第1話 3
――あたしは、自分が恵まれない子だという事さえ知らなかった。
三歳の時にお母さんが、知らない男の人と出て行った。
置いていかれたお父さんは、それでおかしくなっちゃったんだと思う。
数ヶ月ごとに、別の女の人を『お母さん』と呼ばされて。
女の人が、あたしにひどい事をしても、「黙って従え」と怒鳴られる日々。
怒鳴られたり叩かれたりするのは、まだ良い方。
ひどい時は、お酒のビンを投げつけられたり、ベランダに放り出されたりもした。
ご飯ももらえない事が多くて、おなかはいつもきゅうきゅう鳴いていた。
たくさんいる『お母さん』の中には、お父さんが居ない時に、知らない男の人を連れてくる人もいて。
そういう時は、あたしは家の外に追い出されるから、アパートの玄関の前でうずくまってたっけ。
そんな生活にちょっとだけ変化があったのは、五つになった頃。
「――大丈夫?」
いつものように玄関の前でうずくまってると、隣に引っ越してきたお姉さんが声をかけてくれたの。
なにが大丈夫かわからなかったから、あたしは「大丈夫」って答えた。
「――お父さんかお母さんは?」
「お父さんはお仕事で、お母さんはお出かけ中なの」
こういうのも、いつもの事だった。
お父さんがお仕事に行くと、『お母さん』はあたしを家の外に出して、そのままどこかに出かける。
前にひとりでおうちに残された時に、おなかが空きすぎて、勝手に冷蔵庫の中のものを食べたら、『お母さん』はすごく怒って、それからはそうするようになったんだ。
お姉さんは困ったような顔をして、お部屋に戻って。
でも、すぐに戻ってきた。
「――コレ、食べて」
お姉さんが差し出してくれたのは、コンビニのおにぎりとペットボトルのお茶で。
「いいの?」
「いいから食べなさい」
お姉さんはちょっと怒ったような感じで言って、おにぎりの開け方を教えてくれた。
「しーちきんまよねーず」
本当のお母さんが居た頃に、お父さんが買ってくれた絵本があったから、あたし、字は読めるんだ。
……漢字はまだ難しいけど。
「そう、シーチキンマヨネ。わたしの大好物」
にっこり笑うお姉さんに、あたしは固まってしまう。
「……これ、お姉さんの分?」
本当に食べて良いのかな?
「いいから。食べちゃって」
「ありがとう、お姉さん」
ちゃんとお礼を言って、あたしはおにぎりにかぶりついた。
二日ぶりのご飯はすごくおいしくて、涙が出てきちゃった。
そんなあたしを見て、お姉さんもなぜか泣きそうな顔をしていて。
「ねえ、本当に大丈夫?」
その質問の意味がわからない。
「大丈夫だよ?
きっともう少ししたら、お父さんも帰ってくるし」
「……そう……」
そうしてお姉さんは、もう一度お部屋に戻ると、毛布を持ってきてくれて。
「今はまだ良いけど、寒くなってきたら、これ使って。
――ここに隠しておくから」
そう言って、お姉さんはお部屋とお部屋の入り口の間にある、よくわからない小さな扉を開いて、そこに毛布を押し込んだ。
それからお姉さんは。
「……怒られるかもしれないから、わたしの事は内緒ね?」
って、口に人差し指を立てて言った。
親切にしてくれたお姉さんが怒られるのは、よくないよね。
「うん、お姉さんの事は内緒!」
あたしはお姉さんがしたように、口に人差し指を当てて、内緒のポーズを返した。
それからも、時々お姉さんは通りかかるたびに、あたしにお菓子とかご飯をわけてくれるようになった。
家の外でお父さんと『お母さん』を待つのが、ちょっとだけつらくなくなった。
でも、いつの間にか、お姉さんはいなくなっちゃった。
お部屋はいつも真っ暗で、お姉さんは帰ってこなくなってしまったんだ。
引っ越してしまったのかもしれない。
そう気づいてからは、寒くもないのにお姉さんがくれた毛布に包まって、お父さん達の帰りを待つようになった。
六歳になって少し経った頃。
お父さんが帰ってくるのはますます遅くなって、その頃の新しい『お母さん』は、お父さんじゃない色んな男の人を、おうちに呼んでいた。
あたしは一日の大半を、お部屋の前で過ごすようになってて。
相変わらず、おなかはいつもきゅうきゅう鳴ってた。
「……大丈夫かい?」
ある日、そう声を声をかけてきたのは、お姉さんのお部屋とは反対のお部屋に住んでたおじさんで。
顔色が悪くて、朝、お仕事に行く時にいつも咳をしながら階段を降りて行くおじさんだ。
お姉さんもそう訊いてきたけど、やっぱりなにが大丈夫なのかわかんない。
「大丈夫だよ?」
あたしがそう答えると、おじさんは少し困ったような顔をして。
「いつもひとりでそうしてるじゃないか。
お父さんとお母さんは?」
「お父さんはお仕事。お母さんは、大事な用事があるから、外で待ってなさいって」
なぜかおじさんは泣きそうなお顔をして。
「ちょっと待ってなさい」
そう言うと、おじさんはお部屋に帰って、それから少しして戻ってきた。
「……食べなさい」
おじさんが差し出してくれたのは。
「――かっぷめん!」
ごちそうだっ。
「いいのっ!?」
喜ぶあたしに、おじさんはまた泣き出しそうなお顔をしたけど、すぐにうなずく。
「熱いから、気をつけて」
「うん!」
おじさんは、割りばしを割って、あたしに差し出してくれた。
おはしは苦手だけど、かっぷめんは引っ掛けて食べられるから大好き。
久しぶりのごちそうに、涙が出ちゃった。
それからおじさんは、脇に抱えていた板みたいなのを差し出してきて。
「コレ、あげるから、待ってる間に使うと良い」
その板みたいなのにおじさんが触れると、表面が光って色んな絵が並んだ。
たぶれっとって言うんだって。
「ここをこうして、こうすると――」
たぶれっとの表面にアニメの一覧が映し出されて。
「好きなのを観ると良いよ」
おじさんはそう言って、あたしの頭を撫でようとして――直前でその手を止める。
「……怒られるかもしれないから、僕の事は内緒でね?
