第2話 本文

 序


 薄っすらと宵闇に浮かぶ月を背に、僕は幼馴染に抱き着かれていた。


 目の前に浮かぶ蝙蝠のような皮膜の翼。

 絹糸のような銀糸をなびかせ、彼女は僕に覆いかぶさっていた。


「ルデレくん……これで、私の全てはあなたのものよ……」


 紅をさしたように、唇に僕の血を滴らせながら、緋色の着物をふわりと揺らして、甘えるように頬と身体をすり寄せる幼馴染。

 豊満な胸の感触に動揺しながらも、僕は、その名を呼んだ。


「マイヤ……」


 いったい、どうしたの?


 きみの髪は艶めくような黒で。瞳だって、そんな、魔族みたいに真っ赤じゃなかったじゃないか。


 問いかけに、幼馴染はさも嬉しそうに恍惚とした笑みを浮かべて答えた。


「私……もう、ルデレくんなしでは生きられないの」



 ◆ ――数日前。


 月を背に、和装の少女が艶やかな黒髪を靡かせる。


 彼女が手にした刀を振るうと、ひとりまたひとりと、小路を千鳥足でふらついていた男たちが地に伏した。

 その中でも、ひと際高慢で鼻持ちならない感じの男――冒険者パーティ『夢追い人ワナビ』のリーダーであるノッポ=ノーズが、天を仰いで問いかける。


「貴様……何者だ……」


 ちらり、と伺うと、鼻の先には緋色の鼻緒の下駄と爪先。見上げた先には、少女の着物の裾が揺れていた。

 動きやすさ重視なのか、和装なのにかなりのミニ丈――あと少しで、パンツが見えそうだ。つか、下から見てもわかるが乳がでけぇ。さらし巻いてる意味あるのかそれは? ……なんて、この場で口にしたら多分殺される。


 なぜこのような美少女に襲撃され、命を狙われるハメになったのか。ノッポには微塵も覚えがない。

 今日はただ、依頼で行ったダンジョンが思いのほかチョロくって、報酬が割と豪華で。気分がよくなったのでパーティの仲間と少しばかりハメを外して酒場で飲んでいただけだ。


 なのに、何故――


 ノッポの視線の先、少女の胸元には鈍色に光る階級章バッジがあった。

 ひとつひとつが職人の手作り。特注で作られるその精巧な意匠に思わず息を飲む。


(冠位最上級……剣聖、だと……?)


 噂には聞いたことがある。

 なんでも数週間前に史上最年少の十四歳にして、幻とも謳われるその称号を手にした少女がいるとかいないとか。

 それがまた驚くべき美少女で、「天は二物を与える」と「一度でいいからお目にかかりたいものだ」と、中央ギルド協会から遠く離れたこの廃れた田舎町でも噂になるくらいだった。


 それが。そんな少女が、なぜ……俺の命を狙ってる!?


「俺が……何をしたっていうんだ……」


 地面の砂に埋もれかけた問いかけに、少女は鈴が鳴るような凛とした声音で答える。


「別に。何も」


(……は??)


「あなたが、ちょっと高慢ちきで鼻持ちならないだけの、凡人だということは知っているわ」


 じゃあ、なんで?


