第2話 聞き込み/レッド・ライツ

 村には、馬車も使って約三時間。もう日も暮れかかった頃に到着した。

 村は閑散としている。しかし、見知った光景とでも言うのだろうか、心のどこかに懐かしさを感じるような、そんな不思議な気分にシキは駆られた。ただ、住んだことがある場所は、彼の記憶の限り、東京しかない。


 シキがここまでこれたのは、依頼人の村娘、ルエと、彼女からもらったおにぎり二個のおかげだ。


 ルエによると、その入り口で見渡す限りがこの村の全てらしい。遠くに山が見えた。案内された場所は、村の入口からすぐの、民宿らしい建物。彼女が言うには、そこが生まれ育った家だそうだ。


「ただいま戻りました!」


 ルエが民宿に入るなり元気な声で言うと、老齢の夫婦らしき男女が二人、奥から出てくる。


「おかえり、ルエ。その方は?」


 と、男のほうが言った。格好はルエ同様、簡素な感じだ。


「帝都で見つけた、妖退治してくれる人」


「これはこれは。私どもは、ルエの両親です」


 ルエの父が頭を下げたので、シキも合わせて頭を下げる。


「その方がねぇ。随分お若いのね」ルエの母親が、シキを上から下までじろじろと値踏みするように見た。「本当に頼っていいのかしら?」


「よさないか」


 と、男が眉を顰めて言った。ルエが下駄を脱いで廊下に上がる。


「憲兵さんに紹介してもらいました。腕は確かですって」


「あら、そうだったの。それなら期待できそうですわね。お名前は?」


「瑞穂詩色」と、シキが答えた。


 がっしりした体型のルエの父親が、彼女の方を見やる。


「ミズホシさん、いくらくらいするんだね? 前金は、そこのルエに渡したはずだが、足りるかどうか……」


「それがーー」


 と、ルエが言いかけたところで、シキが遮った。


「お代はいりません。要は、僕は、憲兵さんの下請けなんだ、ということです。お金は、公費から出るでしょう」


 これは嘘だった。エムとの仕事はたいていこういう方便でやっている。

 その仕組みを、シキは詳しく知らない。


「それはありがたい限りですわね。ちょっと、ルエ、ミズホシさんを奥の部屋に。おもてなしは、お前に任せるよ」


「はい、お母ちゃん。では、ミズホシさん、靴は靴箱に入れて、こちらへ」


 ルエが言う。

 シキが言われるままについていくと、質素だが、居心地が良さそうな部屋へと通された。蚊帳があって、ひとまず鬱陶しい虫には怯えなくてすみそうだし、なにより、通気性がいい。自分のオフィスとは大違いだ。


 シキが座布団の上に座ると、ルエが、慣れた手つきで茶を出した。


「お夕飯は、おまかせでよろしい? えっと……ミズホシ様」


「様はいらない。ここに医者はいるか?」


 ルエが首を傾げる。医者なら、死体を診ることもあるかもしれない、という予想だった。


「お腹でも痛いのですか?」


「聞き込みする」


「はぁ」


 ルエは合点が行かない様子だ。


「お医者様なら、この家を出て向かいにおります。看板はないけれど、れっきとした人です」


「ありがとう」


 そう言って、シキは立ち上がる。


「いえ、ここで待っていてください。アタシがお医者様を呼んできます」


「じゃあ、たのむ。あと、やっぱり、敬語もやめてくれ」


「……でも」


「いい。年もそんなに離れていない」


「ほんとに?」


 ルエが少しだけおどけた口調で言った。その言葉に、シキは首を縦に振る。よくわからなかったからだ。年齢のことか、敬語のことか。


 ルエは、じゃあ、と言って、わざとらしく咳払いをした。


「とにかく、アタシが呼んでくるから、ここで待っててね」


 ルエが出ていく。


 明るい、と思った。

 バケモノ……妖異と呼ばれるこの世ならざる者に村が襲われているかもしれないのだから、多少は怖がるものだろう。シキのもとへ来る依頼者のほとんどはそうだった。


 だが、彼女は少なくとも見かけの上では元気に振る舞っている。あの精神力は大したものだ。肝が据わっている。


 そうやって考え事をしていると、ルエが、小綺麗なスーツを着た、若い男を連れて戻ってきた。髪型は綺麗な七三わけになっていて、眼鏡をかけている。エリートを絵に描いたような男だ。


「どうも」シキは頭を下げた。


「こんばんは」男が答えた。


「ツルサさん、この方が調べにきてくれたミズホシさんです」と、ルエ。


「蔵前さんの娘さん、ありがとう。医者をやってる、ツルサです」


 ツルサと名乗った男がシキの向かいに座ったのを見て、ルエが部屋を出ていった。


「早速、質問してもよろしいでしょうか?」


 シキが単刀直入に切り出すと、ツルサは、襟元を正しながら頷いた。


「いつ頃から始まったのですか?」


「三週間ほど前から、ほぼ一週間おきに、三人です」


「三人も?」


「えぇ、そうです」


「死体はご覧になりましたか?」と、シキ。


「はい。鋭いモノで切り裂かれたようなキズでした」


「なるほど。でも、獣の可能性もあるでしょう」


「私はそう思います。その方が、バケモノなんてわけのわからん話より、ずっと自然なことですよね?」


「そうですね」


「警察もそっちだと見たんでしょう」


「そっち?」


「この三軒隣の村岡さんがね、見たって言うんですよ。クマじゃなかったってね」


「何を?」


「さぁ。詳しい話は本人に聞いた方がいいのでは?」


 ツルサが眉間に皺を寄せながら、メガネを押し上げる。その一瞬に滲んだ表情を、シキは見逃さなかった。


「なにか、言いにくいことでも?」


 シキの言葉に、ツルサは唸った。


「実の話、あの人ね、ちょっとボケてるんですよ」と、ツルサはため息混じりに言う。


「なんでね、あんまり信用なりません。バケモノ騒ぎを本気にしてる人だって、そう多くはありませんよ」


 ツルサは立ち上がり、ぱんぱんとスラックスについた埃を払った。


「もう、いいですか? この話、あんまりしたくはないんです」


「十分です。どうもありがとう」


「こちらこそ。ハッキリするといいですよね。獣か、ほんとにバケモノなのか」


「ええ」


 シキは言った。ツルサは、落ち着いた所作で部屋を出ていく。シキは、不思議な違和感を拭えない。

 彼がシキの視界から完全にいなくなった。

 その直後、ルエが襖からちょこんと顔を覗かせた。後ろでまとめた髪が、重力に負けて垂れ下がっていた。


「今度はどうした?」


「アタシが、ムラオカさんのとこまで案内するね」ルエは言った。


「聞いていたのか」


「うん、一応、お話が終わるのをここで待ってたから」


「じゃあ、いまから案内してくれるか?」


 シキの提案に、ルエは底抜けの笑顔で応えた。


「まずは、お夕飯を食べてからにしましょ!」

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