暗闇と静寂
真っ暗で静かな館内で、健太のスマホのライトとスニーカーの足音だけがあった。山水図の位置は、美術館の入口からはかなり奥まった場所にあった。これは、警備的な観点とか、入場者の誘導とか、色々な観点から総合的に考えられた配置……だと思われる。一介の事務員に過ぎない加藤健太には、そこらへんの理屈はいまいちわからなかった。何かしらの理由があるんだろうが、あの館長のことだから「なんとなく」で配置している可能性も捨てきれない。世の中は頭のいい人間に合理的に作られているように見えて、頭のいいロジックは意外と存在しないものなのだ。どこまで行っても人間は人間で、そこらへんは案外緩くできている。実際に事務員としてそれなりに働いてきて、健太はそんなふうに社会の構造を捉えていた。
この角を曲がれば山水図が……あった場所、のはずだった。そこには何事もなかったかのように山水図が展示されていた。これを見て、健太は狼狽えた。レイナは嘘を吐いたのか。それとも、きっかり22時にやって来たが諦めて帰ったのか。キョロキョロと辺りを見回しながら、慎重に近づいた。暗い中でスマホのライトだけを頼りに眺める程度だと、偽物とかではなさそうだ。壁には穴の一つも空いていないし、ケースのガラスも綺麗なままだった。
もう少し近づいて見てみよう。健太はもう一歩踏み出し、ショーケースに手を触れた。その瞬間だった。
「動くな!」
急に誰かの声が響いた。健太は慌てて手を離し、一歩飛び退いた。眩しい懐中電灯が健太の視界を塞いだ。
「あれー?あなた、ここの事務員さんじゃありませんか」
少しずつ眩しさに目が慣れてきて、健太はゆっくり目を開ける。そこに立っていたのは、警察の女だった。彼女には見覚えがある。今回の怪盗レイナの騒動で派遣された女刑事だった。名前は、
「もう深夜ですよ?何しに来たんですか?」
その口調からは、健太のことは然程怪しんでいるように見えない。
「えっと……ちょっと、忘れ物をしてしまって。本当にしょうもないものなんですけど!……それで、ついでにこの山水図の様子も気になって……」
当然、忘れ物なんてない。健太の性格上、人生で忘れ物をしたことなど数えるほどしかない。
「なるほど。でもご安心ください。山水図は我々が警備していますので、レイナなんかには盗らせませんよ」
その自信はどこから湧いてくるんだろう。健太は、理屈のない自信とか自己肯定感とか、そういうのを持っている人間が嫌いだった。こんな面倒な女に捕まってないで、早く適当に誤魔化して逃げよう。
「……ははは、そうですか。それでは、私はこれで」
健太は、そそくさと逃げるようにその場を後にした。樫本楓は、そんな健太を特に追いかけることもしなかった。
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