 訴える視線に、少女は顔色ひとつ変えずに。


「ただ、あなたは……私の逆鱗に触れようとした。それだけのことよ」


 そう言って、ノッポの左手に刀を突き刺した。

 瞬間、ノッポが声にならない声をあげる。


「こっちにも色々事情があるの。あなたには、ちょっと冒険者業を休業――パーティを解散してもらうわ」


「ふざけっ……! なんの謂れがあって俺がこんな目に……がぁあっ!」


 ぶすり、と躊躇なく加えられた二撃目に、ノッポは再び悲鳴をあげる。


 少女は、その場にいた『夢追い人』のメンバー全員が再起不能になったことを確認すると、闇夜に着物を翻す。

 立ち去る直前、思い出したように、ノッポの相討ち覚悟の一撃で割られた仮面を拾い上げ、ふたつに割れた狐面を顔につけた。


 あんな、身分丸わかりの階級章をつけておいて今更顔を隠して何になる……


 苦し紛れのノッポの苦い視線など眼中にないのか、少女は煌々と町を照らす月に向かって呟いた。


「ああ、愛しのルデレくん。これでもう、ルデレくんを守るメンバーは誰もいない。今夜限りでパーティは解散。ルデレくんは晴れて無職よ……!」


 うっすらと、恐ろしいくらいに綺麗な笑みを浮かべて、何を――


「ふふっ。ルデレくん……これで全部。ぜーんぶ、私のものだね……!」


 あははははっ! と笑う女に、ノッポは今一度問いかけた。


「てめぇ……ナニモンだ……」


 その問いに、月を背にした美少女は。


「私のことは……そうねぇ。『ヤンデレ侍』とでも、名乗っておこうかしら?」


 ヤンデレ侍、好きにて候――


 そう。全ては、彼への愛の名のもとに。


第一章 ヤンデレ侍、好きにて候


 こけこっこー。と鶏の鳴く月曜日。

 錆びついた蛇口をひねって顔を洗うと、鏡にはうす茶の髪をした、なんともっぽい少年が前を向いていた。

 僕こと、ルデレ=デレニアは、この安いボロアパートにひとりで暮らし、大陸各所で仕事を請け負うギルドのブロンズ冒険者として日夜活動に励んでいる。


 しかし――


 週が明けてギルドに顔を出すと、僕の所属するパーティが解散になっていた。


 いつものようにギルドの受付嬢さんに、僕が冒険者として登録、所属していた『夢追い人ワナビ』宛ての手紙や依頼はないかと確認すると、神妙な面持ちでそう告げられたのだ。


「え? うそでしょ? 何があったんですか?」


 いくら『夢追い人』が、中の下レベルの弱小パーティだからって、一日に何の依頼も無いことなんて今までなかった。


 冒険者の仕事といえば、危険なモンスター(ドラゴン)退治だとか、洞窟ダンジョンに眠ったお宝の発見とかそういうイメージが強いかもしれないけれど、スライム駆除だって迷子の猫探しだって立派なお仕事だ。


 そういうものとか、家の掃除から老人の見守り、子どもの世話まで手広くやってきた『夢追い人』は、この田舎町のギルドでは所謂『なんでも屋』として、それなりに頼りにされてきたっていうのに。

 おかげさまで、一か月くらいなら家賃を滞納しても大目にみてもらえるくらいの人望はあったっていうのに。なんで。


 問いかけに、耳が長くて褐色のエルフの受付嬢さんは、「ルデレさん以外のメンバーが、急遽無期限休業することになりまして……パーティは、実質解散となりました」と。再三説明してきた内容を再度言い放つ。


 冒険者協会のギルドに登録してパーティを組むには、リーダーを務める人間が最低でもシルバー級以上でなければならない。

 僕の階級は、冒険者として登録できるぎりぎり――最下位のブロンズ。だからパーティは解散なのだ。


 こうして、僕はある日突然、無職になった。


(ど、どうしよう……! 月が始まってまだ三日も経ってない。このままじゃあ今月の給料はゼロも同然だし、そしたら家賃の支払いも……!)


「あああ、どうしよう……!」


 どうしてパーティの皆が無期限休業してしまったのかは知らないが、今はとにかく代わりのパーティ――職なり仕事なりを探さないと。

 周囲を見回すも、ギルドにいるのはゴールド級のリーダーとメンバーばかりだ。

 階級がふたつも違う僕ではお荷物同然。依頼をこなそうにもレベルが違い過ぎて話にならないだろうし、そもそも話を聞いてもらえるかどうかすら……


 近くにいた二メートル超の大男、身の丈ほどあるまさかりを担いだゴンブト=フッドさんと目が合う。フッドさんは一瞬なにごとかと首を傾げるが、身の程もわきまえず「パーティに入れてください!」なんて言う勇気は僕にはなかった。


(どうしよう、どうしよう! でも、ここで勇気を出さなきゃあ無職だし……!)


 わなわなとひとりうち震えていると、朝の仕事紹介で騒がしかったギルド内が、カラン、という扉の開く音と共に静まり返った。

 ザワ……とひそつく冒険者たちの目は、入ってきた和服の少女に注がれている。


 黒い髪を腰まで伸ばしたその美少女は、ギルド内でたむろする大男たちには目もくれず、まっすぐに僕のところへやってきた。


「おはよう、ルデレくん。今日もいい天気ね」


 今日も、僕の幼馴染はにこにことして可愛い。


「あ。マイヤ。うん……いい天気……だね……」


 無職になった僕は、正直それどころじゃあないけど。

 マイヤはにこにこと問いかける。


「ねぇ、ルデレくん。今日は何色のパンツ履いてるの?」


「え? なに? パンツ?」


 急に言われても思い出せない。

 白? 黒? それとも紺だっけ?


「やっぱり、なんでもないわ」


(な、なんだったんだろう……?)


 しどろもどろな回答に、幼馴染のマイヤは表情を一変させて、忌々しげに舌打ちをした。


「にしてもあの男……ゴンブト=フッドとかいう奴。さっきルデレくんにガンを飛ばしていたみたいだけど。何かあったの?」


 射殺す勢いで、ゴンブトさんを睨めつけるマイヤ。

 つい先日、冠位最上級――最強の剣聖にクラスアップして『銀閃のマイヤ』の通り名がついた彼女がやると、本当に目で人を殺してしまいそうだ。

 僕は慌てて訂正をした。


「そういうわけじゃないよ。どちらかというと、僕が先にゴンブトさんを見ていただけで、目が合っちゃったっていうか、なんていうか……」


「……そう。まさかとは思うけど、ルデレくんはああいう、毛の濃い大男がシュミなの?」


「そ、そういう意味で見てたわけじゃないからね!?」


「ならいいわ」


 そう言って、視線をゴンブトさんから僕に戻すマイヤは、小声で「……命拾いしたわね」と。呟いた気がした。


 そんなマイヤは、受付でいつまでたっても仕事を受注しない(できない)僕の横から、受付嬢さんの間に割って入る。


「ルデレくんの受けられそうな、ブロンズ級の仕事はないんですか?」


 その問いに、受付嬢さんは難色を示し――


「はい。『夢追い人』さん達が日頃からこまめにお仕事を請け負ってくださっていたおかげで、今はブロンズ級のかんたんなお仕事がないんです。年に一度の町の大清掃も先日済んでしまいましたし、おそらくこの先一か月はブロンズ級の依頼はないかもですね……」


