桜舞い散る坂道を俺達は歩み始める3

 数メートルの間隔を開けて、女子生徒の背中を追いかける。

 職員室まで続く長い廊下は入学式当日という事もあってか、入学前に見学をしにきた時に比べてかなり静かに感じる。

 前を行くツンとした少女は、そんなことを気にとめる様子もなく、どんどんと進んでいく。


「……」


「……」


 会話はなくスリッパをザリザリと引きづる音だけが廊下に響いている。


 同じ場所を目指しているのに会話がないのも不自然かと思い話しかけてみる事にした。


「同級生だったんだな。てっきり上級生かと思ってたよ」


「それって、私のほうがおばさんに見えたって事?」


 少し目つきのキツイ少女は、振り返ることもせずに返事を返してきた。

 言葉のキャッチボールってもんを知らないのか?ちゃんと胸に投げ返してあげなさいってお父さんに教わらなかったか?

 ちなみに俺は父さんのキャッチボール講座が厳しすぎて野球は断念した。

 


「そういうわけじゃないよ。……そう、あれだ。大人っぽく見えたから」


「大人っぽい______そう」


 どんな表情をしているのか、背中越しではわからないが悪くない反応に思えた。


「……」


「……」



 だけどそこで会話が止まってしまう。連れ立って歩いているのに何も話さないのは俺の心象的によろしくない。


「……そういや昨日はありがとう」


「私は別に何もしていないし」


「いや。坂井の鍵の件じゃなくてさ、みんなが通り過ぎて行く中、深澤だけは俺に声をかけてくれたろ」


「当然のことをしたまでよ」


 それまでとは違い、柔らかい物言いのように感じた。表情が見えていないから実際どうかはわからないけど。



「ついたわ」


 言って少女は立ち止まる。

 目的地の職員室に着いたのだ。

 間髪入れず、少女は職員室の扉を控えめな 力でノックした。

 普通一呼吸置かない?俺だったらノックする前に声くらいかけるよ。


「失礼します」


 なんてごちゃごちゃ考えていたら深澤は職員室に吸い込まれて行った。


「ちょっと待てよ」


「早かったな」


 入口を入ってすぐの所、正面の机に瀬良先生はこちら向きに座っていた。

 俺達がやってくるのを待っていたのだろう。


「ついて来るんだ」


 瀬良先生はゆっくりとした所作で立ち上がると、職員室の端に設置された俺の身長の高さほどのついたての方へ向かって歩いていく。

 そして、そのついたての前立ちで止まると、中に入るように促して来た。


 指示に従いついたての中に入ってみると、少し高そうなソファーがテーブルを挟んで2つ設置されている。


 その片方に座るように促されたので、指示に従い深沢と共に腰をおろした。すごいフカフカだ。



「さて、2人はなんで呼び出されたかわかっているよな?」


 瀬良先生は言いながら対面のソファーに腰をおろす。


「遅刻したからだよね?」


 そう返したのは深澤。

 深澤のフランクな返しが気に食わなかったのか瀬良先生は1つ咳払い。 


「あっ、遅刻したからですよね?」


 慌てて深澤は言い直した。瀬良先生は怒っているわけではないようで1つ頷くと続ける。


「そうだ。なぜ遅刻した。山辺?」


「へっ!?」


 深澤と瀬良先生が話していると思っていたもんだから咄嗟に反応できず、変な声が出てしまった。恥ずかしい。

 そんな事は気にとめる様子もなく、瀬良先生は俺をまっすぐに見つめていた。


「……寝坊しました」


「ふむ。深澤は?」


「……私も寝坊しました」


「2人とも初日から寝坊か。今までは遅刻してもなんのペナルティを課せられる事もなかっただろうが、君達はもう立派な高校生だ。あまりに遅刻が多いようならば処分される事もあるだろう」


「はい。例えばどんなものですか?」


「悪質だとみなされれば停学、あまりに多い場合は進級できないだろうな」


「それは困ります」


「そうだろう。だったら明日から遅刻しないように努力をすることだ。幸いな事に君達は2人とも寮生なのだから、助け合う事もできる」


 その理論、2人とも寝坊したら本末転倒だけどね。


「もし2人とも寝坊すると言うなら!仲の良い友達を作って起こして貰う事だな。まあ、1番は自分の力で起きれるように努力をすることだが」


「……はい」


 深澤は力のこもっていない返事を返す。


「言いたかったのはそれだけだ。深澤は帰って良し」


「えっ、自分は?」


「山辺には個別の話があるから少し残ってくれ」


「……わかりました」


 一体何を言われるのやら。

 俺なんかしたか?……まさか!?寮監が裏切って柵の話をしたのか!?

