21時55分を過ぎた。ほとんどの職員は、定時で帰った後だった。ただ一人、事務員加藤健太のみが美術館のすぐ近くの公園のトイレに残っていた。本当は館内に残っていたかったところだが、一人だけ館内に残ろうとするなんて怪しすぎる。仕方なく、いつも通り退勤するフリをして近くの公園に潜り込んだわけである。

 レイナの予告である、22時が近づいてきた。健太がトイレに隠れたのは、単純にカメラなどの監視がないというのもあるが、ストレスによる腹痛も要因の一つであった。頭を抱えて腹痛に耐えていて、気付いたら21時58分。予告の時間まであと2分。健太は時計を見るのをやめた。

「ごめんなさい……」

 誰に向けた謝罪の言葉なのか、健太自身にも分からなかった。手塩に掛けて運営してきた美術館が巻き込まれた館長に向けてなのか、これから命の危険に見舞われるかもしれない怪盗レイナに対してなのか、それとも、こんな人生を選んでしまった自分に関係してきたあらゆる立場の人間に向けてなのか、はたまたその全てに向けたものなのか。

 俯いて、震えながら時が流れるのを待った。トイレの中の照明は、動くものが感知できなかったためか自動的に消灯した。公衆トイレ特有の臭いと、暗闇と、静寂が健太を包み込んだ。

 何度か深呼吸をして、健太はスマホに表示される時刻を確認した。22時5分だった。そろそろ館内に戻らねばならない。誰かに見つかる前に処理を終わらせる必要があるのだ。

 震える足で深夜の美術館内に忍び込んだ。館内の監視システムを把握している彼からしたら、それらを掻い潜るのは難しいことではなかった。何故か夜勤の警備員の一人も残っていなかったため、むしろ簡単すぎるくらいだった。しかし、健太はそれに気付けるほどの心の余裕は残っていなかったのだ。

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