11
二
「ハークッション‼︎」
誰も通らない道の奥で、優一郎は盛大にくしゃみをした。ずびーと垂れてくる鼻水を啜って、身震いする。
辺りを見渡すと、四方八方を冷たい冷気で包まれた氷が囲み、今の状況において自分のなす術は無い。愚か、しようにも体が凍り付いて動けない。
己の頭上を突き抜けるかのように大きく空いた穴は、その向こう側から燦々と光る太陽の木漏れ日が見えている。約数メートルはあるであろう穴の底にいる自分など、誰も見つけられないはずだ。
ここにいても時間が過ぎていくだけで、打つ手がないと云うのはこんなにも惨めなものなのだろうかと優一郎は己に今一度問いただした。
優一郎は、隣で静かに瞼を閉じている少女を一眼見る。彼女は自分の式神であり、兄の鉄郎から受け継いだ初めての式神だ。優一郎にとって、かけがえのない存在だ。
それが今瞼を閉じたまま、まるで眠っているかのように動かない。これもきっと自分のせいなのだと、優一郎は息を吐いた。
そして小さく、睨みったらしく言葉を吐く。ひどく歪んだ顔をして。
「こうなったのも、何もかも全部あいつのせいだ………。あいつのせいで………」
遡ること数日前…―――
「………今、なんて言いましたか?」
「優一郎と花奏で、近隣で起きた妖怪騒ぎを始末してこいって言ったんだ」
「……こいつと……誰がです?」
優一郎は隣にいる花奏を指さした。
優一郎の前に立つ六幻はその指を優しく包み込んで優一郎自身へ向ける。にっこりと微笑んだ。
「君だよ。小野内優一郎くん」
「そんな………」
優一郎はガクンと首の力を抜いて、膝から床の上に崩れ落ちた。それほどまでに、優一郎にとって花奏と行動するのは嫌なのだ。崩れ落ちる優一郎の横で腕を組みながら花奏はフンと鼻を鳴らす。
「六幻さん。いいよ、僕はこいつと行動しても。本当なら僕一人でも対処できるけど、その間こいつの面倒を見ていられる人がいないならば、僕が面倒を見る」
そんな言葉へ歯向かうように優一郎は花奏へ指を突きつける。
「ふざけるな。君なんかとこの僕が一緒にされてたまるか。六幻さん、大丈夫です。僕一人でも始末できるので、この件は……――」
と、優一郎は最後まで言葉を続けようとしたが、その前に六幻は人差し指を優一郎の口元で止めた。六幻の綺麗な髪質が光に当たってさらりと舞う。
「それ以上は言わせないよ、優一郎。大人になって事を考えて」
優一郎は押し黙った。
六幻はクルリと回転して二人に背を向ける。彼の後ろ姿はスーツがよく似合っていた。
今現在、東家当主の征爾がこちらへいない以上、ここで一番の権利を持っているのは東征爾の息子である六幻だ。スーツを着た後ろ姿もどことなく征爾と似ていた。
六幻と優一郎は、優一郎が中学生になったぐらいの歳からの付き合いであり、優一郎が小野内家へ養子として名をもらった時からよく遊んでいた。人見知りと人間不信だった優一郎をここまで変えたのも六幻の存在と鉄郎の存在のおかげだ。
一方、花奏と六幻はそれよりも前、花奏が小学生の時……いや、生まれた時から知り合いであり、花奏にとっては幼い頃の記憶がなくともよく面倒を見てくれた六幻には頭が上がらない。その上、破門されても面倒を見てくれているので、六幻には常に感謝していた。
「とにかく、今回の依頼は町の外れにある、小さな集落からの依頼だ。一日で済ませられるような内容じゃないし、そこで暫く泊まって調査してもらう必要がある。そうなったら、はい問題」
突然六幻は花奏と目を合わせた。
「陰陽全書第参条は何?」
「ええ………?」
いきなりだが、花奏は学校で習ったことを振り絞って思い出した。自分が榊家の育成学校…――正式にいうと弐の世界の全寮制陰陽師学校に通い始めたのは小学校高学年の時だった。その時はまだ一家は破門されておらず、学校で除け者になることもなく楽しく学校生活を満喫していたんだ。
頭を捻ってようやく出てきた。
「“団体行動は陰陽師の基本であり、個人行動は例外を認めない限り厳守とする”」
「はぁい。よくできました」
六幻はパチパチと手を叩く。優一郎は不機嫌そうに目を細めたままだ。
「個人行動は陰陽師にとて、デメリットでしかないからね。だから今回は大人しく二人で調査に行ってくるんだ。その間、こっちのことは任せて」
やんわりとした物腰のある言い方に優一郎は口を紡ぐ。その様子を見た六幻は部屋の棚から一枚の紙切れを出した。
「じゃあ、早速明日からここの旅館へ行ってもらうよ。そこの旅館でしばらくの間泊めてもらうよう手続きはしてあるし、迷惑にならない程度に集落を調査してきて」
「わかりました」花奏は紙切れを受け取ろうと手を出した。しかしその前に優一郎が奪い取るように紙を手にする。花奏は思いっきり優一郎を睨んでやったが、当本人は気にする様子もなく涼しい顔で紙切れの文字を読んでいた。
一通り読み終えた優一郎は、ポイっと紙を手放す。地面に落ちる前に花奏は慌てて広い汗を拭った。
用が済んだ優一郎は部屋を出ようと背を向けるが、その背中へ六幻は言い放った。
「今回二人で調査してもらうのは、勿論陰陽全書にのっとって基本を大事にしてほしいっていうのもあるけど…――」
「…けど、なんです?」
六幻は厳しく言った。
「いくら強い力があったって君一人では倒せないよ、優一郎。君はそれを忘れちゃダメだ」
「……………」
優一郎は黙って背を向けたまま部屋を出て行った。部屋に残された二人は深く息を吐いた。
「ごめんね、花奏。彼奴と一緒に組むなんて大変かもしれないけど……」
「謝らないでよ、六幻さん。僕はこの仕事において私情を挟んだりなんかしないから。あいつとは違うんだ」
花奏にとって優一郎はそこまで毛嫌いしている相手ではなかった。初めて会った時は同じ学年通し仲良くしようと思っていたし、むしろ友達ができると思って嬉しかった。
けれど優一郎の方はそうはいかなかった。
ひどいくらいに花奏に悪態とつき、無視し、ことあるごとにバカにしてくる。自分より弱い奴のことなんて視界に入れてすらいない。彼奴にはそれぐらい確信のもてる強さを備えていたのだ。
特に彼奴の式神“野焼”はいうまでもなくトップクラスに近い。優一郎が張った結界内で自由に動くことができ、かつ一度捉えた獲物は逃さない。悔しいけれど、花奏は毎回のように自分の力との差を見せつけられていたのだ。
「でも、六幻さん。一つ聞いていい?」
「ん?」
「彼奴はあんなに強いのに、それでも倒せない妖怪ってことは、僕が行ったところでどうにもならないんじゃない? しかも、僕の力は……」
「花奏。この際だから言っておくけど、今の優一郎は以前ほど強くないんだ。………寧ろ弱くなっていってるんだ」
「……それってどういう……」
「優一郎から目を離さないでほしい。僕から君に言えることはそこまでだよ。あとは本人の口から聞きな」
そう言って一方的に会話を断つと六幻も部屋から出ていった。
部屋に残された花奏は、肌の奥をさする風が妙に冷たく感じた。
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