 そうだとしたら悪いのは俺じゃなくて坂井だ。

 全くあいつに関わるとろくな事がない。

 まずは誤解を解かなければ……


「さてと、山辺。個別に君に話しておきたい事だが______」


 瀬良先生の言葉で我に返ると、横に座っていた深沢は居なくなっていた。


「あれは違うんです!やったのは坂井なんです」


 坂井の事なんかかまうもんかと、瀬良先生の言葉を遮り俺は告げた。


「坂井……?急に声を荒げてどうした?坂井がなにをやったんだ?」


 瀬良先生は坂井の名前が挙がることを全く想定していなかったようで頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる様子だった。

 それにしてもだ。『坂井がなにをやったんだ』はおかしいよな?

 柵の事を問い詰めようとしていた訳ではない?


「いや、別に、あはははは」


 適当に誤魔化す事にした。


「なにをやったんだ?」


 瀬良先生の真っ直ぐな瞳が俺を捕えて離さない。目を背けることを許さない凄みがあった。

 とてもではないが、白状せずにいられる雰囲気ではない。


 1つため息をついてから俺は白状をした。


「実は昨日ですね______」


 ____________________________________________________



 瀬良先生は話を聞き終えると頭痛をこらえるように、右手で額をおさえてため息をついた。


「それは、本当なのか?」


 これ、俺のせいで寮監が処分されたりするような事になったりしないよな……?

 もしそうなったら、元を辿れば坂井が悪いのだが、罪悪感を感じずにはいられない。


「……はい」


「そうか」


「えっと……寮監が処分されたりとか……ありませんよね?」


「基本的には寮で起きたことは寮監の裁量に任される事になっている。大きな問題が露呈しなければ処分される事もないだろう。……私は聞かなかった事にしよう」 


「ありがとうございます」


 自分の事ではないのだけど、自然とお礼の言葉が漏れ出ていた。


「深澤とは、仲が良いようだな。ここに来るまでも話しながら来ていただろう」


 俺と深澤の会話が、職員室まで聞こえ漏れていたらしい。扉からすぐの所に席があるからよく聞こえたのかもしれない。


「まあ、そうですね」


「折り入って山辺に頼みがある」


「頼みですか?」


「ああ。深澤を見守って欲しいんだ」


「俺がですか?」


「ああ。君にしか頼めない事だ」


「はあ」


「あの子は勘違いされやすい子でな、孤立してしまう事があるんだ」


「まるで見てきたような言い分ですね」


「……と親御さんから相談されたんだ」


「はあ」


 そうだったとして、それは俺に話して良い内容なのだろうか。


「ここから見える寮の3階の柵の一部が壊れているように見えるが、なぜだろうな?」


「……脅しですか?」


「なんてな。全部冗談だよ。もう帰っていいぞ。明日からは遅刻しないようにな」


 これで話は終わりだと言わんばかりに瀬良先生は席から立ち上がると、俺にも立ち上がるように促す。


「……はい。失礼します」


 釈然とはしない。しかし自ら弱味を晒してしまった以上、立ち去るほか選択肢はなかった。


 モヤモヤとした気持ちのまま職員室を出ると、廊下の壁に寄りかかって深澤が佇んでいた。


「あれ?まだいたのか」


「悪い?」


「別に悪くはないけど」


「帰るんでしょう?」


「もしかして、待っててくれたのか?」


「ついで」


 俺から視線を切って深澤は答える。一体、こんなところで待つどんなついでがあると言うのだろうか。


「じゃあ帰るか?」


「ええ」


 案外素直なところもあるじゃん。

 

 俺も深澤も無言のまま廊下を進み、昇降口を抜けた所で深澤がこちらにくるりと身を翻し。


「せせらちゃんなんか言ってた?」


「せせらちゃん?」


 深澤は、あっしまったと言わんばかりに片目を瞑ると言い直した。


「あっ……えっと、瀬良先生」


 それが気になって待っていのか。勝手に家庭の事情を話されるかもと勘ぐっていたのね。それは正しいぞ深澤。しかしな、俺にも負い目がある。だから本当の事を話すわけにはいかないんだよ。


「ああ。寮の柵を壊してしまった事を注意されただけだ」


「そう」


 俺の返事で納得してくれたかはわからないが、深澤は再度坂道の方へ向き直ると、歩き始める。その後ろ姿に俺も着いていく。


 正門前にあったはずの入学式の看板やらテーブルやらも撤去されてしまっていて、朝助けてくれた先輩の姿もなかった。


「ちゃんとお礼言いそびれちゃったな」


 吹きすさぶ春風しゅんぷうが俺の声をかき消し、深澤に届くことはなかった。


 そのまま坂道を駆け下りる春風は、深澤のスカートも、桜の花びらも巻き上げる。


 なんとも絵になる風景だなと見惚れていると、深澤が振り返り俺のことを睨めつける。


 見てないよの意味を込めて俺は首を左右に振り、桜の花びらが舞い散る坂道を下り始めた。


 突風を警戒したのか、深澤は俺の背後に回り込むと後ろから着いてくる。


 まったく疑り深い奴だな。


 俺の網膜に焼き付いたシマシマ模様は、当分忘れることはないだろう。

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