第6話 凄腕のネズミ捕獲人(ラット・キャッチャー) (3000文字)

 ジャック・ブラック。

 女王陛下お気に入りのネズミ捕獲人ラット・キャッチャー

 なるほど確かに、うなじと顎髭がうっすらつながった渋い顔にはオーラがあるかも。ベルトのV.R.はヴィクトリア女王の略なんだね。救貧院では決まりで勉強の時間もあったから、僕は少しだけ文字が読めるんだ。


「ショーンか。今日はやけにおべっかを使うな。悪いがお前さんにやれるようないい情報は持っていないぞ」


「えへへ、照れるなよジャック! 俺はあんたのこと、心からスゲーと思ってるよ!  あんたほどの有名人なら、近頃は忙しいだろ?」


「ふん、まぁな。ブロードサイドかわら版であれだけ騒がれちゃあ、皆ネズミが恐ろしくなって夜も眠れんだろうよ」


 いったい何の話だろう。ついていけない僕に気づいたショーンが笑いかける。


「最近、男がネズミを丸飲みしちまった事件があってさ。捕まえようとしたネズミがからだを這って、口から喉へ、そして腹ん中で大暴れ。男の内臓はそりゃあもう、ぐちゃぐちゃだったらしいぜ!」


「うえぇ……」


 想像するだけでお腹が痛くなってくる。僕はジャック・ブラックから一歩離れた。


「そんなんだから、ネズミ駆除の依頼が殺到してるだろうと思ってさ。ジャック! 俺たちに手伝わせてくれよ! きっと役に立つぜ!」


 えええ。ちょっとショーン、本気で言ってる?


「馬鹿言いなさんな。ネズミを甘く見ると痛い目見るぞ。奴らの菌は厄介だ。俺だって一度、からだ中が腫れあがったんだ。黒ビールをしこたま飲んで治したが、三か月も仕事ができなかった。それでも運がいい方だ。お前さんのような素人を連れても何のメリットも――」


