第2話 7
サティが泣き疲れて眠ってしまい、俺達は村に引き上げる事にした。
途中で村に応援を呼びに向かっていたニックスを拾い、ふたりで魔熊の内臓を抜いて、渓流に沈めてきた。
明日、回収してきて村のみんなで分け合う予定だ。
家に帰り着き、サティをベッドに寝かせ。
俺は村のジジイがずいぶん前に分けてくれたまま、手を付けずにいた強い酒を目一杯煽る。
それでも胸の中のムカつきは消えてくれなかった。
――サティに手を上げてしまった。
まだ三つになったばかりの子供にだ。
前世も含めて、俺は子供に手を上げたことなんてなかった。
だが、あの時はそうしてでも、サティにわからせないといけないと思ったんだ。
わずか三歳で兵騎を動かし、遊び半分で魔熊さえ殺してしまえるような子供……
今のうちにしっかりと善悪を教えておかなければ、あの子は恐ろしい悪魔に育ってしまうかもしれない。
……いや、後付けだな。
あの時はとにかく、あの子が危ういと思ったんだ。
生き物を傷つける事にまるで躊躇がない、あの子が……
そして、気づいたら手を上げていた。
「はぁ〜……だっせえ……」
カッとなると、よく考えずに動いてしまうのは、俺の悪いクセだ。
口で諭せばよかったものを……
頭を掻きむしって、テーブルに突っ伏す。
「……あなたがやらなかったら、わたしがやってたわ。
サティに甘いあなたが、あんな風に怒れるなんて驚いたくらいよ」
と、ユリシアがツマミの皿を台所から運んできて、気遣わしげにそう声をかけてくる。
「……サティはどこで、あんな理屈覚えたんだろうな?」
「――悪い子にはお仕置きって?
言っておくけど、わたしじゃないわよ?」
「……わかってる。
おまえがどれほどアイツを大切に思ってるかは、俺が一番わかってるさ」
ユリシアもまた、サティに手を上げた事などないはずだ。
だからこそ、不思議だった。
「思えば、サティはロットにも容赦がなかったな……」
朝稽古の最中、少しでもロットがふざけると、すぐに手を上げていた。
……兆候はあったんだ。
子供特有のじゃれあいと思わず、気づいた時にきちんと諭していれば……
片手で顔を覆うようにして擦る俺に、ユリシアが優しく語りかけてくる。
「……もう大丈夫よ。
賢い子だもの。
同じことは二度としないはずよ」
「……だと良いんだがな……」
ため息を吐いて、俺はジョッキを煽る。
「あなたが半べそかいてまで伝えたのよ?
わからない子じゃないわ」
「おい、誰が半べそなんて!」
反論する俺に、ユリシアは意地の悪い笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「はいはい、反省は終わり。
あなたは父親として、正しいことをしたって、わたしが保証してあげるわ」
そう言いながら、ユリシアは自分のグラスにワインを注いで口に運ぶ。
それから吐息をひとつ、サティの部屋の扉に視線を向けて。
「それにしても驚いたわ。
あの子が兵騎を動かせるなんて……
あなたが教えたの?」
「いや。そもそも貴族の家でも、兵騎の訓練を始めるのは成人してからだ」
実家で上の兄貴が成人と共に、継承騎と合一して、自慢げにしていたのを思い出す。
「いずれは教えるつもりではいたが、まだまだ先――それこそ十五になってからのつもりだったよ」
それがどうだ。
あの子は、まるで手足のように兵騎を扱って見せた。
「……たぶん、兵騎の扱いに関しちゃ、あの子はスペシャルだ。
俺にはあんな騎動はできん……」
「それよ。
ウチの兵騎って、あんな動きできたのね。
いつも農作業に使ってる時って、もっと重い動きじゃない?」
「実家のもあんなもんだったぞ。
だから、サティの騎動には驚かされた」
王宮が保有しているような、一部の特騎を除けば、基本的に兵騎ってのは鈍重なもんだ。
だから、侵災調伏で魔物と戦う時なんかは、複数騎が隊列を成して迎え撃つんだよな。
「しかも、なんか魔道器――それとも鬼道器なのかしら?――結界を張ってたわよね?」
「――<
喚起詞を唄ってたから、間違いなく内臓された魔道器かなんかなんだろうが……」
正直なところ、あの騎体に関しては、わからん事だらけなんだよな。
鎧を仕立ててくれた、ダストール辺境伯んトコの鍛治士連中も、初めて見るタイプの素体だっつってたし。
そもそもが古代遺跡の未探索区域で拾ったもんだ。
わからない事の方が多いし、古代騎ってのはだいたいそういうもんなんだ。
俺のパーティーのリーダーも古代騎使いだったが、使い始めの頃は、内臓武装をそうと知らずに喚起しちまって、俺達、何度も焦らされたもんな。
ふたりでツマミのふかし芋を突きながら、我が家の兵騎について、推察を話し合う。
と、サティの部屋の扉が開いたのは、そんな時だった。
サティが起きてきたのかと、ふたりでそちらに視線を向けると。
「ぎゃう〜ん」
小さな羽根をバタつかせて、アシスがテーブルの上まで飛んできて、俺達を交互に見回し。
「――や、ふたりとも、おつかれっ!」
右手を挙げて、舌ったらずな子供声で話しかけてきた。
「――はぁっ⁉︎」
「おまっ、喋れるのかっ⁉︎」
驚く俺達に、アシスは目を細めて頷く。
「しばらく様子見の為に、喋れないフリを続けるつもりだったんだけどね。
ほら、もしキミらがろくでもない大人だったら、サティを任せておけないからね。
その時はこっそりあの子を連れて、この家を出るつもりだったんだ」
「――なにぃ?」
うめく俺に対して、アシスは短い手を持ち上げる。
たぶん、肩をすくめてるつもりなんだろう。
「もうそんな気はないから安心しなよ。
昼間はよく、サティを叱ってくれたね。
アレを見て、ボクはキミ達を信頼しようって思ったんだ」
ひゅるひゅると、口笛のような音を立てているのは、ひょっとして笑っているのだろうか?
