第1話 2

 ――わたし、ユリシア・ロートスは、とにかく運に見放されてるんでしょうね。


 侯爵家の長女として生まれたのは、恵まれてたと思うわ。


 優しく温厚な両親とお兄様に可愛がられて、すごく幸せだった。


 八歳の時に、婚約者として引き合わされた公爵家嫡男は、すごく格好良い方で。


 わたしはいずれこの方に嫁ぎ、立派な公爵夫人になるのだと、頑張って勉強したし、マナーも身につけたわ。


 十五歳で学園に入学してからは、魔道にも一生懸命に取り組んだ。


 少しでもあの方の助けになれればって、そう思ったの。


 けれど、この頃から彼の様子がおかしくなった。


 やたら派手に遊び歩くようになって……お金を貸してくれって言い出したの。


 最初はわたしのお小遣いの一部くらいだったんだけど、どんどん金額が大きくなっていって……


 それでもわたし、彼の為にって、写本のアルバイトをしたりしてお金を都合したわ。


 さすがにお父様達には頼めないもの。


 やがて写本のアルバイトじゃ足りなくなって、先生にお願いして、魔道器製作のアルバイトもするようになったわ。


 授業の時間以外は、ほとんどアルバイトに費やしてた。


 こんなに働いてる貴族令嬢なんて、他にはいないって先生も呆れてたっけ。


 その所為で、彼との時間はどんどん減っていって……


 でも、バカなわたしは、彼の為に働ける事に、喜びを感じていたのよね……


 頑張るほどに、彼は喜んでくれる――そう思ってた。


 ……思い込もうとしてた。


 二年生も半ばを過ぎた頃には、手はインクまみれで、指もペンだこでゴツゴツになって。


 睡眠時間を削っていたから、目の下にはお化粧でも隠せないくらい濃いクマができて。


 この頃には、彼に会えるのはお金を渡す時だけになっていて、彼に会いたい一心で、アルバイトに打ち込んでたっけ……


 ――騙されてる。両親に言った方が良い。


 友人達はそう忠告したけれど、わたしは聞かなかった。


 だって、彼は公爵令息だもの。


 他家の子息との付き合いもあるでしょう?


 そんな時にみすぼらしい格好をしてたり、支払いをケチるような事があったら、御家の名に傷がついてしまうわ。


 友人達への返答は、今にして思えば、自分に言い聞かせてたのでしょうね。


 むしろ友人達は、彼を狙って、わたし達を引き離そうとしている――なんて、そんな馬鹿な考えに捕らわれてさえいたわ。


 だから、友人達とも疎遠となってしまって。


 おかしいなって思ったのは、三年生になった頃。


 女子生徒達からは軽蔑の目を向けられるようになり、男子生徒からは……なんて言うのだろう? 好奇? いいえ、もっと性的でいやらしい目を向けられるようになった。


 そしてある日。


 ――先輩、お金払えば、ヤらせてくれるってホントっスか?


 二年生の男子に校舎裏に呼び出されて、そう告げられて。


 わたしは目の前が真っ暗になったわ。


 いつの間にか学園内に、わたしは『お金の為ならなんでもする女』という噂が流されていたの。


 強引に関係を迫ってきたその男子を、魔法でぶっ飛ばして。


 寮の自室に戻って、その日はとにかく泣き明かした。


 恐怖と羞恥と情けなさで、涙が止まらなかった。


 ――彼には知られたくない。


 だから、そんな噂が間違いだと示す為に、わたしは彼以外の男子には、なるべく近づかないようにしたし、教室とバイトの作業場の移動は、なるべく人目のあるところを選ぶようにした。


 おかしな噂は続いていたけれど、やましい事などないのだから、無視するようにしていたわ。


 ……心が軋む音が、ずっとずっと続いていたけれど。


 そんな灰色の学園生活の終わりに、それは起きた。


 ――卒業パーティー。


 久々に彼に会って――この頃にはもう、お金の受け取りさえ、彼は人を使うようになってたから――、パーティーにエスコートしてくれた。


 嬉しかった。


 パーティの為に家から呼んだメイドは、くたびれ果てて、すっかり変わってしまったわたしに驚きながらも、美しくわたしを飾り立ててくれて。


 ――これなら婚約者様も惚れ直しますよ。


 なんて言ってくれて。


 すっかり浮かれたわたしは――だから、あんな事になるなんて、夢にも思わなかった。


 ……わたしはとことん、運に見放されてるんでしょうね。


 ――ユリシア・ロートス! おまえとの婚約を破棄する!