タブレットはここに隠しておくと良い」
お姉さんみたいに、口に人差し指を当てたおじさんは、いつも毛布を隠してる小さな扉を開けて見せた。
親切にしてくれたおじさんが怒られるのは、よくないよね。
だからあたしも人差し指を口に当てて。
「うん。内緒!」
それからも、おじさんは通りかかるたびに、かっぷめんをわけてくれるようになって。
でも、おじさんは日に日に痩せて、咳も多くなっていった。
あたしはおじさんがくれた、たぶれっとで、いろんなアニメを観るようになった。
お気に入りは、おじさんがオススメだって言ってた、ロボットのやつ。
泣き虫な女の子が相棒の巨大ロボと一緒に、大好きな人達の為に一生懸命に頑張って強くなっていくの。
おじさんと出会ってから、また少しだけ、お父さんを待つ時間がつらくなくなった。
七歳になる頃。
おじさんが救急車で運ばれて行っちゃった。
それから少しして、たぶれっとでアニメが見れなくなった。
よくわからなくて、いろいろいじってたら、マンガが見れたから、それで時間を潰すようになった。
そんなある日、お父さんが珍しく、おひさまが沈んだばかりの時間に帰って来て。
その日も、『お母さん』は知らない男の人を家に連れてきてたから、あたしはお部屋の外で待ってたんだ。
「――お父さん?」
お父さんはすごく怖い顔をして玄関を開けて。
怒鳴り声がして、なにかが砕ける音がした。
『お母さん』の悲鳴が響いて。
男の人が、バタバタと飛び出してきて、あたしを抱えあげると、手摺りの外に身体をぶら下げた。
「――い、良いのか!? おまえの娘をお、お、落とすぞ!」
ドアからふらつきながら姿を現したお父さんは、手に包丁を持っていて。
お父さん、それ……血?
ポタポタと血を
「――死ねええぇぇぇぇ!」
男の人に突進して、あたしは宙に放り出された。
ぎゅっと目をつぶって――
――躯体生成完了。
知らない文字が、暗闇の中に浮かび上がる。
――ユニバーサル・スフィア・コラムより、主人格の取得を開始。
その文字は、見たことがないものなのに、なぜか意味はわかって。
――ローカル・スフィアへの転写開始。
胸の辺りが暖かくなっていく感覚。
――ソーサル・リアクターの正常稼働を確認。
鈴を転がしたような音がした。
――ハイ・ソーサロイド00型……
……目が開く。
そこは狭い空間で。
なぜか身体が上手に動かせなくて、あたしはなんとか首を動かす。
手がすごくちっちゃくなっていた。
赤ちゃんみたいな手だ。
……あたし知ってる。
アニメで見たもん。
これ、転生ってやつだ。
あたし、きっとさっき死んじゃって、赤ちゃんに転生しちゃったんだ。
「だぁう」
赤ちゃんだから、うまく喋れない。
キョロキョロと目を動かして、周囲を確認する。
お馬さんの鞍みたいのが宙に浮いていて、その前に四本の筒が壁からせり出してる。
そんな狭い空間の床に、あたしは寝かされてるみたい。
――どこ、ここ?
「どぉおぉ」
やっぱりうまく喋れない。
赤ちゃんになっちゃって、ひとりぼっちで。
「あぁ――」
思わず声をあげて泣いちゃった。
お父さんはどうなったんだろう、とか。
これからどうなっちゃうんだろう、とか。
いろんな不安がこみ上げてきて、涙が止まらなかった。
手足をジタバタさせてたら、壁に手がぶつかって。
そこから波紋が広がるように――たぶれっとみたいに、映像が映し出された。
壁全部に、映像が表示されて。
……これ、外?
暗くて広い、ホールみたいになったその中央に。
――ロボット?