「そんなぁ!」


 隣で口をあんぐりと絶望する僕をよそに、マイヤは超高難易度のクエストリストを漁る。

 隣山に巣食う竜王退治、西から逃れて棲みついたという吸血鬼の調査など、どれもこれもが冠位中盤、六位以上の者でないと請け負えないものばかりだ。

 ちなみに、冒険者のランクは下からブロンズ、シルバー、ゴールドとなっており、そのさらに上に十二階級の冠位グランデというものが存在する。

 最下級の十二位から順番に、数が少なくなるほど凄い。


 そんなわけで、冠位六位以上だなんてこの町を探してもひとりいるかいないかって話で。ときたま補給の為に町に寄る実力者パーティの人たちが請け負ってくれない限りは、これらのクエストは溜まっていく一方だろう。だからマイヤはいつだって仕事に困らない。そう、僕のようにはね。


「これ……今日はこれにします」


 そう言ってマイヤが受付嬢さんに示したのは、隣山の竜王退治だった。


「ついでに。私からお仕事を依頼してもいいですか?」


「はい。もちろんですけれど……」


 最上級の剣聖にできない仕事なんてあるのか? と首をかしげる受付嬢さんに、マイヤはその場でさっと書いた依頼書を突き出した。


「ブロンズ級。荷物持ちの依頼です」


(……!)


 誰がどう見たって、僕の為の依頼だ。

 受付嬢さんも予想外の――でも優しいその行動に目を見開いた。


「しかし……マイヤさんは六位オレンジ級の竜王退治に行くんですよね? いくら荷物持ちとはいえ、そんな危険なクエストに、ブロンズ級のルデレさんを連れていくのは……」


 完全にお荷物。荷物持ちなのに。


 その視線を黙らせるように、マイヤは眼光鋭く言い放った。


「ご安心を。ルデレくんには、何人たりとも触れさせない。私が――命にかえても守りますから」


 「どうぞ、前金です」と言って、受付嬢さんはマイヤに一枚の金貨を渡した。

 金貨一枚といえば、この田舎町でなら約半月は無難に暮らせるくらいの額だ。


「竜王退治に成功すれば、この倍が支払われます。前金を含む合計金貨三枚。それがこの依頼の報酬です」


 受付嬢さんにそう言われて、僕なら喜んで飛び跳ねそうな額にさして驚く様子もなく、マイヤは詳細資料を受け取った。

 そうして受付の列から外れると、くるりと僕を振り返る。


「そんなことより! ルデレくん、無職になったんですって!?」


 鼻息荒く、どこか嬉々として問いかける幼馴染に問い返す。


「どうしてそれを……?」


 そんな嬉しそうに……?


「風の噂でね」


 そう言って、マイヤはちゃきり、と腰に携えた刀の鍔を鳴らした。


「へぇ……剣聖は、『物事の流れを風で読む』って話は本当だったんだ」


 感心したように尋ねると、マイヤは「ま、まぁねっ!」と目を逸らして胸を張った。

 その拍子に、十四歳にしてはかなりたわわに育ったおっぱいがさらしから零れてしまうのではないかと心配になるくらいに、たぷんッ! と揺れる。

 僕は思わず視線を逸らし、続ける。


「でも……僕のためにありがとう。あんな、必要の無いブロンズ級の依頼なんてしてくれて……」


 剣聖であるマイヤの実力があれば、いくら竜王退治といえど、日帰りで済むクエストだろう。竜王なんて大層な名がついていても、それはあくまで『近隣の竜をおさめるボス』くらいの意味合いだ。

 西の魔王が約五十年ぶりに復活してからというもの、魔物や竜が多く蔓延るようになった。竜王なんてそこまで珍しくもない。


 マイヤは日頃から手荷物が少なくて身軽だし、荷物持ちなんて十中八九必要ない。そんなマイヤと僕は幼い頃からの馴染みだが、いつからだろう。こんなに住む世界が変わってしまったのは――


 ふと顔をあげると、きょとんと大きな目を見開いて僕を覗き込むマイヤと目が合った。

 その顔の近さに思わず赤面すると、マイヤはさも嬉しそうに、いたずらっぽく笑う。


「怖がらないで。大丈夫。竜王なんて、ちょちょいのちょいでボッコボコよ」


 にこ! と彼女の言う通り、その日の午後には、隣山の山頂に血の雨が降り注いだ。

 少し離れているように言われた僕は、マイヤが刀一本で竜王をなますのように切り捌き、開きにしていく様子を呆然と眺めるばかりだった。


「大きなとかげの分際で! ルデレくんに向かって火を吹くなんて! とんだ命知らずねぇ!! このっ。このぉっ……!」


 「きゃははははっ!」と殺意を剥き出しにして竜を相手取るマイヤ。

 剣を極めし達人は、戦闘中に『心眼』という一種の境地ゾーンに入り、精神的にも肉体的にもハイな状態になることがあると聞くが、アレもそうなのだろうか?