 ジャック・ブラックは僕を見て言葉が途切れる。顎をさすりながらじろじろ見てくる。商売人の目だ。


「ほう、これはまた。ご婦人に気に入られそうな美顔を持っているな」


「そうだろ!? ジャック! 弟子を二人も連れてりゃあ、箔がつくってもんだぜ!? 売れっ子の証さ!」


 ショーンが僕の肩に手を回す。正直ネズミ退治はやりたくない。でも、意気込むショーンにつられて僕は笑みを返す。ちょっと引きつっちゃったけど。


「ふむ。身なりも、ぎりぎり合格だな。分かった、試しに連れていってやろう」


 ショーンと僕は顔を見合わせて、やったな、と笑い合う。


「ただし、条件がある」


 ジャック・ブラックは続けた。


「二人とも浴場へ行って、きっちり垢を落としてくるんだ。話はそれからだ」


 僕たちは言われた通りに街の浴場へ行って、ジャックに指定された待ち合わせ場所へと向かった。

 そこで犬と奇妙な動物を連れ、檻のようなカゴを手にしたジャックは辻馬車を拾い、僕たちを乗せた。馬車なんて初めて。土埃が舞う街並みが、走るより速く過ぎていく。

 目的地まではあっという間だった。


「へぇ、ずいぶん立派な家だね。こんな家にもネズミっているんだな!」


 帽子の中に赤毛をていねいにしまいながら、ショーンがでかい声で言う。


「ああ。今回のお客は裕福層だ。だからお前さんたちを連れてきたんだ、余計なおしゃべりをするその口をしっかり閉じていろ」


 ジャックが玄関をノックすると、召使いが出迎えた。玄関前の広いところで待っていると、ようやく依頼主らしきおばさんが階段を下りてきた。


「まぁ! あなたがジャック・ブラックね! 耳の欠けたテリア犬とフェレット、噂通りだわ! あら、その子たちは?」


「ご機嫌麗しゅう、奥方様。この二人は見習いです。まぁ、お気にせず」


「さすがだわ。弟子がいるのね! うふふ、かわいい子。仕事が終わったらお茶でもご馳走しましょうねぇ」


 ショーンが肘で僕をつついた。ショーンが嬉しいならいいけどね。


 ネズミが出没するという台所へ向かう。ジャックは床に這いつくばって、なにやらぼそぼそ口にしている。僕も同じように這いつくばってみると、拳が入る程度の穴が見えた。


「ネズミが開けた穴?」


「そうだ。全部で六ケ所か。さてお前たち、この穴をひとつだけ残して、あとは塞ぐんだ」


 ジャックの指示で僕とショーンは手分けして、狭い隙間の奥などにある穴を木材やレンガで塞いでいった。


「よし、では始めるぞ!」


 ジャックはフェレットというからだの長い動物を塞いでいない穴へと放った。すぐに、ネズミの鳴く声とどたどたと複数の生き物が走り回る音が聞こえてくる。


「そろそろか」


 ジャックが穴の中へ手を突っこんだ。ごそごそとやって腕を引き抜くと、その手には茶色いネズミがのたうち回っていた。

 てっきりフェレットと犬にかみ殺させるのかと思っていたけど、まさかの手づかみだった。

 ジャックは捕まえたネズミを素早く檻状のカゴに入れ、再び穴に手を入れる。この作業を繰り返していく。


「じ、地味……」


「地味だが確実だ。これで七百匹捕まえたこともある」


 僕の呟きにジャックが答える。

 その時、引き抜いた腕と穴の隙間から一匹のネズミが逃げだしてきた。


「ん!」

「あ!」

「ちょわっ!」


 ネズミがこちらへ向かってくる。すごいスピードだ。


「ワン!!」


 しかし僕の後ろにはテリア犬がいた。こいつが最後の砦――。


「殺させるな! 生け捕りにするんだ!」


 ジャックの声に僕は動いた。

 とっさに膝を折り、ショーンの足の間をくぐり抜けたネズミに向かって飛びついた。からだを床に打ちつけた衝撃と同時に、手にぐにゃりとした感触が伝わる。


「ぐふ!う、うわ、うわわ!」


 片手で掴んだネズミが必死で逃げようとするのを、慌てて両手で押さえつける。


「ジャ、ジャック!」


 ジャックがやってきて、僕の手の下からネズミの首を掴んで引き抜いた。


「よくやったな、ルイ。いい反応だ、素質があるぞ」


 バウ、と僕の顔の横でテリアがうなずくように吠える。嫌だよネズミなんて。残る感触を消すように、手をにぎにぎしながら僕は立ち上がった。


「今日はありがとうございました。おかげで安心して眠れますわ! うちには赤ん坊がいるものですから、心配で心配で」


 その赤ん坊、今二階ですんごい泣いてるよ。

 おばさんが召使いに用意させたお茶をすすりながら、頭上から聞こえてくる泣き声が気になって僕は天井を見上げる。


「ネズミは腹が減ると馬や牛にでもかじりつきますからな。また何かあれば、どうぞ御ひいきに」


「ええ、ええ! きっとまたお願いするわ」


「赤ん坊、大丈夫?」


 しびれを切らした僕は二人の会話に割って入る。だって、あんまりにも無反応なんだもん。聞こえてないわけじゃないよね。


「あら、そうね。おしゃぶりが外れてるのだわ。まったく、使いの子たちは何してるのかしらね」


 そう言いつつ腰を上げない。ほんとに赤ん坊が大事なのかな。


「それにしても、奥様。その指輪すごくきれいですねぇ! ペンダントも! 高そうだなぁ!」


 ショーンが奥様の手元を眺めて言う。確かに豪華な指輪だ。金色の鳥が白い石を抱いている。ペンダントも、透き通った色とりどりの石できらきら輝いていた。


「うふふ、ありがとう。自慢のコレクションなの! あなた、いい目をお持ちね」


 それより赤ん坊は……。僕は話を振ったショーンを思わず睨んだ。


「はい! 僕色々な商売を見てますから! この間はね、古い人骨を売りましたよ! 何の役に立つんだろうと聞いてみたらですね、フランスで赤ん坊用のおしゃぶりに加工されて、また本国へ帰ってくるんですって! いやぁ、カンガイブカイですなぁ!」


「え……」


 奥様がショーンの話に青ざめる。ゆっくりと視線を頭上の泣き声の方へと向けた。


「お、奥方様! 何かありましたらごひいきに! では失礼!」


 ジャックは慌てて立ち上がり、ショーンと僕の首根っこを掴んで逃げるように玄関へと向かった。




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