アニメで見たのとはちがう、ファンタジーの鎧みたいな格好をした、ずんぐりむっくりなロボットがたたずんでいた。
顔もアニメで見たのと違って、兜みたいになってて、何本もスリットが入ってる。
そのロボットの向こうには、通路みたいなのが見えて。
やがてそこから一組の男女が姿を現した。
ひとりは大きなおじさんで、手に剣を持ってる。
女の人は小柄なお姉さんで、おじさんの背中に張り付くようにしてやってきた。
ふたりに反応したのか、ロボットのスリットの奥で六つの赤い光が灯って。
膝を付いた体勢から、ゆっくりと立ち上がっていく。
おじさんは剣を構えて一歩前に。
お姉さんは数歩下がって、両手を広げた。
ロボットはおじさんより大きくて、背の高さなんて倍以上ある。
でも、おじさんは笑っていて。
ロボットの拳が振り下ろされる。
おじさんはそれを剣で受けて。
音は聞こえないけど、叫んだのがわかった。
下からすくい上げるように、おじさんが剣を振り上げて。
ロボットの拳が跳ね上げられて、尻もちをついた。
……でたらめだぁ。
お姉さんも驚いた顔してるよ?
おじさんは笑顔のまま、さらに剣を振って。
ロボットの右腕が肩から落ちた。
さらに横に剣を振ると、ロボットの両膝が砕け散る。
仰向けに倒れたロボットの胸に跳び上がったおじさんは、両手で剣を振り上げて。
次の瞬間には、ロボットの頭が真っ二つになってた。
ロボットはそれっきり動かなくなって。
お姉さんがおじさんに駆け寄って――声は聞こえないけど、なにか怒ってるみたい。
おじさんは困ったような笑顔を浮かべて、それからなにか言って、こっちを指差した。
……ん?
ふたりはロボットの上から飛び降りると、ゆっくりとこっちに歩いてくる。
そばまでやってきたおじさんは、壁の映像に大映しになって。
なにかを持ち上げる仕草をすると、不意に壁に移ってた映像が消えた。
かわりに壁の一部が開いて。
その開いたところから、おじさんが顔を覗かせた。
「おぉんぃぃあぁ」
……こんにちわ、と。
そう言いたかったのだけれど、相変わらずうまく言葉になってくれない。
「……こいつぁ……」
おじさんが呻いた。
「どうしたの?」
お姉さんも顔を覗かせて。
「――えぇっ!?」
驚きの声をあげた。
そうだよね。
こんなトコに、赤ちゃんがいたら驚くよね。
「だぁ……」
うめくあたしに、お姉さんの表情が驚きから、優しい微笑みに変わって。
ゆっくりとあたしを抱き上げてくれた。
視界が高くなって、おじさんと目が合う。
おじさんもまた、戦ってた時の凛々しい笑みじゃなく、優しい微笑を浮かべていて。
「……なあ、頼みがあるんだが……」
おじさんは困ったように頭を掻きながら、お姉さんに言った。
「――奇遇ね。わたしも今、頼み事ができたわ」
お姉さんもあたしを優しく揺すりながら、おじさんに答える。
「――この子の母親になっちゃくれねえか?」
「――この子の父親になってくれない?」
ふたりそろって同時に言って、吹き出す。
「……嫁に来てくれってわけじゃねえんだ。
この子が一人前になるまでで良い。母親代わりになっちゃくれねえか?」
「わたし、男はもうこりごりなの。
でも、子供には父親が必要よね。
――良いわ。乗ってあげる」
そしてふたりはがっちり握手。
どうやら、おじさんとお姉さんは、あたしを育ててくれるつもりみたい。
「名前はどうする?」
お姉さんが尋ねて、あたしを見下ろす。
「……女の子みたいだけど」
裸だから、丸見えなんだね……
おじさんが鞄から布を出して、あたしを包んでくれる。
「じゃあ、生と死の女神サティリア様からもらって、サティってのはどうだ?」
「古代遺跡で見つけた子だし、女神様からの授かりものっぽくて良いわね」
ふたりとも納得したようで、うなずきあって。
「――サティ~」
ふたりして嬉しそうに、優しい笑顔で覗き込んでくる。
……以前とはちがう名前だけど。
でも、以前みたいに、「おい」とか「おまえ」じゃない、ちゃんと呼んでもらえる、あたしだけの名前。
……うれしい。
「うあぅ……」
涙があふれ出て、あたしはおじさんのたくましい胸に顔を押し付けた。
ゴツゴツしてるけど、あったかくてすごく安心できる。
だんだん眠くなってきちゃって……
――こうして、あたしはこの日。
自分が恵まれてなかったことにさえ、気づけずにいたあたしは。
新しい――ちゃんと呼んで貰える名前をもらって。
『幸せ』の意味と、『愛する』を教えてくれた、ノルドお父さんとユリシアお母さんの娘になったんだ。
★――――――――――――――――――――――――――――――――――――★
ここまでが1話となります。
家族になる三人の出会いの話で、序章的な感じで描いてみました。
不幸な前世を持つ三人が、どうやって幸せになっていくのか。
一部、成り上がり要素も交えて、展開していこうと思っていますので、引き続きのご愛顧、どうぞよろしくお願い致します~
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