2-10
聖子ママにスカウトされた真琴は、翌日から早速「ラウンジ トルマリン」で働くことになった。
店の手伝いをお願い、との言葉と、頑張り次第で良い酒がたんまり飲めるという甘い誘い文句につられたものの、トルマリンの仕事は簡単ではなかった。
接客からホール作業までこなさねばならず、キャバクラの黒服とキャストの仕事を兼ねるようなものなので、当然忙しかった。
カウンターに立つ時間が長いので、いつも店を閉める頃にはヘトヘトになる。体が疲れるとお腹が当然空く。帰り道にコンビニで買食いするときもあった。
トルマリンの客は八割が中年男性で、二割が中年男性につれられてくる若者だ。
真琴は会話の引き出しが多かったし、知らない話題が出てきても、次来店したときにはきちんと調べて勉強した上で会話についていく。人の顔を覚えるのも早い。誰といつどんな話をしたかを正確に覚えている。しかも酒好きでしこたま飲む。客らはついつい楽しくて飲ませてしまうので、会計がいつもとんでもないことになる。まるで小悪魔だ、ということで「魔子ちゃん」なんてあだ名されたのがそのまま源氏名として定着した。
「いらっしゃいませ、永瀬さん」
「どうも」
永瀬は、真琴がトルマリンで働くようになってから来店する頻度が増えた客だ。トルマリンの客の中では比較的若い、38歳。独身、香川県出身、化学メーカーの研究員をしている。キープボトルの焼酎を、ジャスミン茶で薄く割って飲む。
「お腹が空いたな。オイルサーディン、もらえる?」
永瀬はいつも、酒以外の何かを頼み、それを真琴にも食べさせる。出張のあとに来たときなどは、お土産を持ってくる。もちろん毎回ドリンクも飲ませてくれる。とはいえ、そんなに酒に強くない永瀬のペースに合わせるので、真琴も遠慮してかなり控えめな量を飲む。
乾杯してから、永瀬は三十分ほどかけて一杯目を飲む。一時間もすれば、眼鏡と一緒にカタブツの面が剥がれ落ちる。
そうなったら最後、赤くほてった顔をおしぼりで拭きながらにやけっ面で真琴にちょっかいをかけるのが常である。
「あれ、まこちゃんちょっと太ったんじゃない?」
永瀬はニヤニヤしながら、ノースリーブのワンピースを着た真琴の二の腕を指差す。
「永瀬さんひどい。でも半分くらい永瀬さんのせいだよ。毎回餌付けするから!」
永瀬は、楽しそうに笑っている。
木製のドアが重々しく開いた。
かの三人組の一人、森が、前回よりもさらに赤い顔をして、右に左に千鳥足だ。
森は席につくなり「ビール、もう一杯」とのたまった。
森のことは聖子が相手したが、若い永瀬を珍しがって真琴との会話に割り込む。
最初は戸惑っていた永瀬も、自分以上に酔っ払った気の良いオヤジを前に愉快になってくる。
トルマリンの客は大概がこの街に住んだり、働いたりしているという共通点はあるが、日常の世界では交わらない。しかし、ひとたびトルマリンの店内に足を踏み入れれば、それまで平行だった線が交わる。客の半分ほどは、それが面白くてトルマリンに足を運ぶ。
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