弟と友人になる

 弟が事故で記憶喪失になってしまったと聞いて、俺は慌てて病院へと向かった。

 病室へ向かうと、いつも通りにしか見えない弟がベッドに座っていて、こちらを見る。

「尚……」

 俺が息を切らしながら名前を呼ぶと、弟は困った顔で笑った。

「あ、僕が尚です……えっと、」

 俺に自己紹介を促すように上目遣いで見てくる。……本当に記憶がないんだ。俺が誰なのか、わからないんだ。

「……俺は、」

 義務感のような、庇護欲のような、訳の分からないものが腹で渦巻く。言うべきことを言うために、乾いた口を無理矢理動かす。

「お前の……知人だった」

「ああ、そう……なんですね」

 焦って、走ってきたから。嘘は下手だけれど、今ならバレないだろう。

「それで今日、本当はお前に、尚に言いたいことがあって……」

 だからこれは千載一遇のチャンスだった。これから変に思われる行動があったって、記憶喪失の知人相手だから不自然なのだろうと思われるはずだ。真実を嘘でコーティングして伝えるなら、今しかない。

「言いたいことって、なんですか?」

「俺は、お前が好きなんだ。恋人に……なってほしい」

 言われたことを理解した瞬間、弟の顔が赤くなった。それを見て俺は、記憶喪失をさらに実感する。弟は俺に告白されたって冗談だとしか思わない。兄は兄としてしか見ない。「正しい」弟だった。

 だから、まっさらなうちに、「正しくない」形に歪めてみたかった。

「えーっと、えっと……」

 弟は困惑しながら、言うべき言葉を探しているようだった。やがて、俺の目を見て、

「お、お友達から始めましょうか……」

 そんなわけで、俺は弟とお友達になった。

 退院したら海に遊びに行く約束もした。楽しみだ。

 友人になった弟は前の弟と別人になってしまったようだけれど、でも前よりも距離が近い気がする。

 先は明るいと感じた。

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