5-8

 結局永瀬は、真琴との同伴の日まで毎日トルマリンの扉を開けた。

 キープボトルの焼酎もその間に飲みきってしまって、真琴がトルマリンで働き始めてからは五本目になるボトルを開けていた。

 同伴前日の夜、酔った永瀬からの『昼過ぎから待ち合わせしたい』との申し出を、同じく酔った真琴は快諾してしまった。

 当日の朝、永瀬から十四時に梅田駅のビッグマン待合せの旨の連絡が来ていた。それを見るなり真琴は頭を抱えたが、今頃は事務のパートに出掛けているであろうリナの、香水とタバコの入り混じった匂いを思い出すと、自然と体は出かける準備を進めていた。


 ビッグマン前に到着して永瀬の姿がないことを確認し、真琴はスマホを見る。午後一時四十五分。

 近くの本屋に入り、入口付近の雑誌コーナーを眺めていると、手に握ったスマホが震えた。

『着きました。待ってますね』

 慌てて本屋を出ると、最早見慣れた後ろ姿があった。

「永瀬さん、おまたせしました」

 小柄な背中に声をかけると、笑顔とも困惑とも取れる表情の猿顔が、くるりと真琴の方を向いた。

「まこちゃん、来てたんだ。早いね」

「楽しみで早く着いちゃいました。平日のお昼の梅田って久しぶりだなー。結構人多いんですねえ」

「 僕も、社会人になってから大阪にいるけど、平日のお昼に限らず梅田はあんまり来ないなあ……まこちゃんは普段梅田で何をするの?」

 真琴は内心で、何のプランも持ち合わせていないのかと、それで早い時間を指定して会いたがるとは何と図々しいことかと、毒づいてすぐに打ち消した。全ては自分の仕事を全うするためである、と背筋を正して。

「普段はショッピング行ったりカフェでお茶したり! でもさっきお昼食べたばかりだし喉も乾いてないから……ショッピングとかしたいかも!」

 永瀬の口元は左右に引き伸ばされた状態で引きつり、「デートみたいだね」と掠れた音を発した。


 高身長の自分と、年の離れた野暮ったい永瀬という組み合わせの、ぎこちないやりとりが人目を引く気がして、真琴は早歩きでその場から移動した。

「ショッピングって言っても、オシャレとかあまりわからなくて、いつもマネキン買いしちゃうんだよねー。永瀬さんは、いつもお洋服どこで買ってるんですか?」

 聞いたそばから、一目でファッションには無頓着とわかる永瀬に投げる質問としてはあまりにも酷だったと反省した。

「まこちゃんはオシャレだなって思うよ。……着てる人が、良いから、そう見えるのかな……! 僕は、そうだね、ユニクロとか……」

「えーやだ、照れる! 永瀬さん褒め上手ですね」

 二人は人混みの中を早足に進んでいく。特に真琴は、ひとところに留まると好奇の目でじろじろと見られるような気がしてカツカツと先へ進んだ。


 真琴は永瀬をつれ、百貨店のメンズ服売り場のある階までエスカレーターで向かった。先程まで歩いていたような場所と比べると人もまばら。店員の動きも平日の昼間に相応しい緩慢さだ。

