例の美術館

 美術館長、斎藤さいとう宗一そういちは心労に苦しめられていた。もともと禿げているし痩せているので見た目は大きな変化がないのだが、よく見ると肌も唇もいつもより青白い。

 全ては、先日のピンクダイヤ盗難事件のせいである。来月からの国宝展を控えた状況であんな事件が発生したせいで、国宝展の中止もあり得ると向こうのお偉方に言われたのだ。

 当時は、連続で発生していた便器汚損事件の調査で警察が一人来ていた。でも、彼女もピンクダイヤ犯は見つけられなかったという。屋根の上を走る足音が聞こえただけだとか。「まるで漫画や小説の怪盗ですね」なんて能天気なことを言っていて、あの女警察官のことはいまいち信用できない。

 でも、不幸中の幸いか。”怪盗”は、分かりやすく警備の穴を付いてきただけであり、容易に対策できる。対策は万全であると国宝展の方にアピールすることで、予定通りの開催でまとめられそうである。


 今日も各方面との連絡で精神疲労を重ねていたところ、館長室のドアがノックされた。

「どうぞ」

「館長!こんなものが!」

 部屋に飛び込んできたのは、事務員の加藤かとう健太けんた。彼を見ると同時に館長は顔を顰めた。いつも「失礼します」の一言を忘れない生真面目な彼が「館長!」とだけ言って入ってきたのだ。しかも扉を閉めるのを忘れている。碌なことじゃないに決まってる。

「何かね?……とりあえず見せてくれるかい?」

 渡すことすら忘れていたようで、ハッとした彼から奪うようにしてそれを――手紙を受け取った。その中身を読んだ館長は、もともと顰めていた顔をさらに歪ませた。


「で、これがその手紙と?」

 元・トイレ汚損事件担当、現・ピンクダイヤ事件兼任の警察官、樫本楓。館長から手紙の実物を受け取って、色々な角度から眺めている。


――国宝展の目玉、雪舟の山水図を頂く

                 Lena――


 お洒落な感じのフォントで書かれていて、”Lena"の横にはヴェネチアンマスクを象ったようなマークも付いている。

「かっこつけちゃって……」

「レナ?ですかね?」

「いえ、レイナです」

「……?」

「あっ……いや、確か、イタリア語でレイナって読むって言って……読むんです。ハイ」

「…………?それにしても、わざわざ名乗るなんて腹立たしい奴ですね。」

「あはは、ほんとそうですねー。馬鹿というか、通り越して可愛いというか」

「可愛い……?」

「えっ、いや……頭が悪そうで、凶悪犯に比べると可愛く見えてくるなーって」

「……そうですか。」

「とにかく、これはこっちで鑑識に回しておきますね。私たち警察がどうにかするのでご安心ください。」

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