第2話 母の話

ある日突然娘のシャルロットが高熱を出して意識不明になりました。


何人、何十人のお医者様に診ていただいても原因は分からないと言われ、いざとなったら覚悟をした方がいいと言われた日には尽きたと思った涙がまた止まみませんでした。


神様、この命を差し上げますので、娘の命は取らないでくださいと毎日祈りました。


その結果は最悪なものになったけれど。








娘が寝込んでから一週間が経った頃、ようやくシャルロットが目を覚ました。


歓喜の涙は止めどなく溢れ、神とシャルロットの目覚めに感謝しましたわ。


目覚めたばかりのシャルロットは初めは何故か不思議そうに自身の手を見たりしていましたが、まだ体調がよろしくはないようで苦しそうにし始めました。


わたくしは慌ててシャルロットの布団をかけ直し「まだよろしくないようだから寝ていなさい」と告げシャルロットの頭を撫でました。


可哀想に、汗が溢れて止まらないシャルロット。


代われるものなら代わってあげたい。








再びシャルロットが意識を無くしそこから更に十数日後、ようやく娘が目を覚まし医師からももう問題はないと言われたときは、安堵したのを覚えている。


毎日見舞いをして汗を拭い額にキスしてシャルロットの無事を祈りました。


上体を起こしたシャルロットを抱き締めて、頬にキスをして、暖かいあの子の温もりに神に感謝した。




しかし、それも束の間の平穏でした。


ようやく起き上がれるようになった娘のためにディナーには好物を揃え、あの子の大好きな花をテーブルに添えてシャルロットが健康になったことを祝っている最中に悪夢はおきました。


最初は長い間見ていた夢の話であろうと一笑しました。


ですが、懇切丁寧に熱心に話すシャルロットはシャルロットではなくなっていました。


シャルロットは、娘は、娘ではないという。


わたくし達の娘ではない、娘の形をした生き物。


わたくしには、このモノが悪魔に思えました。


だってそうでしょう?娘の姿形そっくりなのに、中身は別人ですって。


このようなことは、お伽噺の中の悪魔が仕出かすことよ。


静かに涙が流れても止める気にも拭う気にもなれない。


シャルロットはもう居ない。


私の娘は死んでしまったのです。




主人は無言で聞いていましたが、シャルロットは死んだものとしシャルロットを名乗る生き物を市井で平民として暮らすか、『シャルロット』としてこの屋敷で暮らすかの二択を悪魔に訊ねました。


主人の考えに驚き思わず感情を出し叫びそうになりましたが唇を噛み締め耐えました。


シャルロットはもういないのに、シャルロットではないこのモノは図々しくも『伯爵令嬢のシャルロット』として生きる道を選んだ。


「申し訳ありません」


頭を下げて謝れてもシャルロットを奪ったモノに謝られても心は動かされない。


シャルロットでないのならば、このモノもいなくなってしまえばいいのに。








それからはあの娘の姿を見るのを止めました。


夫と相談し、娘は死んだことにして処分しようかとも考えたけれど、娘の姿をしているとどうしても非道に走れない。


結局、夫の提案通り政略の駒としてさっさと嫁に出して縁を切ろうということに致しました。


自室の机に置いてあった、娘に贈ろうと刺繍を入れていたハンカチが目に留まる。


わたくしの娘はもう居ないのに。


贈る相手がいないこのハンカチが完成することはないでしょう。


やるせない日々に彩りも無くしてただ無気力に生きているだけのわたくしとは反対に、シャルロットを名乗るモノはわたくしが嫌がらせかのように厳しく躾けるように指示した家庭教師にも泣き言ひとつ漏らさずついていっているそうです。


これがシャルロットであればここまで厳しくしないでしょう。


可哀想なシャルロット。


貴方はいつの間に亡くなってしまったのかしら。


わたくしにはそれすらも分からない。


亡くなった娘を想うと、いつでも涙が溢れて止まらなくなってしまう。


シャルロット、何故貴方が死んでしまうの?


