人の命は盗まない

 樫本楓の視界から隠れられたことを確認して、加藤健太は美術館のバックヤードに駆け込んだ。怪盗レイナがどんなふうに動いたのか、動いていないのか、それは全く分からなかった。でも、少なくとも、翌日の業務開始までには山水図の裏側の壁に仕掛けたモノは処理しておかなければまずい。足音が響かないよう注意しつつ、競歩のような歩き方で健太は急いだ。


 楓を撒かなければならなかったせいで、山水図の裏に辿り着くまでには10分ほどかかってしまった。ゆっくり近づき、壁を調べた。

「……あれ?」

 健太が仕掛けたはずのソレは、無くなっていた。おかしい。説明書を見ながらちゃんと取り付けたはずだ。慌てて周囲を探して回る。

「探しているのはこれかな?」

 声と同時に、部屋の灯りが点灯した。声の主の方を振り向いて、健太は腰を抜かすところだった。黒いマントに身を包んだ怪盗レイナが立っていたのだ。

「これ、相当の威力のある爆弾だね?」

 レイナが持っているのは、セロテープでぐるぐる巻きにされた5センチくらいの金属の箱だった。

「なっ……なんで!」

「なんで、爆発しなかったのか?それとも、なんで、私がこれに気付いたのか?両方かな?」

 健太は何も言わず、目をギョロギョロさせて辺りを見回している。

「私は怪盗だけど、人の命を盗むのは好きじゃない。この危険物は適当に処理させてもらったよ」

 レイナが爆弾を放り投げて、金属音と共に床に落ちた。が、それだけで、爆発する気配はない。

「君はなんで、ここまでして山水図を守ろうとするんだ?あれにどんな秘密がある?」

 健太は何も言わない。目をギョロギョロさせて、聞き取れない何かを呻いている。やがて、崩れ落ちるように地面に跪いた。

「……ごめんなさい」

 そう呟いた次の瞬間だった。ちょうど山水図の裏側の位置の壁が轟音と共に崩落した。

 レイナは咄嗟に健太を庇える位置に移動する。マントで覆って飛んでくる破片から守るのだ。岬玲奈のお手製のとびきり丈夫な生地でできているマントである。崩落が落ち着いて健太を確認すると、まだ蹲ったままで震えている。怪我はなさそうだ。

 なんでこんな状況になったのか、レイナも把握していない。

「これは一体どういうこと!?」

 健太は震えながら「ごめんなさい」と連呼しているだけで、役に立ちそうにない。

「あークソ!……楓!樫本楓!はやく来て!コイツの保護だけしといて!お願い!」

 レイナがそう叫ぶと、すぐに壁に空いた穴の奥から声が聞こえた。

「玲奈?そっちどうなってんの?」

「いいから!はやく来て!」

 レイナはまだ土煙が立ち込める壁の穴に飛び込む。穴の向こうに出てすぐ、樫本楓が立っていた。

「事務員の人が巻き込まれてる。保護だけしといて。……あと、こっちで誰か見なかった?」

「出口の方に走っていく人影は見たけど……」

「ありがとう!」

 すぐに走っていこうとするレイナだったが、楓にマントの端を掴まれた。

「待って」

 振り返ると、楓は心配そうにレイナを見つめていた。

「何しに行くつもり?危ないことはないんだよね?」

 レイナは一瞬言葉に詰まった。

「ダイジョブダイジョブ!早めに帰るから!」

 マントを掴んでいる手を振りほどいて走っていくレイナの背中を、楓は見えなくなるまで見つめていた。

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