「――改めて、はじめましてだ。
ボクはアシストロイドのアシス。
名前はサティが付けてくれたものだけどね。
ハイソーサロイド研究所――って言ってもわからないか――あの遺跡によって生み出された、あの子の育成補助ユニットさ」
貴族風の胸に手を当てて腰を落とす礼を取って、アシスは俺達に頭を下げる。
「キミらが正しくあの子を育てられるように、いろいろとアドバイスさせてもらうから、なんでも気軽に相談して良いよ。
よろしくね、ルキウス夫妻」
「――いやいやいやっ!」
目を細めて、ひゅるひゅる笑うアシスに、俺もユリシアも首を振る。
あの遺跡に生み出された?
じゃあ、こいつがサティと出会ったのは偶然じゃないってのか?
「いやあ、キミらがあの子を連れ出した後に、ボクが生み出されたんだけどね。
焦った焦った。
肝心の保護対象が居ないんだもの。
挙句にキミら、あの子を拾ったあと、国中をウロウロしたでしょ?
魔道の残り香を辿って、ボクまであちこち回る事になってさ。
ここにたどり着くまで三年もかかっちゃったよ」
くたびれたとでも言うように、アシスはゆるゆると首を振って、ツマミ皿の芋を両手で抱え上げた。
宙に放り、パクリとひと呑みにすると、満足げに笑う。
「……よくわからんのだが、おまえは本来、サティとセットで拾われるはずだったって事か?」
「というより、キミらがあの子を拾ったのが想定外だったんだよね。
本当なら、ボクが一基で、あそこで育てるはずだったんだ。
あ、そんな怖い顔しなくても、いまさら返せなんて言わないよ。
むしろね、ボクはあの子を拾ったのが、キミらで良かったとさえ思ってるんだ」
アシスはテーブルの上に座り、俺達を見上げる。
「ボクじゃ、あんな風に『命』の大切さを教える事はできなっただろうからね。
ふたりには本当に感謝してるんだよ」
再び頭を下げるアシスに、俺はユリシアと視線を交わす。
これからコイツをどう扱ったものか。
「ええと、アシス。
結局のところ、サティはなんなの?」
ユリシアが不安そうに、アシスに訊ねる。
遺跡の最奥で、兵騎に抱かれていた赤ん坊。
俺も考えないようにしてきたが、まともであるはずがない。
けれど、アシスは笑みと共に首を振って、人差し指を立てる。
「キミらの子供さ。
ちょっと人とは生まれ方が違っただけの、ね。
それともあの子を育てるのに、何か理由が必要かい?
それこそいまさらじゃない?」
「……まあ、そう言われればそうなんだが……」
いまさらサティが、なにか特別な役割があったと知らされたところで、そんなものはクソ喰らえだ。
あの子は俺とユリシアの大切な娘で、それ以外の何者でもない。
アシスは、それで良いと言ってくれているのだろう。
「キミらは今までがそうだったように、あの子を当たり前のように自分らの子供として育てて。
たぶん、それがあの子にとって、一番なんだろうなって思うよ」
「……俺達で良いんだな?」
念押しする俺に、アシスはうなずきを返す。
「ダメだと判断したら、あの子を連れて、出て行くだけさ。
だから、しっかりお父さんを頑張るんだよ」
「当たり前だ!」
俺がうなずくと、アシスは目を細めて、右手を差し出してきた。
「うん、頑張って行こう。
――今度こそ、みんなで幸せになるんだ」
その小さな手を握り返して。
俺はユリシアと再び視線を交わす。
ユリシアもうなずきで答えた。
「そうだな。
――みんなで幸せに、だ!」
まさかこれが、のちのちまで続く、ルキウス家の家訓になろうとは、この時は俺もユリシアも思いもしてなかったんだけどな……
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