15


「あ、くのんちゃーーん!」


 自分の名前が呼ばれたような気がして、佰乃は後ろを振り返った。後ろからは案の定、自分の方へ向けて嬉しそうに走り、手を振る人物がいた。満面の笑顔を私に向け、心の中がほっと安心する。彼女と会うのは久しぶりだ。


「くのんちゃんっ!」


 思いっきり抱きついてきた舞子の身体をしっかりと抱きしめて熱い抱擁を交わす。舞子の軽やかなシャンプーの香りが鼻のあたりをくすぐった。同時に、佰乃の中でずっと溜め込んでいる不安が鼓動を打つ。

 自分にこうして元気よく抱きついてくるのは、舞子だけじゃない。


 ………ハル。貴方は今どこにいるの…?授業に来なくなってから二週間も経ってる……。


「会いたかったヨォ、くのんちゃん。クラスが違うとこうも会えないんだね」

 そういう彼女は一ヶ月前よりも確実に大人っぽくなって、雰囲気が変わっていて……。


「…舞子ちゃん……貴方もしかして…――」

 何か察し顔をした佰乃にたいして、舞子は嬉しそうにピースした。


「そうなの! 私、なんと無事に本契約できましたぁ〜」

「すごい……一体どうやって?」


「おい、舞子。勝手に一人で走り出すなよ……って佰乃じゃねーか。久しぶりだな」


「天人……元気そうで何よりだわ………」

「そう言うお前はなんか元気なさそうだな。あれ? あのバカハルは?」

 天人は佰乃周りをキョロキョロ見渡すけれど、いつもそばにひっついているハルの姿は見えない。寮だと男女で分かれているから一緒に入れないのはわかるけれど、此処は学校の廊下だ。例によって高い位置にある窓からしか差し込んでくる光がない薄暗い廊下である。

 おまけに今日は学校が午前中だけなので、お昼を食べた後はフリーなのに。


「ハルは……実はここ二週間授業にも来なくて。同室の子にも聞いてみたんだけど、部屋に帰ってきてないんだって」

「まじか………。早速サボってるのか?」

 軽そうな発言をする天人に佰乃は持っていた本を落とす勢いで噛み付いた。


「違う! ハルはそんなことしない! ハルは……ハルは、誰よりも学校生活に憧れてて、楽しみにしてたの!」


「……………」


「勝手に欠席することなんて……絶対にしないから……」


「………悪い。俺が軽率だった」

 佰乃は俯いた。せっかく久しぶりに会ったと言うのに、こうじゃダメだ。

 此処にくる前は四人でなんとか頑張ってやってきて、お互いを支えていたのに、少し離れていただけで歯車が狂うようじゃ元になんか絶対に戻れない。

 震える拳を包み込んでくれたのは、舞子だった。

「ごめん、くのんちゃん。あーくんの発言が軽そうだったのは私からも謝る。……話を聞かせてほしい。なんで、はーくんは…――」

 自分の拳を包んでくれたその手は暖かかった。もう少しその余韻に浸っていたかった。


 刹那、あの日のことを思い出す。否、強制的に思い出した。


 源郎の封印が解けた日。あの日、本来であれば二人は関係なかったはずなのだ。私が、二人にあんなことをいうことさえしなければ、二人は巻き込まれずに済んだ。こんな、訳のわからない世界へ連れて来られることも、天人の友達が死ぬことも、彼らが悲しむこともなかった。

 私という存在が、彼らの調和を乱してしまったのだ。


『そうだよ。貴方が関わったから彼らは巻き込まれたんだ』


 そんな一言が脳内をループする。佰乃は舞子の手からそっと手を引いた。そして無理やり笑顔を作る。いつも基本的に無表情なので、頬の筋肉が引き攣った。


「ううん。なんでもないんだ。多分、どっか行っててまたフラッと帰ってくるよ。心配かけてごめんね」

「くのんちゃん?」

「ほら。ハルのことだから気がつかないうちにそばにいるよ」


 そう。

 絶対帰ってくる。ハルは私のそばから離れない。

 否、離れられないはずだ。


「心配するだけ時間の無駄だし、今はお互いのことに精神を注ごう」

「くのんちゃんがそういうならいいんだけど、本当に困ったら相談するんだよ」

「そうだぜ。お前に遠慮されるとキャラに合わない。ハルみたいにもっと楽に生きろよ」

「うっさい」

「うわ、ひでぇ」

 佰乃は落ちた本を拾う。

「じゃあ、またね。今度は授業の時に会えるといいね」

「うん! ばいばーい!」

 佰乃は二人の並んだ姿を目に焼き付けて、その場を去った。


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