 剣の腕前がぐっずぐずの僕にはよくわからないが、マイヤが楽しそうなので、まぁいいや。

 竜王の山みたいな巨躯に少し前まで怯えていた僕は、恐怖が一周まわって冷静になり、マイヤに向かって声を張り上げる。


「マイヤ! そんなにズタズタにしたら勿体ないよ! 竜の鱗と体皮はなめすと高く売れるんだ!」


「さすがルデレくん! 頭の中に生活の知恵が詰まってる♡」


 「戦いばかり得意で女子力がない」と口癖のようにぼやいているマイヤは、そんな小手先の知識ばかりで実力が伴わない僕に対してもそんな風に笑顔で褒めて讃えてくれる。

 それがなんだか嬉しくて、いたたまれなくて……


(本当は、僕が竜を倒せるような男になって、マイヤのことを……)


 一度でいいから、「僕がきみを守る」なんて、言ってみたいのに。


 そんな夢を追うばかりでまるで立場が逆な僕らは、売り物にするにはややズタボロになり果てた竜王の皮を手土産に田舎町に帰還した。


 ギルドに報告を済ませて、竜王の皮の鑑定と換金を待つ間、マイヤが僕に話しかける。


「ねぇ、ルデレくん。あなたがよければ、また荷物持ちを依頼してもいいかしら?」


 屈託なく微笑む、最強剣士の幼馴染。

 でも。貰い過ぎという意味であまりに割に合わない報酬の金貨一枚を手にした僕は、そのうしろめたさゆえに、素直に頷くことができなかった。


「そんな……マイヤに悪いよ。僕なんてただの足手まといで、今日だって竜に火を吐かれて、庇ったマイヤの着物の裾が、ちょっぴり焦げちゃったじゃないか」


「あれは、その……ルデレくんと一緒にクエストができて、ちょっと舞い上がってたというか、油断しちゃっただけで……」


「隠さなくてもいいよ。僕がお荷物だってことは、僕自身がよーくわかっているからさ」


 そう言って、僕はギルドの待合室の椅子から腰をあげる。マイヤは、そんな僕を引き止めようと立ち上がり――


「でも! 前にいた『夢追い人』でだって荷物持ちとか雑用みたいなことばかり! 私の荷物を持つのと何がどう違うっていうの!? 私はダメで、あいつらはいいの!? ねぇ、どうして!?」


 それこそ、僕が「どうして?」だ。

 どうしてそこまで、マイヤは僕によくしてくれる?

 僕のどこに、そんな魅力があるっていうんだ……


 それに――


「『夢追い人』の皆は、確かに鼻持ちならなかったり、お調子者だったりするかもしれない。けどね、僕に『パーティを組まないか?』って誘ってくれた生まれて初めての人たちなんだ。だから……あんまり悪く言わないで」


「……ッ! でもあいつらは、ルデレくんを除け者にして、酒場でどんちゃん盛り上がったり……!」


「それはほら、僕が未成年でお酒飲めないから」


 頑なな僕の態度に折れたのか、マイヤはそれ以上言及してくることはなかった。


 一方で、マイヤの頭の中は悔しい気持ちでいっぱいだ。


(……どうして!? なんであいつらはルデレくんとパーティが組めて、私には組めないの!?)


 私だって――ルデレくんとパーティを組みたい……っ!


 しかし。ルデレの中にある遠慮と良識、自己肯定の低さが、マイヤの望み悉くを阻む。

 いつからだろう。楽しく勇者ごっこをしていた私達に、ここまで差がついてしまったのは。


 私はただ、大きくなってもルデレくんと一緒にいたいだけだったのに……!


 ――強くなりすぎてしまった。


 それがいけないことなのか?


 このままでは、「あなたのことが好きだから組んで欲しいの」と正直に打ち明けたところで、気休めや憐れみにしか思われないのではないだろうか。

 長年胸に秘めてきた恋心をそんな風に思われるなんて……絶対に、あってはならない。許せない。


 暫し脳内で自問自答していたマイヤは、ある結論に辿り着く。


 もし。ルデレくんが私と組むことに負い目を感じているのなら。

 私が、ルデレくんなしでは生きていけない身体になればいいのでは?


 そう思い至り、マイヤはルデレの手を握る。


「お願い、もう一回! 明日、もう一回だけ私のクエストに同行してくれない!?」


「え……? 別に僕は、全然かまわないけど……」


 ごにょごにょとばつが悪そうに呟くルデレをよそに、マイヤは内心でガッツポーズをキメた。



 翌日。やけに意気込むマイヤに連れられて来たのは、街から森ひとつ超えた先の古城だった。

 一昔前まで何かしらのよくない儀式に使われていたというその朽た古城は、地下に向かって延々と螺旋階段が伸び、光の刺さない先までそれが続いているという。

 西の魔王の配下である吸血鬼が逃れ逃れてこの城に隠れているという噂は本当なのだろうか。

 その真偽を確かめるべく調査するのが、今回マイヤが請け負ったクエストだ。


 古城に向かうまでの道すがら、僕はマイヤに声をかける。


「そういえば、言うのが遅れてしまったね。冠位一位就任おめでとう、マイヤ」


「え?」


「聞いたよ、凄いじゃないか。史上最年少にして刀使いの最高職、冠位一級の剣聖。世界中を探したって一級は各職に五人もいないし、次期中央ギルドの運営側――国家の治安維持部隊長候補にも名前があがってるんだって?」


「え。ええ……まぁ、ね……」


(そういえば、先日中央ギルド協会に呼びつけられた際にそんな話を聞いたっけ? でも、そんなことより、私は今日のルデレくんのパンツの色の方が気になるわ……)


 愛しい彼と、念願のふたりきりでのクエストだ。さっきから膝がそわそわとしてしまって、剣聖だとかなんだとかいう話は右から左へ抜けていく。

 いくら剣の腕が立とうが、伝説の聖剣やら妖刀やらを抜けようが、知ったことか。そんなものよりも、私は。彼の夜のエクスカリバーをヌキたい。


(ああ、ルデレくん……どうしてあなたはルデレくんなの……?)


