟化させていった。


刺繍が苦手な娘に教えてやり、二人の茶会で学園のことを聞き、他の家になにやら働きかけているようだった。


妻は、あの娘を殺そうとしたときに何かが変わったのだろう。


私も今のままでは良くないことは分かっている。


変わるべきだ。




『シャルロット』は、もういない。


だが、娘ならいるのではないか?


そう思えたのは幾年経ってからだろう。








学園のサマーパーティーであの子の成長が見られると、内心楽しみにしているとよりによって第二王子達が台無しにしてくれた。


あの子の困り顔を見ても何も気付かないのか。


いや、見ていないのか。


少し前までの自分と重なるが、私はあの子を娘とすると決めたのだ。




第二王子達からそっと距離を取り逃げ出したあの子は他の生徒に紛れてその場から離れた。


第二王子は教師陣や王城からの使いに連れ去られながらも未だにあの子の名前を叫ぶ。


思わずあの子の前に出て庇う。


「私の娘がなにか?」


私があの子を自分から娘と呼ぶのはこれが始めてだった。


「お父様…」


呆然と呼ぶ娘を抱き寄せ頭を撫でる。


「シャルロット、心配しなくていい」


この子をシャルロットと呼ぶのもあの日から10年振りかもしれない。


「第二王子、娘はそちらの婚約者の方々が仰るように王子達の言動に苦言を呈していたようですが、そのような言動を取る相手が好意を持つとお考えになるのですか?」


私の嫌味に第二王子達は騒いだが、今度こそ王城からの使いが連れ帰ってしまった。


第二王子に喧嘩を吹っ掛けたようなものだが、これ程の失態を犯した第二王子相手に恐れることはないだろう。


妻は呆然としているシャルロットに「大丈夫ですよ」と言い宥めていた。








シャルロットとは、未だに距離感が掴めないがそのうちなんとかなるだろう。


少なくとも『家族』として一歩を踏み出したのだから、以前よりは良くなる筈だ。


いや、良くしてみせる。


それが亡くなったシャルロットのためでもあると私は思う。

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