第5話 4

 おじいちゃんについていくと、やがて階段に出た。


 お屋敷って感じの広い階段。


 一階から天井までの吹き抜けのホールになってて、クラウちゃんのお城の玄関ホールをちっちゃくしたみたいな造り。


「――しっかし、こんな楽な仕事で大金出してくれるんだから、リオン様々だよなぁ」


「バッカ、それを言うなら、俺達に任せるようにしてくれた、レティーナ夫人様、だろ」


 階下からそんな声が聞こえてきて。


「そのレティーナが俺達と寝てるって知ったら、あいつどんな顔すっかな?」


「――王族のボキを侮辱したなぁ~っ!」


「ギャハハ、似てる! うめえ、ウケる!」


 柵みたいになった手摺の隙間から、一階を覗き見ると、三人のおじさん達が椅子を並べて、お酒を呑みながらバカ笑いしてた。


 コップを使わずに、瓶から直接呑むのって行儀が悪いと思う。


 それだけで、あいつらが悪いヤツだってわかるよね。


 ――よし、やっぱりぶっ飛ばそう!


 あたしは腹這いで後ずさり、廊下の壁に身体をくっつけてる、おじいちゃんのところまで戻る。


「三人居た。

 お酒呑んでる。

 ――おじいちゃんはここで待っててね」


「ほ、本当にやるのかっ!?」


 潜めた声であたしを止めようとするおじいちゃん。


 だけど、あたしは無視して、身体強化を喚起して駆け出す。


 ――大人を相手にする時の護身術心得そのいちっ!


 おとさんから鍛錬で教わった言葉を頭の中で思い浮かべる。


 ――攻める時は、こっそり速やかに必殺のいちげきっ!


 手摺りに飛び乗り、そのままジャンプ。


 木登りで慣れてるから、このくらいの高さはなんでもないっ!


「――やっ!」


「ガ――ッ!?」


 落下の勢いを利用して、真下にいたおじさんの頭に椅子の脚を振り下ろすと、おじさんは悲鳴をあげて崩れ落ちた。


「――なッ!?」


「このガキ、どうやって――」


 ――護身術心得そのにっ!


 あたしは左手を前に出して、魔法を選択。


 ――一撃で仕留められなかった時は、とにかく考える暇を与えるなっ!


「――輝け!」


 左手の前に光球が出現して、辺りを真っ白に染め上げる。


 眩しさに顔を背ける、おじさん達。


「――からのぉ、もう一回、心得そのいちっ!」


 近い方のおじさんに駆け寄ったあたしは、両手で椅子の脚を振り上げる。


 ――股の間めがけて!


「プグ――ッ!?」


 ブタさんがくしゃみしたみたいな声をあげて、あたしに股を打ち抜かれたおじさんは倒れ込む。


「おい、ミラルドっ! ちくしょう、このガキ――ッ!」


 最後に残ったおじさんが、叫びながらあたしに酒瓶を投げつけてくる。


 あたしはそれを難なく避けた。


 ロットがいたずらで木の実を投げつけてくる時の方が、速いくらいだったからね。


 背後で酒瓶が割れる音がするけど、あたしはおじさんから目をそらさない。


 おとさんが、クラウちゃんのお城の騎士さん達に言ってたもんね。


 ――騎士は相手から目を逸らさないって。


「て、てめえ、タダじゃおかねえぞ……」


 おじさんはモタモタと腰から剣を抜いて、右手で構える。


 型もなにもない素人剣術。


 ――護身術心得そのさん。


「……それでも大人と相対さなくちゃならなくなった時は……」


「なにをブツブツと――」


 言いながら、ふらつく足取りで距離を詰めてくるおじさんに。


 あたしは強化した脚で、一気に詰め寄ってその胴に抱きついた。


 ――とにかく相手の意表を突け。


「うおっ!?」


 驚いたおじさんは、掲げた剣を振り下ろす事もできない。


 あたしは素早くおじさんの身体を登って、頭の後へ。


 両脚をおじさんの首に回して――


「――がんばれ! あたしのふっきんっ!」


 両手を振りかぶって、後に身体を倒す。


 前世でマンガで見た、かっこいいワザ!


 身体強化してるあたしならできるはず――


「えいっ!」


 お腹に力を込めて、おじさんの頭をひねるようにしながら、くるりと身体を縦に回す。


 ――アッ!? すっぽ抜けちゃった!


「――グッ!」


 あたしの勢いに引っ張られて、中途半端に宙を飛んだおじさんは、壁に打ちつけられて。


 ドンって、大きな音がして、お屋敷が揺れて、おじさんは床に崩れ落ちた。


 あたしは念の為に椅子の脚でおじさんの頭を叩いて。


 それでも反応がないのを確認して、胸を撫で下ろす。


「――けっかおーらい!」


 ふんす!


 おじさん達、おじいちゃんが言ってたみたいに、ホントに鍛えてなかったみたい。


 これなら、ロットのがまだ強いよ。


 そんな事を考えながら、あたしは二階のおじいちゃんに合図を送ろうとしたんだけど――


「――なんの音? って、あんた達っ!」


 すぐ横の扉が開いて、バスローブ姿のおばさんが出てきた。


 おばさんはすぐ横に立つあたしに気付いて。


「こ、これ、あんたがやったの!?」


 キンキン声で訊いてくるから、あたしはコクリとうなずく。


「弱かったし。鍛錬が足りないと思う」


 椅子の脚で肩を叩きながら、あたしはにっこり。


 ――このおばさんはたぶん、おじいちゃんが言ってたレティーナだ。


「どくずの嫁。ついでに退治……」


 そう呟きながら、あたしが椅子の脚を正眼に構えると。


「――ヒッ!? グラース! グラースッ!」


 レティーナは悲鳴をあげた。


「なんだよ、さっきからうっせえな……」


 のそりと、部屋の奥からズボンだけのおじさんが姿を現す。


 ――もうひとり居たっ!?