 そんなマイヤがここまで恋心を拗らせたのは、ルデレがパーティ『夢追い人』に入ってしまってからだった。


 ◆


 女人禁制のダンジョン、インキュバスの愛の巣。


 とても強力な男性型の淫魔が棲みつくというそのダンジョンは、女が入ればたちまちに魅了され、気がつけば衣服を脱がされハーレムに加えられてしまうという、とんでもないダンジョンだった。


 しかもその淫魔は、魔力を増強する効果をもつ装飾品を持っているとの噂で、その装飾品さえ奪えれば町を訪れた勇者一行にもどうにかこうにか相手ができるかも、との話だった。


 そこで装飾品の奪取に立ち上がったのが、『夢追い人』の元リーダー、ノッポ=ノーズだったのだ。

 急遽、ルデレくんを含むその場にいた男だらけでパーティを組むことになって、作戦は見事成功。たまたまそこにいたメンバーと意気投合して、彼はそのまま『夢追い人』の一員になってしまった。


 今まで、体格にも剣技にも恵まれなかったルデレくんが他者に必要とされ、認められて友情を育んで。そのときは微笑ましいな、嬉しいな、と素直に思った。


 そんな彼を横目に、私はソロで竜魔王とか四天王の一柱とかを討伐する日々。


 楽しくないなぁ、寂しいなぁ。


 どれだけ強者の返り血を浴びても、私の心は満たされることがなかった。


 もう一度、彼とパーティが組みたい。

 でも彼は「僕と組んでも、足を引っ張るだけだから」って、遠慮しちゃって組んでくれなくて。いつしか私は誘うことを諦めた。


 でも……


 もし、ある日突然、パーティ内のその友情が愛情に変わってしまったら?


 だって、ルデレくんはあんなに可愛くてかっこいいんだもの。おまけに天使みたいに優しくて、困っているおばあちゃんに手とか差し伸べちゃうような人。

 女の子の絶対数が少なくて、屈強な男の多いギルドみたいなあんな場所で、誰かがルデレくんのお尻を狙ったらどうするの?


 そう考えると、居ても立ってもいられなくなってしまったのだ。


 ◆


(ルデレくん……ルデレくんの貞操は、私が守るからねっ……!)


 そうしていつか、この手で奪いたい。


 そんなことを考えながら、マイヤは吸血鬼の棲むという古城に足を踏み入れた。

 まだ日の落ちていない夕方なのにその古城はまっくらで、扉を開けると錆び腐れた蝶番がギィィと嫌な音を立てて倒れた。


「あっ。壊しちゃった」


 誰も住んでいない(住んでいても吸血鬼モンスターの)お城に気を遣う必要なんて微塵もないのに。そんな呟きひとつ取っても、ルデレくんは優しくていい子。


 私はふんふんと鼻歌を鳴らしながら、古城の中でもひと際ウジウジと闇の気配が濃い場所を探す。

 なんかね、そういうのは勘でわかるのよ。


 町の人たちは、『さすが剣聖。風で物事の流れを読んでいらっしゃるのですね!』なんて言うけど。こんなのなんてことはない。女の勘よ。

 小さい頃も、近所のメスガキがルデレくんに欲情丸出しのバレンタインチョコをあげようとしていたのをメスの匂いで察知して、腕を捻りあげてやったわ。

 それと一緒。


 古城で最も陰気な場所に着いた私は、おびただしい数の蜘蛛の巣に顔を顰めつつ、床下付近から漏れ出す風に呼吸を合わせた。


「――せんっ!」


 手にした刀を一振りすると、床下から地下へと続く階段が現れて、共同墓地カタコンベを思わせるおぞましい地下空間へと繋がっているのがわかる。


「ルデレくん。ここで待ってて」


「え? でも……」


 「危ないよ」と気遣う台詞を言いかけて、彼は口を噤んだ。「自分がついていった方が危ない」と、思い直したんだと思う。

 実際、もし本当にここに吸血鬼がいたのならここから先は私だって気を抜けない。

 それに。


(ここから先は、あなたに見られてしまっては困るのよ。ルデレくん……)


 そう胸の内で呟いて、私は地下へと階段をおりた。


 延々と暗闇を下り、随所で出てくる使い魔的なモンスターを蹴散らすと、辿り着いた先にはひとつの棺桶があった。

 間違いない。この中で、傷ついた身体を癒すために吸血鬼が眠ってる。


「――黒刃刀、秘奥。椿落とし」


 竜の首でもオーガでも。首ならなんでも斬り落とす師匠直伝、秘奥の一太刀。私は躊躇うことなく、棺桶の上から首を両断する一閃を放った。

 ガシャァン! と棺桶が勢いよく吹き飛び、洞窟内に破片が霧散する。


(まぁ、相手は西の魔王の直下。手負いとはいえ、この程度じゃあすぐに再生してくるか――)


