第22話 正義の用務員、爆誕

――用務員生活、初日。

 俺はトイレを掃除していた。

 魔法学園は三階建てで、各階に二部屋ずつトイレがある。そのほか別館、競技場などにもトイレがしつらえらえてある。

 それらをすべて、掃除することになっていた。

 無論女子トイレは別だ。変態扱いされてはたまったものではない。

 掃除用具を片手に、俺は綿密に仕事を始める。

 

 学園内のトイレはまだいい。

 一般の便所とは異なって、学園内のものは一部例外を除き水洗式である。

 インフラをきっちり整備しているあたり、やはり魔法学園は金持ちのためのものなのだ。

 学園長たちの使用する設備は、それに加えて水の精霊の加護が施されて、いつでも清潔に使えるようになっている。

 

 だが、そうであっても掃除を怠けるわけにはいかない。

 見た目がキレイであっても、いきなりサボる人間であるという印象を与えるのはマズい。

 掃除をした痕跡を残さなければならないのだ。

 

 俺は水を撒いて、ブラシで床をこする。

 日中の光がキラキラと反射する。

 だれも入ってこないトイレを、俺は黙々と掃除する。

 こういう仕事は、わりと好きだ。

 達成感もあるし、他人に喜んでもらえる。

 

 俺は今朝のことを思い出す。

 

「トイレ掃除は、ただ水を撒けばいいというものではありません」

 BBが人差し指を立てて、俺にレクチャーする。

 俺はメモを取りながら、頷いた。

「水回りの掃除は、素人はバシャバシャ水をまきちらして、かえって汚してしまいます。水で濡らせば、掃除した気分になれますから。

 ――しかしそれは、効率的ではありませんし、掃除の本質をとらえていません」

「掃除の本質?」

 俺は訊ねる。

「無論、対象を綺麗にすること。一般的なメイドの感覚としては、空中及び床部の殺菌が1%以下になっている状態を指して『綺麗』といいます。それ以外の状態は、見た目いくらピカピカしていても、掃除が完了しているとは言えません」

「厳しいんだな」

「マニシュ古代文明においては、掃除はパペットゴーレム以下、使役妖精やらお掃除ゴーレムやらの行うことで、人間はそれらの賤業に手を染めることはありませんでした。

 けれど、それらの掃除に対する意識の低下が、ひいてはマニシュ古代文明の崩壊につながったと言えます」

「掃除ができないと、古代文明が滅びるのか」

「そんなわけないですけど……でも、掃除は重要ですね」

 ザードが茶々を入れてくる。

「前のパーティでは、ザードも掃除をしていたからな」

「何をやってるかと思えば……ディーン、あなたは別に、本当に用務員の仕事をしにいくわけじゃないんですよ」

「わかってはいるが……それなりに真面目にやらないと、ばれてしまうからな」

 俺は仕事を控えて、掃除や設備の点検のやりかたをBBにレクチャーして貰っていた。

 今までもパーティの雑用で、それらのことをしていたのだが、やはりやり方を確認しておいたほうがいい。

 先日の掃除や家事全般の様子を見るに、BBの家事能力は俺より遙かに上。

 ならば――教えを乞わないわけにはいかない。

 

