2-11

 実家に帰ってきて二ヶ月が経った。

 真琴は、月曜日から金曜日、午後八時から午前一時まで、トルマリンで働く日々を送っていた。

 客が皆早く帰ってトルマリンの営業終わりの時間が前倒しになったり、客とアフターで別の店に飲みに行ったりで、時間が前後する日はあるものの、帰宅してシャワーを浴びて午前二時に就寝。朝は九時までには起きて、出勤まで本を読んだり、出かけたり、調べ物をして過ごした。

 その日は火曜日で、午後十一時の時点で最後の客の会計が終わり、聖子がオーナーに電話をかけて許可を得て、早めに店を閉めた。

「まこちゃんが奥のボックス席でついてくれた小林さん、ちょっと珍しいくらいはしゃいでいらしたわ。良い子が入ったなーって」

 トルマリンには聖子と真琴の他に、三人の従業員がいた。三人はそれぞれ昼は別の仕事をしていたり学校に通ったりしていて、みな週に三回ずつくらいで出勤していた。三人は年齢がバラバラで、良い意味でお互いに興味がなく必要以上に干渉しあわず、真琴は居心地の良さを感じていた。


 帰り道、家に向かって自転車を漕いでいると、向かいからよく知った美人がハイヒールをカツカツ鳴らして早足で歩いて来るのに気がついた。

「あ、彩」

 かつての源氏名を、その美人に向かって投げかける。

「え、真琴?」

 ほどよい労働の疲れと充実感で弾むような声の真琴とは対照的に、彩の声は低くかすれていた。

「お姉さん美人ですね!ちょっと一杯付き合ってもらえませんか!」

「ちょっと、待ってあんた、本当に真琴? 酔ってんの?」

 彩と真琴は小学校から高校までずっと、部活も違うしクラスも度々離れていたが、小学二年生のときのとある出来事がきっかけで喋るようになった。

 決して趣味嗜好が似ている二人ではなかったが、いわゆる腐れ縁で繋がっているような仲だった。

「本当に真琴だよ。それより彩、明日も平日なのに随分遅いね」

「明日は仕事休み。シフト制なの。……元気、ちょっと分けなさいよ。一杯付き合ってあげる」

 見た目は立派な大人なのに、子供の時から変わらないつっけんどんな言い方がおかしくて真琴は吹き出し、彩は「笑ってんじゃないわよ」と唇を尖らせた。

 夜も遅いのに、その唇はまるでさっき口紅を塗ったばかりのように鮮やかでツヤツヤとしている。

 二人は商店街の中のバーに入った。

 彩の長いまつげは、室内の照明を受けて影を落とし、ぱっちりと目を開いているのに伏し目になっているように見える。

 元気を分けなさいと言う割にあまり自分から話をしないので、真琴はとりあえず直近の自分に起こった出来事を話した。

 彼氏に浮気されたこと、自暴自棄になってキャバクラで三回だけ働いたこと、思い切って彼氏と別れたついでに会社も辞めて大阪に逃げ帰ってきたこと、そして今はトルマリンで働いていること。

 源氏名として彩の名前を借りたことは、負い目を感じたので言わないでおいた。

 浮気されたり無職になったり、夜の仕事をすぐ辞めたかと思いきやすぐに再開していることを馬鹿にされるかと思った。悪い子ではないがちょっとヤなヤツ、というのが真琴の記憶の中の彩の人物像。しかし目の前の彩は、真琴の話を終始真剣に聞き、浮気の話には自分も怒ったような顔をして、客にホテルに連れ込まれそうになったときの話に泣きそうな顔をして、地元に逃げ帰ってきた話では心底安心したような表情を見せた。

「真琴はてっきりエリートコース突き進んでるのかと思ってた。最近全然連絡くれないしね」

「勉強できても、コミュ力ないと詰むんだね。あと可愛い顔」

「かわいい顔? 真琴、夜の仕事するには随分お顔がさっぱり爽やか薄口かもだけど、メイク映えしそうで良いじゃない? そうだあんた、明日暇ならうちおいでよ」

 そう言って彩は名刺を印籠のように見せつけた。

「ビューティー、アドバイザー?」

「そう。私だけ美人でも不公平だから、他の人にも美しさを分けてあげる仕事をしてるの」

ヤなヤツ。だけど、昔から憎めないヤツでもあった。真琴はニヤニヤしながら名刺を受け取った。


 二人でバーを出たところ、近くの居酒屋から出てきた三十代前半くらいのサラリーマン集団に絡まれた。

「お姉さんふたりとも美人だね〜。この辺住んでるの? 明日お仕事は? 僕たち明日休みなんだけど」

 ここから歩いてすぐのところに一人暮らしをしている彩を背後に隠すように、真琴がずいと前に出てきっぱりと言った。

「急いでるんです」

 真琴はそう言うなり男どもを無視して駅方向に歩いた。

 サラリーマンはしばらくついてきて「こんな夜中にどこに急いでんの?」などとちょっかいをかけるが、真琴は全く取り合わず、彩も真琴に追随した。

 交番の前に差し掛かろうとしたところでサラリーマンは「なんだよブス」と悪態をついて去って行った。

 声が聞こえないほどの距離を取ってから彩は「やるじゃん」と声をかけ、それに対し真琴は「まあね」とだけ答える。

 ややあってから、どちらからともなく「おやすみ」と二人はようやく帰路についた。

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