収支は一致する

 国宝展の初日。ここはそれほど大きくない美術館なのだが、地元の番組で「怪盗レイナ」が取り上げられたのと、インターネットの一部界隈でちょっとした話題になったおかげで決して少なくない客の入りである。これに美術館長はご満悦のようだ。心なしか禿げている頭皮もいつもよりツヤがあるように見える。

 事務員、加藤健太はいつも通り仕事をしている。いつも真面目に仕事に向かう姿勢は素晴らしいものなのだが、寡黙なのと対人関係に消極的なところがあって、他の事務員たちの間ではかなり存在感が薄い。ただ、美術館長の斎藤宗一だけは彼のことを気に入ってそれなりに評価しているらしい。


 さて、問題の山水図である。

 それは、壁面に埋め込まれたショーケースに入っていた。厚いガラス越しに眺めることができる。それだけでは飽き足らず、展示エリアの前には二、三メートルの立ち入り禁止エリアが設けられている。

 正直ここまでしてくれるとは思わなかった。というのが岬玲奈の感想である。事前情報は既に分かっているのだが、下見のために美術館にやってきたのだ。でも、分厚いガラスは想定内だし、ほんの数メートルの距離は大きな問題でもない。一番の問題は……。

 そう、あっちで手を振っている樫本楓である。服装も変えてるし、変装用のサングラスまで掛けてるのに、この人ごみ、この距離がある上で一瞬で見つけやがった。恥ずかしいからやめてほしい。いや、気づいてないわけじゃないから!そのリアクションはなんなんだよ!

 仕方ないから、小さく手を振り返した。恥ずかしいから目なんか合わせられないけど。でも、楓は満足そう。満足してくれたなら良かったよ。

 というか、下見に来た怪盗が警察にバレるってことだよな、これ。私はどういう立場でここに居たらいいんだ……。楓の同僚たちの視線も、一般観覧客の視線も、容赦なく私に突き刺さる。

 とにかく、下見はもう十分だ。これ以上アイツに付き合ってられん。人ごみをかき分けて、私はそそくさとその場を後にした。木を隠すなら森の中。人ごみの中に入ってしまえばアイツの視線からも逃れられる。……と、思う。


 トイレの中は定番で王道だけど、それには理由がある。当然、トイレの中には監視カメラなんて付いていないからだ。トイレにカメラを付けることを、人は盗撮と言う。怪盗的には、盗撮という単語は嫌いじゃない。でも、致命的にダサい。だから、私はやらない。されたくない。

 これは電磁気学の話だが、磁力線は湧き出すことがない。これはものの例えだ。要は、どこかに入るモノと出ていくモノの量は一致するということ。一致しなかったら、それは何かがおかしいということだ。さて、この美術館において、入ってきたものと出ていくものの頭数が一致しなかったら、何が起きるんだろう。

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