第2話 5
――お腹に響くような衝撃。
そして、わずかに遅れてやってくる震動。
あたしはちょうど、お昼ご飯を食べ終えたところで、お皿を洗い場に運ぼうとしているところだった。
「――サティっ!」
転びそうになって、おかさんが慌てて支えてくれる。
「おかさん、今のなに? 地震?」
「…………」
訊ねるあたしに、おかさんは木戸が開けられた窓の外を見ていて。
森から鳥達が一斉に飛び立つのが見えた。
――もう一度、震動と衝撃。
森の奥の方に、巨大な火柱が伸び上がった。
「……あんな強大な魔道を使う魔獣がいるなんて……」
おかさんがうめくように呟いて、あたしの前にしゃがみ込む。
「――サティ、お母さん、これからちょっとお父さんのお手伝いに行ってくるから、おうちで大人しく待ってるのよ?」
「え? あたしも行きたい!」
「ダメ。本当に危ないの。
お願いだから、言うこと聞いてちょうだい」
「おとさんとおかさんは危なくないの?」
おとさんがめちゃくちゃ強いのは、あたしも知ってる。
この世界で目覚めてすぐに、大きなロボットを瞬殺してたのは、今でも覚えてる。
そんなおとさんが、危ないかもしれないっておかさんが判断したんだもん。
……不安になるよ。
「お母さんはコレでも、王都の学園で一番の魔道士だったのよ?
お父さんとお母さんがそろえば、魔獣なんてなんでもないわ」
そう言って、おかさんはあたしの頭を撫でると、玄関の外套掛けからマントを取って外に出る。
あたしもその後を追って。
「……気をつけてね」
「ええ、お父さんと一緒にすぐに戻るわ」
言いながら、おかさんは右手を振るう。
おかさんの足元に魔芒陣が二重に結ばれて。
フワリとおかさんの身体が浮いたかと思うと、弾かれたように空高く飛び上がった。
浮遊と風噴射の複合魔法。
あたしはまだ危ないから、練習するのも禁止されてる魔法だ。
「――きゅ〜……」
家からアシスが飛びながらやってきて、あたしの手を取って家の中に引き戻す。
「……おとさん、大丈夫かなぁ?」
みんなでご飯を食べるテーブルには、今はあたしとアシスしかいない。
もしおとさんとおかさんに何かあって、このままになっちゃったら……
そんな想像をして、あたしはすごく怖くなった。
思い出すのは、前世の――おうちの前で、ひとりでお父さんを待ち続けた日々。
あれが当たり前なんだと思っていたのに……今は――おとさんとおかさんとの暮らしを知ってしまったあたしは、もうあの頃に戻りたくないって思ってる。
「――ぎゃぎゅう!」
思わず涙ぐむあたしの頭を、アシスが優しく撫でてくれて。
ひと鳴きしたアシスは、あたしの前に立つと、不意にその額の青い石を輝かせた。
まるで前世で、隣のおじさんがくれたタブレットみたいに。
あたしの目の前に映像が結ばれる。
映し出されているのは森の中で。
「――おとさんっ!」
おとさんは、戦っていた。
相手はおとさんの倍以上もありそうな、でっかい熊で。
おとさんが長剣を振るんだけど、そのたびに熊の周りには虹色にきらめく壁が生まれて、おとさんの攻撃は届かない。
「なにそれ、ズルい!」
熊が前足を振り下ろす。
おとさんは剣で受け流すけど、地面が沈み込んだ。
熊がさらに反対の手ですくい上げるように、反対の前足を振るって。
おとさんの顔が驚きに染まって、宙に打ち上げられた。
直後、熊の周りに大きな火球が三つ出現して、おとさん目がけて放たれる。
あの熊、結界だけじゃなく、火精魔法まで使えるの⁉︎
先行した二発を、おとさんは空中で長剣で弾き飛ばした。
逸れた火球は、木々にぶつかって、巨大な火柱を上げる。
最後の一発がおとさんに迫る。
二発を弾き飛ばしたところで、おとさんは後を向いちゃってる。
「――おとさんっ!」
叫ぶけれど、あたしの声はおとさんに届かない。
思わず両手で顔を覆って。
「ぎゅ! ぎゃうぎゃう!」
アシスがあたしの袖を引くから、指の隙間から画面を覗き見た。
「――おかさん!」
思わず胸を撫で下ろす。
映像の中で、宙に浮かんだおかさんが、おとさんを背後から抱き止め、水の膜で熊の火球を受け止めていた。
おかさんが何か言って、おとさんが苦笑する。
猛烈な湯気が上がって、火球と水の膜が相殺された。
ふたりは湯気に隠れて、地面に降り立つ。
熊が空を見上げて、吠えた。
湯気が吹き散らされる。
咆哮は森を越えて、おうちの中にいるあたしのところまで届いた。
「……あんな怪物、おとさん達だけじゃ……」
おとさんの攻撃は結界に阻まれて、通らないみたいだった。
あのままじゃ倒せない。
「……せめて、おとさんに兵騎があったら――」
そこまで呟いて、あたしはひらめく。
「そうだよ! おとさんに兵騎を持ってってあげたら良いんだ!」
「ぎゃう! ぎゃぎゃう〜」
アシスが首を横に振って、あたしの袖を引っ張る。
「だって、このままじゃおとさんもおかさんもやられちゃう!
