青色が引き込むは

青色が引き込むは。

「なんだ、上も下も真っ青じゃないか。」

そう発声した自分の声帯の震えが、私の遠退いていた意識を呼び戻し、己が空を飛んでいることを思い出させた。


いや、正しくは、空を飛ぶ戦闘機のコックピット内部にいること、か。

さて、先程の私の発言にあった「上も下も真っ青」とは如何なることか?


首を振ってバイザー越しに上下左右を確認する。なるほど、全てが見事に青色だ。

大海原の上空にいるとみて間違いないのだろう。

はて。私はどのような指示を受けて青い世界を飛び回るに至っているのか?


その思考に導かれるように、ふと低い声が脳内に再生される。



「_____、次に、本作戦の詳細を説明する。まず、目的は敵の殲滅ではなく陽動である。

地上チームが別任務に当たる際、諸君らには海上2万ft上空の敵勢力の囮として小隊で動いてもらう。陣形等に関しては手元の資料に目を___」



そうだ、私は上空での陽動作戦に抜擢されていた。

数名の選りすぐりだと説明されたあのときの、喜びと興奮と緊張が、再び胸に広がるのを感じる。



突然、操縦桿付近のボタンに明かりが灯る。同時にスピーカーから、「PULL UP(機首を上げろ)」という機械音声と、耳障りな警報が流れた。


どうやらぼんやりして海面に機首を向けていたようだ、慌てて操縦桿を持ち上げる。

しかしその最中も耳障りな警報が鳴り続ける。

「ポンコツめ」

イラついて、分厚い手袋を着けた右手で警報を切った。

20年近い従軍経験の中で一番長く乗っている機体だ、ガタがくるのも納得がいく。


機体が安定したことを確認し、ひと息つく。

ふと、左翼側の計器のそばに貼り付けられた1枚の写真に目を惹かれた。

眩しそうに目を細めて顔で笑う女性と、彼女の腕に抱かれた女の子の写真だ。

私の妻と、2才になる娘。


妻の笑顔につられ、思わず私も微笑んでしまったような気がして、誰も見ていないことを分かっていても気恥ずかしい気分になる。


「いいよな、お前には、帰ったら『おかえり』って言ってくれる人ができたんだから」

ふと、そう言ってきた同僚を思い出す。

彼は確か、独身だったか。あの「いいよな」の意味は、なんだったのだろうか。

確かに、40を越えた私に妻と子供ができたのは幸運ではあったか。


ダメだ、また物思いに耽っている。このオンボロ機同様、私にももうガタが来たのだろうか。

そうだとしても、まずはこの任務は遂行しなければならない。その思いで、キャノピーから周囲を確認する。


機影はない。

本当に、雲ひとつない青空だ。美しいものだ。

私がこの仕事を続けられる、大きな理由のひとつだと思う。


突如、思考を遮るように断続的な信号が音となって鼓膜を揺らす。


『定期.連絡.2号機.応答.求.』


私、イ小隊2番機へ本部からの通信だった。


「2号機.異常.無」

此方も信号で応える。この長期任務では3時間に一度の定期連絡が義務付けられていたのだった。

レーダーを確認するが、敵機の反応は確認できない。

もしかするとこのままなにも起きずに終わるのではないか、とさえ想像し得るほどに、静かな空だった。


「PULL UP」「PULL UP」


「は?」

再びけたたましく鳴り響く警報と機械の音声に、苛立ちがそのまま音となって喉から漏れた。

なんだというのだ。

慎重に操縦桿を握って、引く。

「PULL UP」

鳴りやまない。


怒り心頭で高度計を見る。

高度213ft

213ftだと?

サァッと、体内の熱がすべて放出されたように血の気が引く。

高度はみるみるうちに下がっていく。


自分の頭の上で、空で、キラキラとうごめく光が見えた。


全身の皮膚が肉体から浮くような、ぞわりとした感覚に襲われる。


私が空だと思っていたものは、海だった。

握りしめた操縦桿は、機体を上へ上へ、

逆さまの機体を海へ海へと、マッハ2.7の速度で"急上昇"させている。


さっきまで空だったものが、65mに迫った海面に豹変したのだ。


「PULL UP」


視界がスローモーションになる。

死に直面した人間の脳は、生き抜く方法を探そうとあらん限りの速度で働くため、時間の流れが遅く感じるのだ

と、何かで読んだような。


だが私の直感は叫ぶ。


もう間に合わない、と。


私の脳は、それに気付いていないようだった。


身動きがとれないまま、私は海面を見つめる。

空と同じ、美しい青色だった。


周囲の時が止まったかのようだった。

妻と娘の笑顔が見える。


あの時同僚が言ったことがわかった気がする。



今は、ただ、「おかえり」がききたい。






3時間後

『定期.連絡.2番機.応答.求.』


イ小隊2番機からの応答はなかった。

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