第4話 運命/カム・トゥギャザー

「降りてこい」


 シキは言った。少女は、飛び降りて、木の葉のように軽やかに地面に着地した。眉をハの字にしながら、シキを見る。

 よく見ると、目の隈は濃く、瞼も重そうで、半目になっている。ひどく眠いのかもしれなかった。


「お前は、誰だ?」シキが言った。


 少女が口を開いた。


「私は、私です」


「名前は?」


「ありません」


「親は?」


「知りません」


「いつからここに?」


「気がついた時には」


「どうして、言葉が喋れる?」


「村の人から習いました」


「なに?」


 シキは少女を睨みつけた。嘘かどうか、わからない。少なくとも、目線は泳いでいないし、汗をかいていないように思えた。

 いや、むしろ、表情がなさすぎる。


「ルエに習ったのか?」


「ルエ……?」少女は首を傾げた。「どなたですか?」


「民宿の少女だ」


 あぁ、と、少女は合点が言ったように頷いた。


「その方なら、見たことがあります」


「見たことがある?」


「実際に話したことはありません」


「キミが、村を襲ったのか」


「襲う?」


「村の人を、殺したのか?」


 そうシキが言うと、少女は無表情でかぶりを振った。


「いいえ。殺してはいません」


「じゃあ、なぜ村岡の家にいた」


「ムラオカ?」


「死んでいた老人だ」


 彼女は、腕をもう片方の手で掴みながら、言った。


「間に合わなかったのですね」


「間に合う?」


「私は、あの人を助けられると思いました」少女は顔色ひとつ変えない。「ですが、私が来た時には、もう、斬られていました。あなたが斬ったのでは?」


「違う」シキは木の根に腰掛けた。「村を襲うバケモノを退治するという依頼で僕はこの村にきた。僕は、キミがそのバケモノじゃないかと思っている」


「人と違うという意味なら、バケモノです。ですが、村を襲ってはいません」少女が反論した。


「死んだムラオカも、お前をバケモノ扱いした、と」シキが言った。


「……バケモノだから、お供えをしたんだ」


 少女が呟いた。


「なんだって?」


「ムラオカさんは、この山の社に、米や山草を置いてくれました。私は、それを食べて、これまで生きてきました」


「社へ案内してくれ」


 少女は頷いて、歩き出す。

 連れ出されたのは、あの山道だった。それを、山頂へと登っていく。


「この道の先にあるのか」


 少女は、歩きながら答えた。


「はい。私が、住んでいる場所でもあります」


 シキは何も言わない。やがて、山道が途切れて、古びた社にたどり着く。いや、社というより、ただの山小屋だった。

 ただ、粗末な供物台だけが、かろうじて社であると主張していた。

 シキは、供物台の周りを見た。ヤマオカが食べものを持って来たことを確認したかったのだ。それに、虫や動物に食われた可能性も捨てきれなかった。


「中に入ってもいいか?」


 シキの言葉に、少女は頷いた。中に入ってみると、半分ほど床は抜けていて、まさに無いも同然だった。部屋にあるものといえば、隅に積まれている藁くらいのものだ。おそらく、あれが寝床だ。周りを丹念に探してみると、茶碗がひとつ。その場しのぎの嘘ではなさそうだった。


「ここで、ヤマオカに会ったことは?」


 少女は首を振る。


「あの人が来た時に私が小屋から出たことはありません。隠れていました」


 シキは疑わしげな視線を向けた。


「僕を試していたのにか?」


「マタギに追いかけられた時と、同じ手を使いました。途中で、終わりましたけれど」


 シキは押し黙る。マタギは、奥の手を使う自分より速く山を駆ける、という事実を知ったからだった。


「ほかに、聞きたいことは?」


「こいつが殺してないとして、誰がやったんだ」


 シキは独りごちた。


「誰が斬ったか、知りません。私は」


 シキは驚いて振り返った。


「斬った? それ、さっきも言ったな」


「はい」


「なぜそうわかる?」


「障子越しに、見たからです」


「なに?」


「障子越しに、あの人が斬られたのを見ました。あなたが、確認しに戻ってきたのかと」


「なぜそれを言わなかった?」


 シキは語気を強めて言った。


「聞かれなかったので」


 シキは舌打ちした。


「まずいな」


「何か食べているのですか? 私も……」


 少女がシキに近づきながら言った。彼女の背がかなり低いことにシキは気づいた。腹のあたりまでしかない。


「そう言う意味じゃない」


 シキはため息をついた。


「キミはどう考える?」


「え……」


 少女が俯いた。


「私は……」少女が言い淀む。苦い顔だ。「私を信じるのですか?」


「信じているわけじゃない」


 シキはため息混じりに言った。嘘をついているようには見えないが、人の常識は通用しない。

 つまり、わからない。

 ただ、彼女が嘘をつく理由もない、とシキは思う。先ほどの駆け引きで、その力の差は証明されている。

 いちおう、茶碗というブツもある。ルエによれば、ムラオカがお供えしていたという話もあったことだし、矛盾もしていないように感じる。

 そう考えてみると、彼女を信じてみる価値はありそうだった。


「僕は村に戻る」


 シキは、そう言って踵を返した。


「待ってください!」と、少女。


「どうした」


「私も、連れていってください。この山の外に」


「わかった」


 シキは即座に答えた。自分の感情が理解できなかったが、どこかで、そうしたい、と思ったのかもしれなかった。


「え?」


 少女が顔を上げた。心なしか、顔が赤くなっている。興奮しているのかもしれなかった。


「いいんですか?」


 少女が一際大きな声で言った。それから、自分の声に驚いたのか、口を手で抑える。彼女は、深呼吸を始めた。


「来たいのなら、来い」


「はい!」


 少女は言って、シキの後を追い始める。


「でも、その前に、名前が必要だ」


 シキは、山道を下りながら言った。


「私には……」


「だから、スゥ、はどうだ?」


 スゥの言葉は、シキに遮られる。


「すぅ?」


 当の少女は、きょとんとして言った。


「スゥ。外国の女性の名前だ。エムという奴から聞いたことがある」


 シキは言った。これは本当のことだった。別の意味もあるが、どうあれ、採用されるなら言わないでおこう、と彼は思った。

 少女は、「スゥ」という言葉を何度も繰り返し言った。自分に馴染むか、試しているかのようだった。


「では、私は今日から、スゥと名乗ります」


 スゥが言って、駆け足でシキの隣までやって来て袖を引っ張った。シキは足を止める。


「ありがとう。えっと……」


「シキだ」


「ありがとう、シキ」


 スゥは笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る