 起き上がってきたら、四肢をバラバラにして刺し貫いて拘束する。


 備えていると、寝込みを襲われた吸血鬼がごほごほと口から血を吐きながら起き上がってきた。


 暗闇に、深紅の眼と銀髪が光る。

 吸血鬼はなんと、私よりも幼い少女の姿をしていた。


「綺麗な目。一息に殺すには惜しいわね」


 薄ら笑いを浮かべて素直に感想を述べると、美少女吸血鬼はさも忌々しげに私を睨めつける。


「小娘が……これは、魔力不足ゆえの仮の姿。本来の我は――」


「はい、うるさい。そういう負け犬の遠吠えはいいから。今は私の言うことを聞いて」


 タッ、と地を蹴って距離を詰め、刀で喉元を突き刺し、壁にはりつける。おしゃべりな吸血鬼は物理的に口を噤んで、私を見下ろした。


「がっ……はっ……!」


「生きてる? よし、まだ生きてるわね。いい? あなたは私の言うことを聞くの。いいから聞きなさい」


 そう言って、刀で傷口を広げると、吸血鬼は黙った。

 いくら不死身の吸血鬼といえど、こうして喉を刺されたのでは呼吸が苦しいことくらいちょっと考えればわかる。どうやら、大人しく言うことを聞く気になったようだ。


 そうして、私は言い放った。


「あなた――私に、呪詛のろいをかけなさい」


 その言葉に、吸血鬼は目を見開いて固まる。


「いい? あなたは私に、死に際の一撃――呪詛のろいをかけるの。あなたの呪いで、私を――吸血鬼にしてちょうだい」


 そう。彼の血を飲まなくては生きていけない……そんな身体に、してちょうだい。


 すると、吸血鬼はなにが可笑しいのか、高らかに歌うように笑い出した。


「きゃはははは! 我に契約を求むか! おまけに呪詛だとぉ!? 貴様、自殺するつもりか?」


「こっちは大真面目なのよ。笑ってんじゃない」


 ざく、と喉へ刀を斬り込むと、吸血鬼は「待て、待て」と言って楽しそうに嗤う。


「はは、そう急くでない。元より我は死に損ない。おまけに貴様の先の一撃で、もはや喋るだけでも精一杯の身よ」


 そう言って自嘲気味にわらうと、吸血鬼は、綺麗な紅いネイルの指を一本、私の目の前に立てた。


「ひとつ、約束をしろ。その約束を違えれば、実力の差に関係なく我は貴様を呪い殺す」


「……いいわ。何?」


 まさかのまさか。最初に引いた吸血鬼が『呪詛をかけられる実力者』だった。私は運がいい。

 もしこいつが呪詛のかけられない吸血鬼だったら、はるばるを求めて、旅をしないといけないところだった。


 私は、私の望む悲願のために。


 問いかけると、吸血鬼は思いのほかまっすぐな眼差しで告げる。


「我の眷属――『家族』には、手を出すな」


(……!?)


「もしこの条件をのめないのであれば、我は今すぐ銀の奥歯で舌を噛み切って死ぬ」


「!」


「いくら不死たる吸血鬼でも、銀による傷はそう簡単に癒せないのは知っているだろう? ゆえに魔王様の腹心たる我は、こういうときの為に自死する手段を持っているのだ」


 どこか得意げに、そして不敵に、吸血鬼は嘲笑った。一方で私は、あいた口が塞がらない。


 魔族が、『家族』を重んじるですって!?

 ふざけるな、こんなの聞いたことがない。


 魔族といえば、悪辣で底意地が悪く、横暴で高慢。血と戦、略奪と殺戮を好み、力なき者を蹂躙する。世に渦巻く『悪』を鍋で煮詰めてエリクサーにしたような、そういう生き物だ。


 それが……


「何が望みか知らないが、貴様が望むというのなら、思い描いたような呪詛を貴様にかけてやろう。ただしその代わり、私の呪いが貴様を蝕み、各地の『家族』を必ず守る。そういう呪いをかけてやる」


(…………)


 しばし考え、問いかける。


「それって、もしかして、もしかしなくても。私が世界の――人々の敵になるってこと?」


「さぁ? それもまた、我の家族次第だな」


 そのからかうような笑みに、私は、自身の望みと世界を秤にかける。


 そうして、すぐに思い直した。


 私はまだ十四歳。恋に生きる乙女なのよ?