そのまま数年鬱々とした日々を過ごす中、シャルロットであるモノがシャルロットとして生きていることが許せなくなり、主人の考えに反して真夜中に毛糸を一玉持ってシャルロットの部屋に忍び込みました。


シャルロットであるモノの首は細い。


この毛糸ですら息を止めることが出来るでしょう。


毛糸を解きシャルロットの側に寄ります。


これでシャルロットの姿をしたモノがシャルロットとして生きることはなくなる。


シャルロットは、シャルロットとして死んだことになる。


このモノはシャルロットではなく悪魔ですもの。


罪悪感はありません。


そっと首に手を伸ばした時、シャルロットの形をしたモノが泣いていることにようやく気が付きました。


「お母さん、お父さん………」


泣きながらシャルロットであるモノが泣いておりました。


それはとてつもない衝撃でした。




ああ、ああ。神よ。


そうなのですね。


あの娘が私達の娘を奪ったように、わたくし達の娘が、あの娘の両親から娘を奪ってしまった。


この娘の両親も、わたくし達のように娘である彼女を亡くしているのよね。


そして、その御霊がシャルロットの中にあるのですね。


わたくしはシャルロットの姿をしたモノから手を引き、あの日のように布団をかけ直し部屋を出た。








それから時折、シャルロットの姿をしたモノの様子を見るようになりました。


シャルロットの姿をしたモノは相変わらず厳しい家庭教師にも文句を言わず勉学に励んでいました。


シャルロットも生きていればこのように育っていたのでしょうか。




娘ではなくても、家族になれるかもしれない。


その一縷の望みで接するようになった。


憎しむのに疲れたのかもしれない。


でも、この子は娘の代わりに娘として『娘が生きたかもしれない人生』を送ろうとしている。


他人の人生を送ることは、どれほど辛く険しい道でしょう。


諦めさせようと教師の方々にも厳しく教えるようお願いしても、あの子は諦めなかった。




それから数日後、わたくしは意を決してシャルロットの姿をしたモノの部屋を訪れました。


しかし、入室したものの何を言えばいいか迷い目線が彷徨うと、シャルロットの姿をしたモノが問い掛けてきました。


「お母様から見て、私は『シャルロット』としてきちんと出来ていますか?」


その言葉でこの子は自分の人生を捨ててシャルロットの代わりにシャルロットになろうとしてくれているのだと改めて知りました。


シャルロットは亡くなって代わりなんて他人が出来る筈がないのに。


それでもこの子はわたくし達の『シャルロット』への期待を裏切らないようにしている。


「えぇ…あなたは厳しくするよう命じていた授業にも必死についていっているようですわね。シャルロットに負けないレディになってきていると思いますわ」


そう、きっとシャルロットなら今のこの子となんら遜色のないレディになっているでしょう。




遠慮がちに『シャルロット』を抱き締めた。


「………あなたのご両親も、娘さんを亡くされたのですよね」


腕の中のシャルロットが泣いたので、背中を撫でてあげた。


小さな頃、本物のシャルロットにしたかのように。




それからは、少しずつですがシャルロットと親しくなれ、学園の話などをするようになりました。


刺繍もダンスも苦手なようですが、わたくしが教えて差し上げましょう。


第二王子や将来的に国の中枢を担う方々から茶会などに誘われて困っていることを聞いたときは社交界の伝手を使いお相手の婚約者のご両親に話を通させていただき平身低頭謝罪させていただきました。


あの子自身でもなんとかしていたみたいですが、わたくしが手助けしたかったのです。








ですが、成績を見に訪問した学園のサマーパーティーにて第二王子達がシャルロットを抱き寄せ各婚約者に婚約破棄を申し出ました。


婚約者の方々はシャルロットが注意を促しておいたおかげで冤罪をかけられることなくむしろ嬉々として己の婚約者の愚かさを晒し上げておりますが、その隙にシャルロットが第二王子達から距離を取り逃げ出せたので良かったですわ。


そのまま大衆に紛れて傍観するシャルロットを見て、このまま事が終わるよう祈りました。


教師の方々と王城からの使いが第二王子達を回収しに来てようやく場は安堵の息がそこかしこから吐き出されました。


第二王子は未だにシャルロットの名を呼んでおりましたが、主人がシャルロットの前に出て庇うように「私の娘がなにか?」と第二王子達に威圧をかけました。


主人がシャルロットと呼ぶのを初めて聞きました。


あの人も、私のように『シャルロット』とシャルロットの折り合いをつけられたのでしょう。


王城からの使いが第二王子達を連れ帰るとわたくしもシャルロットに「大丈夫ですよ」と宥めました。








最近の楽しみはシャルロットとのティータイムです。


四季の花々を見ながら刺繍を教えて、シャルロットからは学園のことを教えてもらう。


ささやかなことですが、このようなことをするのに何年掛かったことでしょう。


一時はこの子を悪魔と殺めようとしたわたくしが悪魔だと反省する日々もあります。








このシャルロットと『実母として』接することは、多分一生無理でしょう。


ですが、家族として、この子の力になってあげたいとそう思えたのです。






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