 波打った長い茶髪に無精髭。


 背はおとさんくらい高くて。


 ――ゾクリとした。


 咄嗟に床を蹴ると、グラースと呼ばれたおじさんの蹴りがすぐそこに迫っていて。


 椅子の脚が蹴り砕かれた。


 それだけじゃ勢いを殺しきれずに、グラースの爪先があたしのおなかを抉る。


「ぐぅ――ッ!」


 吹っ飛んだあたしは、背中から壁に叩きつけられて、床に落ちる。


「――サティ!」


 上の階からおじいちゃんの声。


「あらあら、お義父様。勝手に出歩かれては困りますわ」


 レティーナがクスクス笑いながら、上の階のおじいちゃんに声をかけるのが、ひどく遠くに聞こえる。


 ……痛い痛い痛いぃ……


 お腹も背中もズキズキする。


「げっげえぇ――」


 喉の奥からこみ上げてくるものを吐き出して、涙で視界が歪むけれど。


 ……相手からは目を逸らさない。


 おとさんの教えが、あたしを支えてくれる。


 ――泣いちゃダメ。泣いたらアイツが見えなくなる。


 もうあたしは――お母さん達に痛い事されて、ただお部屋の前で泣いてただけのあたしじゃないんだ。


 あたしは、騎士ノルド・ルキウスとユリシア・ルキウスの娘なんだから!


 だから、震えるな身体!


 怖くない怖くない怖くない……


 吐いたから、口の中が気持ち悪い。


 武器は折られた。


 代わりを探さなきゃ。


 そうしてる間にも、グラースはあたしのそばまでやってきて。


「ぐっ――あぅ!?」


 前髪を掴まれて、無理矢理顔を上げさせられた。


「おい、ガキ。おまえがミラルド達をやったのか?

 ――すげえな、おまえ」


 ニタニタと笑いながら、グラースはあたしを見下ろす。


「――おい、レティーナ!

 このガキ、俺にくれよ!」


「はあ? あんた、幼女趣味があったの?」


「ばーか、こんなちびっこいのに、こんだけ使えるんだぞ?

 今から仕込めば、かなりの使い手になるだろうよ」


 ――武器。武器になるもの……


 グラースがレティーナの方を向いてる間に、あたしは気づかれないように慎重に手を動かす。


 すごく嫌な予感がした。


 このままじゃ、二度とおとさんやおかさんと会えなくなるような……


「まあ良いんじゃない?

 リオンはその子の父親を、決闘で事故に見せかけて殺すって言ってたもの。

 そして奪い取ったあの女は、学生時代みたいに働き詰めにさせるそうよ。

 思い出すわねぇ。ボロキレみたいだったユリシア様――」


 ――もう少しで拾える。


「おいおい、ひでえ女だな。

 仮にも正妻様の連れ子になるんだぞ?」


「よしてちょうだい。

 わたしは子供の面倒なんてまっぴらよ。

 そもそもその子、あの女が拾った子供だっていう話じゃない」


 ――掴んだ。


「ああ? そうなのか?」


「公表はされてないけどね。

 あの女の学生時代を詳しく知ってるヤツなら、みんな計算が合わないのに気付いてるわ。

 あの女に男遊びする時間なんてなかったってね」


 レティーナの言ってる事はよくわからないけど、おかさんをバカにしてるっていうのは雰囲気でわかる。


 悔しさに唇を噛むあたしに気付いて、レティーナはニヤニヤ顔を寄せてきて。


「知ってたぁ?

 あんたが母親と呼ぶあの女――ユリシア・ロートスはね、あんたと赤の他人なのよぉ?」


 ……そんな事は知ってる。


 だってあたしには、ふたりに拾われた時の記憶が鮮明に残っているんだから。


 だから……だからこそ。


「……赤の他人じゃないもん……」


 あたしを抱き上げてくれた、あの時の暖かさを覚えてる。


 一緒に暮らして、ご飯を食べさせてくれて、いろいろ教えてくれた――おかさん。


「――なぁに? 聞こえないわぁ」


 あたしはずっと怖かった。


 おかさんのことを、お母さんって呼んだら……


 前世のみたいに、痛い事をする人になっちゃうんじゃないかって。


 あの人達は、よく言ってた。


 ――アンタとは、赤の他人なんだから!


 だから、あたしは「赤の他人」の「あ」を取って、おかさんって呼ぶ事にしたんだ。


 そうしたら、「赤の他人」じゃない……本当の家族になってくれる気がして。


 ……でもね、たぶんそういうのは、もうどうでも良いんだよね。


「――赤の他人じゃないもんっ!」


 たったいま……胸の奥から湧き上がる感覚に気付いたから。


 ――ああ、来てくれた……


 ……あの人は――前世であたしを置いていった、本当のお母さんよりもずっとずっと……あたしを大切にしてくれてるんだ。


「――サティ!!」


 玄関の扉が吹き飛んで。


「――ユリシアっ!? どうやってここが!?」


 レティーナが立ち上がって叫んで、前髪を掴んでいたグラースの手が緩む。


 あたしは嬉しさにあふれる涙をこぼしながら――大切で……どうしようもなく大好きな、あの人の事を呼んだ。


「――!!」

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