 自身の出世よりも意中の彼のパンツの方が気になる。明日のクエストよりも、髪のトリートメントと肌艶、おっぱいが彼好みにきちんと育っているかどうかの方が大事だわ。

 そんな、急に世界と彼のどちらかを選べだなんて選べるわけもない。私、まだそれほど大人じゃないもの。


 それに、もし今選ぶなら、世界の人には悪いけど――私、彼を選ぶわ。


 そんなこんなで、私は吸血鬼と契約を交わした。

 かぷり、と吸血鬼が私の首に噛み付くと、全身の血が熱くなって、髪が少女と同じ銀色になって。多分だけど、目も紅くなったんだろう。


「ああ、これで私は、吸血鬼になったのね」


「そうだ。今後お前が、『初めて血を吸った者』以外の血を受け付けなくなる吸血鬼。なんとも難儀で生きづらく、しかしその一途さ故に、我ら吸血鬼の間では『永遠の誓いエンゲージ』と呼ばれる。愛の呪いだ」


「愛の呪い……」


 私は、魔族のように伸びた犬歯をちらつかせ、思わず口元を緩ませた。


(ああ、なんて……なんて私にぴったりの呪いなのかしら!!)


「家族の行く末を、よりにもよって彼奴の――かように忌まわしき娘に託さねばならんとは……」


 呪いの付与によって力を使い果たしたのか、さらさらと煌めく銀の灰になりながら、吸血鬼は姿形を失った。散りゆく最期に、『これも、縁か……』と、言い残して。


 死んだのかしら? わからない。

 でも、今わかることは、ひとつ。


 私はついに、彼なしでは生きられない身体になったのだ!


「ルデレくん! ルデレくんっ!」 


 薄暗闇の階段を駆け上がり、地上で待つ彼の元へと急いだ。


 ああ、ここまで長かった。


 ルデレくんはいまだに、私とパーティを組むことに後ろめたさを感じている。

 腰巾着、金魚のふん、ヒモ――そんな奴に魅了されて、いいように使われて。この淫乱侍め。

 どれだけ後ろ指さされたって、私は一向に構わないのに。


 私はただ、ルデレくんと、昔みたいに。木の棒を持って勇者ごっこをして、走り回っていたいのよ。

 永遠に、終わることのないふたりだけの庭を、未来永劫ぐるぐると――ね。


 でも、口先だけで「私にはあなたがいないとダメなの」なんて言ったところで、事実が伴わないんじゃあ意味がない。説得力がないでしょう?


 不慮の事故(本当は故意だけど)で負った、吸血鬼の死に際の呪詛――

 これはきっと、冠位の魔術師にだって解くことはできないだろう。

 いいわ、いいわよ。私、こういうのを待ってたの。


(ふふ。最高の置き土産……たしかに受け取ったわ)


 ああ、ルデレくん。

 これで、私の全てはあなたのものよ!


 逸る気持ちが皮膚を引き裂き、私の背から翼を生やす。痛みも熱さも、なにもかもを忘れ去って、私は彼の腕に飛び込んだ。


 天を舞い、降下してきた翼の生えた幼馴染を、ルデレはわけもわからず抱きとめた。


「ルデレくんっ! ああ、すっごくいい匂い……!」


 恍惚とした表情で、幼馴染がおもむろに首に齧りつく。


「痛っ! マイヤ、どうしたの!?」


 問いかけに答える余裕もなく、マイヤは本能的な飢餓と快楽に侵されて、いやらしい音を立てながらルデレの血を啜った。


 押し倒されて、されるがままだったルデレは、その鋭い痛みと目の前に見えるマイヤの翼、変わり果てた髪の色に、幼馴染が吸血鬼になってしまったことを悟った。


 人心地ついてマイヤの食欲が満たされた頃、ルデレは貧血気味の頭に鞭を打って問いかける。


「マイヤ……まさか、負けちゃったの?」


 それで、吸血鬼になっちゃったの?


 問いかけに、幼馴染は答えた。


「いいえ、倒したわ。吸血鬼は、この城にはもういない」


「じゃあ……その姿は?」


「死に際に呪詛をかけられたのよ。吸血鬼になっちゃう呪い」


 首筋から顔を上げたマイヤは、にんまりと妖艶な笑みを浮かべ。


「私……もう、ルデレくんなしでは生きられないの」


 心も、身体も……ね。


 そう、うっすらと月の見える宵闇を背にして。マイヤは微笑んだ。


 ヤンデレ侍、好きにて候――


 そう。全ては、彼への愛の名のもとに。


 ※※


 前略、お父さん、お母さん。

 お元気ですか? 僕はそれなりに元気です。


 ある日突然、所属していたパーティが解散してしまったときは、今日から無職だ、どうしよう! なんてことにもなりましたが、幸い今は新しくパーティを組んでもらって、どうにかこうにか暮らせています。


 その相手が、なんと驚き! 幼馴染のマイヤなんです。

 ずっと遠い存在になってしまったと思っていたマイヤが、色々あって僕を頼ってくれて、今はふたりきりのパーティメンバーとして、毎日のように顔を合わせているんです。


 マイヤとは幼い頃から気心が知れていますし、元来人見知りな僕も、おかげで安心してお仕事に励むことができています。

 世界中の植物を研究する旅をしているふたりは、忙しい日々が続いていることと思います。

 けど、もし東の外れのこの町に立ち寄ることがあれば、顔を見せてくれると嬉しいです。


 草々。ルデレ=デレニア。


 ※※


 薄くて安物の便箋に筆を走らせながら、僕はここ数日の出来事を反芻していた。


 マイヤが吸血鬼にされてから、数ヶ月。

 姿形が、人間の敵である魔族のようになってしまった(実際、半分は魔族になっている)マイヤを匿うように、僕らはふたり、ボロアパートで暮らしている。


 艶やかだった黒髪は、絹糸を思わせる銀糸に変貌し、瞳も紅い。

 その、人間を虜にする浮世離れした美しさは、見る人がみればすぐに魔族だとバレてしまうだろう。


 髪は染料で染めればいい。幸い町の近くには森があって、樹皮を加工すると黒い染料になる木が沢山生えている。スライムからとれる粘液やら花をすりつぶした香料やらと混ぜ合わせれば、水にも強く、数週間は色が落ちない。