――あたしもお手伝いするの!」
――きっとおとさんもおかさんも、褒めてくれるはずだよ。
あたしはなおも首を振るアシスを胸に抱き上げて、家の横の兵騎倉に向かう。
おうちより背の高い兵騎倉には、兵騎用と人用のふたつの扉があって、あたしは人用の扉を潜って、中に入った。
整備用の工具とか、予備の外装が無造作に転がった倉庫の奥。
椅子型の固定器に腰掛けて、それはあった。
あたしと一緒に拾われた時は、裸ん坊だった兵騎だけど。
おとさんが騎士になった時に、お隣の領主様がお祝いに鎧を着けてくれたから、今は角ばった鉄色の鎧に覆われている。
黒い面は今は無貌で、紫銀のたてがみも、動いてる時と違って光ってない。
あたしはアシスを抱いたまま固定器を駆け上がり、兵騎の鞍の前に立つ。
「たしかこうやって……」
おとさんが動かしてたのを思い出しながら、あたしは鞍に座った。
足を鞍のすぐ横にある固定具に突っ込むと、ちょうど良い感じに締め付けられた。
「むぅ〜? 手が届かない……」
内壁の前方から突き出た筒型の固定具まで、手が……
「ぎゃう……」
諦めろとでも言うように、アシスが鳴いて。
「ダメ! 行くったら行くのっ!」
「ぎゃぅ〜」
根負けしたのか、アシスは項垂れて、額の石を青く光らせた。
途端、両手用の固定具が音を立てて伸びて、あたしの両手を固定する。
顔の前に面が現れて、あたしの顔を覆った。
その内側に。
――正規リアクターのエントリーを確認。
――全兵装ロック解除。
――全制限を解除。
――ローカル・スフィア・リンク開始……
よくわからない文字が表れては、流れて消えていく。
そして、視界が兵騎のものに合一する。
――ロジカル・ウェポンNo.002 <
兵騎の無貌の面に、金の紋様が走って、
……動け。
そう考えるまでもなく。
兵騎は今やあたしの身体。
ゆっくりと固定器から立ち上がり、一歩は当たり前のように踏み出せて。
騎体を支えていた固定器が、重い音を立てて外れる。
「――おとさん、おかさん、今行くからね」
兵騎倉の扉を左右に開けて。
「――ギャウッ!」
アシスが鳴くと、視界の左上に地図が出てきた。
その地図の中央から、右上に離れたところに赤い点が灯る。
「ここに行けってこと?」
「ぎゃぎゃう!」
「――わかった!」
感覚で、ひとっ飛びだってわかる。
あたしは赤い点の方に騎体を向けて、膝を沈み込ませる。
地面を蹴ると、騎体は空に舞い上がった。
景色がすごい勢いで流れて、赤い点がぐんぐん近づいてくる。
ジャンプの頂点が過ぎると、森がどんどん迫ってきて。
木々の間に、おかさんに抱き抱えられたおとさんが見えた。
頭から血を流して、ぐったりしてる。
おかさんが泣いてた。
そんなふたりの前に、あの熊が後ろ足で立って、前足を振り上げていて。
目の前が真っ赤に染まった。
「――おとさん達を……」
胸の奥が熱い。
「――いじめるなぁッ‼︎」
叫びながら、あたしは熊に蹴りを叩き込む!
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