 宴もたけなわになった頃、彼はわたしをパーティーホールの中央に連れ出して、衆目の前でそう宣言した。


 嫌悪感もあらわに、わたしを指さす彼の隣には、見知らぬご令嬢が寄り添っていて。


 理由を訪ねて縋るわたしに、彼は告げる。


 ――金の為に、誰にでも股を開くような淫売を、妻にできるわけがないだろう?


 周囲がクスクスと嘲笑を漏らし、彼の隣に立つ令嬢もまた、邪悪な笑みで笑っていた。


 ――ハメられた。


 そして彼にとっても、わたしは金ヅルでしかなかったのだと、そう気づいた時。


 ひどい目眩がして……


 まるでせきを切ったかのように、見知らぬ記憶が流れ込んできた。


 ――それは、サティリア教会が伝える、輪廻転生――前世の記憶なのでしょうね。


 前世のわたしは、日本という国に生まれて――やはり男に貢ぐ、ダメな女だった。


 男はいわゆるヒモで、働きもせずに昼間から賭け事にうつつを抜かすようなクズ。


 ――いつかメジャーになって、楽させてやるからな。


 ミュージシャンを自称する彼の言葉を疑いもせずに、わたしは必死に働いて彼を支え続けていた。


 そして疲れ果てて帰宅したある日、アイツはわたしの部屋で、別の女と行為の真っ最中で。


 怒ったあたしに逆ギレしたアイツは、そばにあった灰皿を投げつけてきて。


 ……記憶があるのはそこまで。


 最後の記憶は鈍い衝撃と、真っ赤にそまった視界。


 ガラス製の分厚い灰皿だったしね。


 当たりどころが悪かったんでしょうね。


 そのまま死んじゃったんだと思う。


 クズ男は晴れて殺人犯だ。ざまぁ見ろ。


 ――そこまでを一気に思い出して。


 うずくまったわたしを、なおも罵倒する彼とその横の女を、わたしは睨みつけた。


 このままでは、そのまま前世の焼き直しだ。


 信じられない事に、婚約者であるアイツは、自分が拵えた借金をわたしの浪費癖の所為だと言い出していた。


 それに乗っかった横の女は、やれわたしにいじめられただの、わたしがゴロツキを雇って彼女を襲わせただのと――ありもしない事の捏造を始めた。


 思わず笑っちゃったわ。


 言い訳――そして難癖まで、前世のアイツらと一緒なんだもの。


 なにもかもが面倒になったわたしは、アルバイトで鍛えられた魔法で、ふたりをぶっ飛ばした。


 とにかく腹が立ってたから、『元』婚約者のアイツには、馬乗りになって顔の形が変わるくらいにぶん殴ってやったわ。


 使うことなんてないと思っていた身体強化の魔法が、思わぬ形で役に立ったわね。


 とはいえ、相手は腐っても公爵家嫡男。


 満足行くまでアイツを殴り続けたわたしは、パーティー会場を飛び出して実家に舞い戻り、これまでのすべてを両親と兄に説明した。


 そして、家に迷惑がかからないよう、わたしを除籍放逐するように頼み込んだわ。


 両親も兄も、なんとか引き留めようとしてくれたけれど。


 なんというか、もうどうでもよくなってたのよね。


 捨て鉢とも言うわね。


 貴族の娘である限り、家に残ったところで、またどこぞの貴族家に嫁がされる。


 男に尽くすだけの人生なんて、もうまっぴらゴメンだわ。


 それくらいなら、家を出て自由に生きてみたかった。


 だから、その晩、わたしは家を飛び出した。


 部屋には両親とお兄様への謝罪の手紙と、『元』婚約者に書かせていた、溜まりに溜まった借用書を残して。


 アイツの家がなにか言ってきても、これが証拠となって突っぱねられるでしょう。


 晴れて自由の身となったわたしは、冒険者になろうと思った。


 ノウハウはあるわ。


 前世のわたしは働くのに必死で、趣味らしい趣味なんてなかったけれど。


 唯一、仕事の合間にスマホで読む、Web小説を楽しみにしていたのよね。