 そんな染料を独自に開発したのを見て、マイヤは「ルデレくん天才! これ、ギルドに特許を取って販売しましょうよ!」なんて呑気に皮算用をしている。


 でも、いくらマイヤにそう言われても、僕がギルドに特許を出願することはない。

 だってそんなことをしたら、マイヤの髪が染め粉だってバレてしまうじゃないか。


 コウモリのような皮膜の翼も、マイヤが気合を入れると出したり引っ込めたりできるようになった。気合だとか、まったく意味も理屈も分からない僕に、マイヤは、「気持ち的には、居合で首を飛ばすときに似ているわね」とか。更にわけのわからないことを言う。

 普通の人はね、そんな簡単に刀一本で首を飛ばせないんだよ、マイヤ。


 それから僕らは、姿を隠しながら夜に活動をし、(マイヤにとっては)簡単なクエストをこなしてお金を貯める生活を送っている。


 それから、これはマイヤにはまだ内緒だけど。

 僕は、吸血鬼の呪いの解呪と、生贄の血の研究を始めた。生贄とはこの場合――マイヤに血を捧げる僕のことだ。

 両親の残した古い書物や図書館、ギルドで。沢山の本を借りて読みふける毎日。


 僕は、マイヤと違って強くない。


 今は幸い町に居場所があって、なんとか暮らしているけれど。魔族の蔓延るこの世界で、いつ、どこで死んだっておかしくはないんだ。


 とはいえ、僕だってこのままマイヤにおんぶに抱っこじゃあいけない。

 それに、もしこれから僕に何かあったとき、マイヤがお腹を空かせてピンチになるのはよくないからさ。できればそうなる前に、マイヤの呪いを解いてあげたいんだ。


(マイヤ。たとえどんな姿になっても、マイヤは僕の大事な幼馴染だよ……)


 僕は、そんなことを考えながら、ボロアパートのソファに沈んで、僕の首に齧りつくマイヤの頭を撫でた。


 「いつお腹が空くかわからないから」と言って、ソロクエストのない日は、僕の家に同棲同然に入り浸るようになったマイヤ。

 いつでもマイヤの気の向いたときに(割と四六時中)、抱きつかれて、首筋に唇をつけられながら、爛れた(と意識しているのは僕だけかもしれないけれど)生活を送っている。

 マイヤは強いし、すごく可愛い幼馴染だけど、やっぱりそこは人間いきものだから。空腹にはかなわないもんね。


「……マイヤ。どう? お腹はいっぱいになった?」


 僕は、首がジンジンと火照ったように熱くって、貧血なのか、意識が朦朧としてきたよ。


 覆いかぶさるように抱き着いているマイヤのおっぱいが、首の角度を変えるたびに色んなところに当たって、むにゅむにゅと……柔らかくって、しっとりしてて。変な気分になってくる。


「ねぇ、マイヤ。その、血を啜るときにぴちゃぴちゃ音出すの、やめられないの?」


 なんかやらしいってば。


 その音は、よく言えば子猫がミルクを飲むみたいだけど、首筋を舌で舐められながらやられると、もういやらしい行為にしか思えなくて、僕はいつもたじたじだ。

 マイヤにそう正直に言えればいいけど、恥ずかしくってちょっと無理。


 精いっぱいに指摘すると、マイヤは顔をあげて、きょとんと愛らしく首を傾げた。


「ルデレくん……いやらしいのは好きじゃない?」


 ……いやらしい音を出してる自覚はあったんだな。


 僕は思わず、赤くなった顔を逸らす。


「そうじゃないけど……やっぱりさ、僕も男だし……」


 すると、マイヤはにんまりと、魔族みたいな笑みを漏らす。


「ルデレくん……私、吸血鬼になって、こうしてルデレくんと一緒にいられるようになって、幸せよ」


「……! し、幸せなんてことないでしょ! 現にこうして、マイヤは僕から離れられなくて、一日に一度は吸血しないと、お腹が空いてフラフラになっちゃうじゃないか!」


「それでもいいの」


 だってソレ、半分は弱ったフリ演技だもの。三日に一度でも吸血できれば、ぶっちゃけ十分よ。


「私はもう、ルデレくんがいないと生きていけない。ルデレくんもまた、無職の文無しで、私がいないと生きていけない……」


 ああ、なんて素敵な共依存関係なのかしら!


「ルデレくん……ずーっと、ずっと、一緒にいようね……」


 抱き着くマイヤの柔らかさに、ルデレはそれ以上の言葉を失う。


 ルデレたちの住むボロアパートの片隅で、半分に割れた狐面が、カラン、と渇いた音を立てて転がったのだった。

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②ヤンデレ侍、好きにて候 南川 佐久 @saku-higashinimori

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