第5話

 約五百人、およそ二キロメートルにもなる隊列のほぼ最後尾から、先頭付近にいるダートのところまで、オルフェは二十秒で走り切った。

 魔法で足元に空気のクッションを作りながら走ったため、足音も立てていない。

 静かにダートの横へ並び、ダートの前に顔を出した。

 二人は目を合わせただけで、状況を共有した。


 ダートが手振りで命令を下したが、本来それを更に周囲に伝達すべき小間使い、つまり中級騎士たちはぽかんと口を開けて、突然現れたオルフェを奇異の目で見ているばかりである。

「何をしている」

 ダートが静かな怒り混じりの低い声で叱責して、中級騎士たちはようやく我に返り、命令の伝達を始めた。

「遅い」

 言いながらオルフェは両手に魔力を溜めて、ダートの前に躍り出た。

「総員防御!!」

 自らの声を風魔法で大音量にしたダートが叫ぶ。

 同時に、オルフェが土魔法で自身とダート、中級騎士たちの周辺の地面を隆起させる。五メートル程の即席の土壁が出来上がった。

 その外側に、強烈な何かがぶち当たった。

「ひいいい!?」

 轟音に驚いた中級騎士たちは、自身の防御すら忘れて腰を抜かした。

「ダート、えっと、どうする?」

 いつもならば、オルフェがダートを背負って群れのボスのところへ向かう。

 しかし今回は、放っておいたらあっという間に死ぬであろう三人のお守りをしなくてはならない。

「外の魔物の危険度は」

「SSか、それ以上。今の僕でギリギリ」

 ダートが思考したのは一瞬だった。

「俺が行く。その前に」

 ダートは中級騎士たちに向き直った。


「これから、オルフェに何があろうとも、見聞きしたことは他言無用だ。もし破れば問答無用で資格剥奪する」

 これまでも不機嫌だったダートから更に圧力をかけられて、中級騎士たちは情けなく真っ青になって頷くしかできなかった。

「返事は!」

「は、はいっ!」

 ダートがチッと舌打ちする頃には、オルフェが補助魔法を掛け終わっていた。

「いつもの二割増しくらい」

「分かった」

 ダートはふっ、とその場から姿を消した。

 補助魔法によって強化された脚力で、一瞬にして五メートルの壁を飛び越えたのだ。


 ダートがいなくなった場では、中級騎士たちがようやく立ち上がった。

 それをちらりと確認したオルフェは、中級騎士たちの後ろに下がった。

「お、おい、どこへ行く」

「どこって、僕は本来ここにいちゃいけないので、後続部隊に戻ろうかと。あ、魔法も解いておきますね。先輩たちのお手並み拝見させていただきます」

 オルフェは中級騎士たちを見捨てるつもりはない。

 だが、少しでも状況判断が遅かったら、ダート達は土壁を攻撃した衝撃をもろに食らっていた。

 魔物の気配を察知することも、ダートを守ることもできないくせに、ダートの隣に胡座をかいたこいつらが許せず、日頃の意趣返しをしたのであった。

「なっ、お、俺たちを見捨てるのか!?」

「悪かったっ! 今までのことは謝る、だから」

「だから何です? 下級騎士が創った土壁に守られるなんて、先輩方の矜持が許さないでしょう」

「ぐ、ぐぬ……」

 全員が顔に焦燥を浮かべたことで、オルフェは少しだけ胸のすく思いがした。

 このくらいにしといてやろう。

「魔物が迫ってきています。僕たちだけ土壁に守られていては他の人に示しがつかないので、これより討伐を開始します。準備はいいですか?」

「あ、え、待っ……」

 この期に及んで尚もあたふたする中級騎士たちをみて、オルフェは先程の思いを打ち消した。

 もうこいつら、どうなってもいいや。

「もういいです。僕がやりますんで、先輩たちはそこでじっとしててください。そのくらいは出来ますよね」

 壁の外側では、ダート以外の騎士たちも既に討伐をはじめていた。

 魔物の気配が少しずつ減っている。

 オルフェが片手を上げて下ろすと、土壁がガラガラと崩れ去った。


「ガルルルァアアア!」

 壁が消えるなり飛びかかってくるデッドウルフを、オルフェがいつの間にか抜いた剣で両断した。

「ひいいっ!」

「えっ?」

 魔物を知らぬ貴族令嬢のような悲鳴を上げる中級騎士たちに、さすがのオルフェも驚きを隠せない。

「あの、つかぬことをお伺いしますが」

 話している間にも、魔物は次から次へと襲いかかってくる。

 オルフェは片手で剣を操って敵を倒しながら、中級騎士たちに問いかけた。実のところ思わず敬語を使ってしまうレベルで困惑している。

 嫌な予感がしたので、オルフェは剣を握っていない方の左手で、映像記録魔法を立ち上げ、こっそり中級騎士たちに向けた。

「先輩方、何度も討伐に出てますよね?」

「あ、ああ」

「だが、お、俺が手を下すまでもないだろう!?」

「つまり、今までの討伐でも魔物とは直接対峙してないと」

「伯爵令息の俺が魔物なんかと剣を交えるなぞ、おぞましい」

「そういう仕事は血の気の多いやつや、お前のような下級に任せておけばいいんだ」

 マジか……。オルフェは口から出かけた言葉をどうにか飲み込んだ。代わりに、襲ってきたゾンビベアの首を刎ねる。

「そもそもっ! お前が生意気にも団長の小間使い役なんて大任をかすめ取るから、俺たちの……」

「騎士団は実力主義でしょう。団長のお世話がしたいなら、今頃危険度SS級のボスのところにいますから、どうぞ」