 学園の授業で、冒険者って職業があるのは確認済み。


 バイト生活で培った魔道の腕にも自信があるわ。


 ――なんなら、Web小説のように知識チートで一山当てるのも良いかも知れない。


 なんて、気楽に構えていたのよね。


 ……まあ、できなかったわ。


 はじめに思いついたテーブルゲーム関係は、すでに似たようなのがあるし、カードゲームも同様。


 いくら前世より文化水準が低い世界とはいえ、ある程度文明が発達してたら、人って娯楽を求めるものよね……


 服飾関係で、とも考えたけれど、そもそもこの世界に化繊が存在しないから、前世のデザインを再現できないのよね。


 魔道繊維――魔繊ませんなんてのもあるけれど、そちらはすでに職人がいて、様々なデザインを発表しているから、後発のわたしが食い込む余地なんてなかった。


 だから、そっち方面で稼ぐのは早々に諦める事にした。


 前世の知識なんてアテにできない。


 やっぱり、地に足を着けて、地道に稼ぐのが一番よ。


 王都を離れて着の身着のまま、気の向くまま。


 生活費は学生時代に培った、写本や魔道器作成で工面して。


 冒険者と言っても、こういう仕事もあるから、危険な目にはそれほど合わずに旅を続けて。


 目指したのは、南部の辺境地帯。


 学園で読んだ本によれば、その地には多くの古代遺跡があるのだという。


 現代魔道の基礎となったと伝えられる古代文明。


 せっかく自由になったのだから、一度はこの目で見てみたいと思ったのよね。


 辿り着いた街の冒険者ギルドで、遺跡の情報を仕入れようとすると、受付のお姉さんにひとりで行くのを止められたわ。


 なんでも遺跡は森の中にあって、魔獣に出くわす可能性があるんだとか。


 あと、遺跡内には魔物が発生していたり、遺跡を守る防衛装置が生きている場合もあるらしい。


 魔道に自信があるから大丈夫って言ったのだけど、お姉さんは認めてくれなくて。


 どうしても行くなら、護衛をつけろって言われたのよね。


 遺跡の探査経験があって、魔物討伐の経験もある人物というのは、ギルド側の指定した条件。


 そこにわたしは女性が良いと付け加えたのだけれど、残念ながらその希望は叶えられなかった。


 紹介された人物の第一印象は……クマかな? だった。


 歳は二十代半ばほどだろうか?


 ――十八のわたしから見たら、十分におじさんに見える年頃。


 二メートル近い、鍛え上げられた巨体をしていて、脚周りがわたしの胴くらいある。


 腕だってわたしの胴の半分以上だ。


 適当に刈られた小麦色の髪に、印象深い灰色の瞳。


 ノルドと名乗った彼は、無精髭に覆われた口元に皮肉げな笑みを浮かべていて、わたしを小娘と見下しているように思えた。


 けれど彼は、わたしが自衛の為に差し出した魔道器を文句を言わずに着けてくれて。


 遺跡のある山中、森の中を進む時も、下生えを払って道を作ってくれたり、わたしの荷物を持ってくれたりして。


「――疲れたら、すぐに言ってくれよ。

 遺跡は勝手にいなくならねえんだ」


 そう言って、疲れてきた頃には休憩を勧めてくれたりして、見た目に反して紳士的な人物なのだとわかってきた。


 見た目はクマか山賊かっていう風貌なのに、気遣いがハンパない。


 ひょっとしたら、こんな見た目でもイイトコの生まれなのかもしれない。


 やがて茂った木々の向こうに、不釣り合いとも思える白色をした建造物が見えて来て。


 ……思いつきで訪れたこの遺跡で。


 とことん運に見放されていたわたしは。


 彼――ノルド・ルキウスと共に、大きな人生の転機を迎える事になろうとは、この時は思いもしてなかったのよねぇ……

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