「せっかくだし、永瀬さんのお買い物しませんか?」

「え、そんな、僕はいいよ」

 真琴は内心で焦っていた。店内に早く入ってしまいたいがあまり選んだその建物は、彩の働くブランドが入っている百貨店だった。

 その日のその時間に彩の勤務シフトが入っているかはわからなかったが、とにかく出会ってしまう可能性を下げたかった。

 ステスをしていることは伝えているものの、やはりその現場を見られるのは憚られる。

「嫌ですか? せっかくだし、私がなにか永瀬さんに、選びたいなあって思ったんだけど」

 真琴は目一杯カマトトぶって、背のあまり変わらない永瀬に上目遣いをした。

「嫌なんかじゃないよ! じゃあ、選んでほしいものがあるんだけど……」

 永瀬は首の後ろを掻いた。真琴は反射的に目をそらす。


 そう言って向かった先は、さっきまでいた建物とは異なる建物の、ティファニーの店舗だった。

「ネクタイピンを最近失くしちゃって……まこちゃんに選んでもらいたいなって」

 そう言う永瀬の顔はやはり照れていたが、目がランランと輝いている。この人はこれまで実に寂しく過ごしてきて、今が楽しくて仕方がないんだなと思えて真琴は哀れになった。

「永瀬さん、前はシンプルなシルバーのネクタイピンでしたよね。あのときもティファニーだったんですか?

「ううん、違うよ。でもほら、ティファニーってまこちゃんくらいの若い子も好きだよね? そういうお店のほうがほら、楽しいかなあ、って」

 永瀬なりの気遣いが真琴には不気味だった。

 近づいてきた店員に、もじもじする永瀬に代わって真琴がネクタイピンを探していることを伝えると、店員はアクセサリートレイの上に四種類のネクタイピンを載せて出した。真琴はその中から、最もシンプルなシルバーのものを選んだ。


 永瀬が会計をしている間、真琴は店の外のベンチに腰掛けていた。一人、平穏な時間を十分ほど過ごしたところで永瀬が紙袋を持って出てくる。

「おまたせ。選んでくれてありがとう。大事にするよ」

 真琴がプレゼントしたわけでもないそのネクタイピンを永瀬は、本当に大切そうに胸に抱いている。


 真琴はスマホの時計を盗み見る。午後四時になろうとしていた。店に向かうまであと四時間半、と真琴は気持ちを奮い立たせた。

「スタバで甘い物飲むとかはしないの?」

「あまりしないですねー。一人だと入りにくくて」

 じゃあさ、と永瀬は一呼吸置くので、容易に次の言葉が想像できた。

「ちょっとスタバでお茶しない?」

 カフェに入るくらいなら人目につかないよう個室の居酒屋にでも入ってしまいたかったが、もはや拒否はできそうになかった。

「行きたい行きたい! 新作のやつ気になってたんですよねー」

 はしゃぐ芝居も板についてきた、真琴は息を吐くように思ってもいないことを言う。


 永瀬と真琴はスターバックスを三十分ほどで出て、ブラブラとシヨッピングをし、十九時に永瀬が予約していた寿司屋へと到着した。

 各々が好きに頼んでいたのだが、フラペチーノで小腹を満たしてしまって空腹ではなかった二人は、これまた三十分程度で満足してしまっていた。残りの三十分は真琴は酒を飲み、永瀬も一杯だけの酒とあとはほとんど茶を飲み過ごした。


 同伴のときは元の入店時間よりも、三十分後ろ倒しにしても良いのは、キャバクラと同じルールだ。

 それでも真琴は、トルマリンに二十時丁度、本来の出勤時間通りに着けるよう、あの手この手で永瀬を急かした。

 そうして二十時十五分、トルマリン店内の間接照明に、真琴は心の底から安心感を覚えた。

「あらーお二人早かったわねー!永瀬さんいらっしゃい」

 聖子ママが急いでボックス席のテーブルに、ジャスミン茶と永瀬のキープボトルを用意する。

 真琴はいつも通りに薄めのジャスミン茶割を作って永瀬の前に置いた。

「お寿司めちゃくちゃ美味しかったー!私、サーモンが一番好きなんですけど、今日のお店の穴子フワフワで最高でした!」

「わかる? 僕もあのお店では穴子が一番好きなんだよ。また一緒に行きたいね」

 永瀬は上機嫌に声を弾ませている。真琴もできるだけ口角を上げて明るい声で答えた。

「行きたい行きたい! 次は来月? 来週?」

「毎週有給取るのは無理だよー。せめて来月……あ、でも絶対休みは取るからね、連れて行ってあげるから」

 永瀬のこの発言の記憶が飛ぶように祈りながら、真琴は少し濃い目に酒を入れた。

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