「ぐっ……そ、そうだ、俺たちにも補助魔法を掛けろっ」

「そうだそうだ!」

 中級騎士たちが見当違いな要求をしはじめる頃には、オルフェたちの周囲だけ魔物がいなくなっていた。

「止めといたほうがいいですよ。余計に怪我をします」

「そんなはずないだろう。いいからやれっ」

「僕は忠告しました。命令したのは貴方がたですからね」

 言い合うのが面倒になったオルフェは、かなり手加減した補助魔法を三人に掛けた。

 手加減したとしても、魔法というのは下方修正するほうが難しい。

 いつもの五割減までしか調整できなかった。

「おお、力が湧いてくる!」

「よし、これで団長をお助けするぞ」

「行くぞー!」

 単純すぎないか。ここまで頭がおめでたいとは。

 走り出した中級騎士たちは、途中、木の根や石で揃って躓いて転んだ。速度が出ていたせいで、それはもう盛大にすっ転げた。

「ぐわあー!」

「ぎゃー!」

 野太い悲鳴が森の中に響き渡る。

 その声で、群れに属していなかった周辺の魔物まで呼び寄せてしまった。

 あいつらだけ土壁に閉じ込めておけばよかったと、オルフェは後悔した。

 とはいえ、討伐で死人を出しては、騎士団長ダートの沽券に関わる。

 オルフェは魔力を解き放ち、魔物たちに狙いを定めていくつもの光弾を放った。

 魔法とは、自然界の精気と呼ばれるものと魔力を合わせる術である。自然界の精気を操れねば魔法を使うことは出来ないが、攻撃力に関しては、術に込められる魔力の割合が多いほど、威力が高い。

 光弾はほぼ魔力そのものの攻撃魔法である。


 周辺から魔物の気配は消えたが、オルフェの瞳が、じわりと赤みを帯びた。


 ふと、ダートが討伐しにいったはずの魔物のボスの気配が消えていないことに気づいた。

 それどころか、ボスはこちらへ向かってきている。

 オルフェは、未だに足元に転がって騒ぎ立てている中級騎士たちを放置し、ボスの元へ走った。




「ダートっ! どこだっ!」

 魔物の気配はすぐに察知できるのに、人間の気配はどう頑張ってもわからない。

 人間の生き物としての気配が希薄なのか、魔物が特別なのか。

 ダートより先に、ボスに遭遇してしまった。

 巨大な青い体色の、ブルードラゴンだ。

 先日ダートが討伐したレッドドラゴンより遥かに格上の相手である。

 そのブルードラゴンの巨大な前足の爪に、騎士のマントが千切れて絡まっていた。




 オルフェに放置された中級騎士たちは、ようやく起き上がってあたりを見回した。

 オルフェの姿がない。

「あいつ、どこいきやがった」

「どうする、退くか?」

「いや、団長の近くに行くんだ。多分あの下級野郎が行った方にいるんだろう。確かあっちの方へ……」

 騎士のひとりが正しくオルフェの向かった方向を指さした途端、ずずん、と地響きがした。

 続いて、ごう、という咆哮のようなものが聞こえ、更に地響きが続く。

「な、なんだ……?」

「に、逃げたほうが……」

「でも、俺たちが逃げたら拙いだろう」

「行くしかないのか……」

 中級騎士たちは恐る恐る、歩き出した。




 オルフェは魔法を使い続けていた。

 光弾を何百発と打ち込んでも、ブルードラゴンは意に介さず、オルフェに爪や尾、口から吐く炎で攻撃を返してくる。

 オルフェの瞳は完全に血のような赤に染まっており、漆黒だった髪の色にも変化が現れ始めた。

 普通、黒髪を陽に透かすと茶色く見えるものだが、オルフェの場合は夜空のような濃い紫色に見える。

 森の中は生い茂る樹々の葉によって薄暗いが、それでもはっきりと分かるほど、オルフェの髪は紫色に染まりつつあった。


「オルフェっ」

 小さく叫ぶ声がした。

 ブルードラゴンの身体や樹々の枝を足場に飛び回っていたオルフェが声のする方を見ると、切っ先の折れた剣を杖代わりにしたダートがかろうじて立っていた。

 オルフェは叫びたいのを堪えて、ダートの近くに降り立った。

「生きてたのか、よかった」

「俺が死ぬわけないだろう。それよりお前、見られたら拙い色になってるぞ」

「わかってる。……これで、ちょうどいい」

 オルフェがダートに回復魔法を掛けると、オルフェの瞳と髪はいよいよ人が持てる色ではなくなった。

 瞳は橙と赤のグラデーションになり、髪は光もろくに当たらないのに星空のように輝いている。

「すまん、結局押し付けることになって」

「いいから休んでて。あいつ片付ける」

 ダートが傷の癒えた身体で大人しく引き下がると、オルフェは自分自身に補助魔法を掛けた。


 普段のオルフェの身体は魔法を通さないが、それは自身の魔力量が多すぎるためだ。

 ブルードラゴンとの戦闘で意図的に魔法を多用し、先程の回復魔法で魔力を大量に消費したことで、オルフェの体内魔力残量は一割を切っていた。

 この状態であれば、オルフェは自分に補助魔法を使うことができるのだ。


 ただでさえ、補助魔法のない状態であれば、ダートより強いのである。


 ブルードラゴンが最後に見た景色は、誰もいない森の中だった。


 オルフェはブルードラゴンでも捉えられない速度で地を蹴り剣を振り、ブルードラゴンの頭部を一撃で斬り落としたのだった。

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