「水回りは、隅っこの処理が決め手になります」

「隅っこか」

「掃除の素人は、どうしても全部の面を均等にキレイにしたくなるのですが――」

 BBは食卓を部屋に見立て、手で掃いてみせる。

「意外と真ん中は汚れていないものなのです」

「そうだったのか」

「ゴミが集中するのは隅。加えて、角はブラシも届きにくく、こするのが大変です。

 だから、部屋の角をきっちり掃除することで、見違えるように美しくなります」

「そうだったのか」

 俺は目から鱗が落ちる思いがした。

「そして、角をキレイにすると思った以上に掃除の効果がでます。『掃除は隅っこで決まる』マニシュ古代文明の格言です」

「そんな格言あるわけないじゃないですか」

 ザードがツッコミを入れる。

「本当に真面目なんですね……ディーンは」

「あまり手を抜くのは、好きではない」

「前のパーティでも、何だかんだで雑用を押し付けられていたじゃないですか」


 そうだ。

 S級パーティでは、掃除とか洗濯とか、パーティの連中の世話は俺がやっていた。

 冒険が終わった後の手入れなども、すべて俺が担当していた。

 たまに見かねたザードが手伝ってくれることもあったが「そういう仕事はディーンにやらせておけ」という勇者の一言で引っ込まざるを得なかった。

 雑用自体はキライではなかったし、自分の仕事だと割り切っていれば嫌なことはなかったが、たしかにザードの言うとおり「面倒な仕事を押しつけれていた」のかもしれない。

 

「そう言えば、ジーグたちは大丈夫なんだろうか……俺がいなくて、掃除とか洗濯とか」

「だれか他の人がやりますよ……それよりあいつら、他のことで心配ですが」

 ザードがため息を吐いた。

 

 ――実はS級パーティの面々は、彼らの想像以上にひどい事態に陥っていたのだが、それは彼らの知るよしもない――

 

 

 と、いうわけで、俺はBBから掃除その他の指導を受け、万全の状態で仕事に臨んでいた。

 確かに隅っこが汚れている。

 BBからあずかった古代のエリクサーを振りまくと、汚れが落ちやすくなった。

 何でもエリクサーは、現代の技術ではもはや創造することのできないロストテクノロジーだということである。

 ちょっと使うのがもったいない気がしたが、いまは掃除を遂行するのが大事だ。

 床を磨いて、洗面台のポリッシュアップに入ろうとした、その時――。

 

「あー、ヨームインだ!」

 きゃあきゃあと騒ぐ声がした。

 

 見ると、学園の子供達がこちらを見ている。

 低学年くらいだろう。2~3人が俺を指さしている。

 

「ヨームイン、本当に掃除してるー!」

 きゃはははと、明るい声で笑う。

「今は掃除中なんだ……できればトイレは、別の階のものを使ってもらえるか?」

「ねえ、ヨームイン」

「何だ」

「ヨームインは、なんで掃除なんてしているの?」

 一人の男の子が、トイレに入り込んで俺の顔を見上げる。

 かなり身なりのいい様子だ。

 髪も手入れされて、よく見れば豪華なアクセサリーが装備されている。

 かなり上級の家庭の子供のようだ。

「それが仕事だからだ」

「僕知ってるよ。なんでヨームインが掃除してるか」

「何でだ?」

「ヨームインが、魔法が使えないから!」

 キャハハハと、今度は悪意のある笑い声が響いた。

「魔法が使えないから、掃除なんて仕事をしてるんだ!」

「パパや先生が言ってた! 魔法が使えないと、ああいうテーキューな仕事しかできないんだって!」

「魔法が使えないオチコボレなんだって!」

 子供たちの顔が、明らかに俺をバカにした様子に変る。

 

「用務員の仕事は、低級なものじゃない。誰かがやらなければいけない仕事なんだ」

 さすがにちょっと聞き捨てならない。

 俺は彼らに説明する。

「えー、だって汚いじゃん」

「みんな嫌がる仕事だよ」

「そういう仕事こそ、誰かがやらなきゃいけないんだ」

「えい、汚しちゃえ!」

 そう言うと一人の子供が、泥の付いた靴で床を走り回った。

 俺が先ほど掃除した床が、見る間に汚れてしまう。

「あ、汚れた! ねえ、ヨームイン、これ掃除して!」

「今君が汚したものだろう」

「なんだよ。ヨームインのくせに言うことが聞けないの?」

「仕事をさぼってるよ!」

 バカにしきった言葉を投げかける。

「トイレを使わないなら、向こうにいってくれ」

「あ、トイレに何かいます! ヨームイン、こういうのを退治しないといけないんじゃないの?」

 見ると、一人の子供が魔方陣を書いて、モンスターを召喚していた。

 小型のサラマンダー。

 たいした力はないが、炎を吐く。

 こんな設備の中で使ったら、火事になりかねない。

「危険だぞ。しまった方がいい」


「あ、モンスターが強くなってしまいました!」

 その時、一人の子供がふざけて何かをかける。

 どこから手に入れたのか、魔力を増幅させるエリクサーだ。

 信じられない。

 魔力を生命の原動力とする生物に、魔力増幅アイテムを使うなんて。

 火にオイルをぶつけるようなものだ。

 この学園の教育は、いったいどうなっているんだ?

『ガアアアア!』

「わあああああ」

 突如巨大化し、子供たちよりひとまわりも大きくなったサラマンダーが、子供達に向かって吠えた。

 まずい。

「は、早く、何とかしないと……」

「怖い、怖いよ!」

 子供たちは一歩も動けない。

 こうなっては仕方ない。

 なるべく出したくはないが……。

 

「――スキル<追放>」


「「「え?」」」」


 瞬間、サラマンダ―の姿がかき消えた。

 後にくすぶる火に、俺は水属性のウォータービームをぶつけ消火する。

 

「す、すごい……」

 子供達は唖然としている。

「間一髪だったな。魔法を危ない使い方をしてはいけないと、習わなかったか? 今後はこんなことをしないように……」



「「「すっごーい!!!」」」


「へ?」

 子供達を見ると、なぜか子供達は俺を羨望のまなざしで見ている。

 

「すっごい! サラマンダーを一瞬で消しちゃった!」

「今見たか? 何もないところがぐわーって開いて、サラマンダーが飲み込まれた!」

「すっごい! ヨームイン、今のなんて魔法?」


 しまった。

 彼らを助けようとして、とっさに<追放>を使ってしまった。

 まだ未完成な技で、なるべく他人に見せたくなかったのだが……。

 

「それに、今の水魔法!」

「消火に使ったやつか?」

「俺知ってる! 水魔法って、チョー難しいんだ! バシャバシャって、たくさん出すのは簡単だけど、あんなふうに少しだけ水を出すのは、すごい難しいんだって」

「先生がウォータービームを出したときも、変なおしっこみたいなのだった。あんなキレイな水魔法、見たことない……」


 え?

 そんな凄い技術だったのか?

 っていうか、この学園の先生って、その程度しかできないのか?

 

「ヨームイン! 魔法教えて!」

「ヨームイン! 先生より、ずっと魔法が上手い!」

「ヨームイン! おれ、ヨームインみたいになりたい!」


 さっきとは打って変わって、俺の周りを取り囲む子供。

 まいったな……掃除ができない。

 潜入捜査のはずなのに、やたら目立ってしまう。

 

「そうだな……まずは学校の勉強をしっかりしよう。

 何事も基本が大事だ」

「――そうすれば、さっきみたいな魔法が使えるの?」

「使えるとも」

 俺は頷く。

 たぶん教師というのは、こうして子供に嘘をつくのだろう。

「そして、仕事に貴賎はないこと、嫌がる仕事を率先してやること」

「「「はい!!!!!」」」

 元気な返事が返ってきた。

「それから、他人の悪口は言わないで、友達が追放されたときも、馬鹿にしないで優しくしてあげることだ」

「「「はい!!!!!」」」

 目がキラキラしている。

 いかんな……教師に憧れてしまいそうだ。

「そうすれば、僕たちもヨームインになれますか?」

「ああ、なれるとも。用務員に」

 俺が請け合う。

 歓声が響いた。

「やったー!」

「よっしゃ、俺はヨームインとして頑張るぞ!」

「僕もヨームインになる!」

 はしゃいで去って行く子供達。

 なんだか彼らに、間違った職業観をあたえてしまったような……。

 

 そうして、トイレの掃除で半日が過ぎた。

 山裾に夕暮れの日が落ちようとしていた。

 俺も慣れない仕事で、かなり消耗していた。

 疲れた。

 あとここの競技場のトイレで、すべての掃除が終わるはずだが……。

 

 その時、物音が響いてきた。

 トイレの裏だ。

 俺はこっそり、そちらの様子をうかがう。

 

 数人の女子生徒が、誰かを取り囲んでいる。

 相手を把握しようとして、俺は息を呑んだ。

 

「――マキ」

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