第2話「怖くて仕方がない」
「んぎゃあ」
なずなはその声を出してケースからのっそりと出てくる。
んぎゃあ。これはなずなの独特の声だった。他の猫には見られない。
その瞬間、私の強張った気持ちが吹き飛んだ。機械仕掛けの再会とはいえ、こみ上げて来るものを抑えられなかった。
「なずな!」
思わず声を出した。するとなずなは一瞬私を見上げた。
本当のなずなならしばらくの間私を見上げ、私の膝で横になる。
「なず――」
電気猫のなずなは果たして――。
「あ」
――同じ動きをした。
しばらく私を見上げ、すぐに尻尾を振った。そして膝でごろりとしたのだ。放心した私は何度もなすなを撫でる。生前さながらの姿がそこにはあった。
そのまま数分。私は少し落ち着きを取り戻した。そのままケースの外につけられていた説明書を取り出す。
そこには生前の飼い猫を再現せんとするC・L・Cの努力が垣間見える。
精巧な見た目。化学繊維の毛。肉感を模したシリコン。生前の生体情報をトレースした温もり。そして恐らく、他の何よりも繊細に作られた脳みそ。
たった1匹の猫を作り上げるために磨き抜かれた科学技術の粋が、なずなを作り上げていた。
そこにいるのは電気猫なる商品でも、まして機械でもない。
なずな。なずなだったのだ。
*
感動の再会から1ヶ月。私は元気を取り戻した。
そんなある日の昼休み。オフィスに緩い空気が流れた時のこと。
「先輩、元気そうですね」
後輩が声をかけてきた。あの時、電気猫を勧めてきた後輩である。私はパソコンを閉じて言う。
「そう? 元気に見える?」
「はい。なんか肌つや良くなりましたよ」
「そっかあ」
「なんかありました?」
私は後輩に、新しいなずながやってきたことを告げた。
「そうですか。じゃあ先輩もついに電気猫デビューですね。しかも生前の姿をトレースする最新型!」
後輩はそう言い、持っていた缶コーヒーを口につけた。
生前の姿のトレース。ひと昔前なら「なんと倫理をもとることを」と叫ばれたことだろう。しかしそんな声はもう寡聞にして聞かない。
電気猫は当たり前の存在。
この倫理が作られた今の世界では、「今の人間は生命のなんたるかがわかっとらん」と息巻くのはきっと、どこかの学者やお偉いさんだけなのだろう。
すると後輩は「そうそう」と言って雰囲気を変える。
「最近、たまに元々飼っていた猫ちゃんのことを忘れてしまいます」
「元々飼ってた? 本物の猫ちゃんのこと?」
「はい。その子はみかんと言います。2年前まで私が飼っていた本物の猫ちゃんでした。若い雑種です」
後輩は空になったコーヒーを指でいじりながら話を続ける。
「でもある日、いなくなっちゃったんです。その日は寝坊しかけて急いで出たから鍵を閉じてなかったんだと思います。みかんはその時に出ていった――」
後輩はため息をついて暗い面持ちだ。見つかった雰囲気ではない。
「私は必死に探しました。夜遅くまで名前を呼びましたし、張り紙はもちろん、メタバースやネットで情報提供なんかもしました。でも見つからなかった」
「そう……」
すると後輩はやや声を低くして言った。
「ここからが問題なんですよ」
「問題?」
「些細な埋め合わせのごとく飼い始めた電気猫のかすみ。これがかわいいんですよ」
「みかんちゃんは?」
「……なんとも」
「なんともって」
「さっき言ったように、みかんのことは時々忘れてしまいます。反感を承知で言えば、どうでも良くなった」
「ええっ」
「なんでなんですかね。私もよくわかりません。急にみかんが頭からすっぽ抜けました」
あまりの軽薄に、予防線を貼られてもなお後輩には引いた。
しかし後輩は何か恐ろしいものでも見たかのような顔だった。
「本当なら私はかすみを可愛がっていても、もっとみかんの喪失に嘆いているはずでしょう。でもそうはならなかった。これがわからないんです。もしかするとみかんは、私の真っ当な心も連れてどこかに行ってしまったんでしょうか?」
「…………」
「パートナーを失ってもやけに軽薄な自分が怖くて仕方がないんです」
なんと言ったらいいのか私もわからなかった。
後輩は、本人の言葉を借りれば軽薄ではない。それどころか会社内の評価は高いほうだ。そんな彼女に何があったのだろうか。
いや、もしかしたら何もなかったのかもしれない。みかんちゃんを失ったことで、本来自分が飼っていた薄情さを始めて知ったという可能性もなくはないが……。
(自覚してるだけまだマシ?)
私はとりあえず「電気猫のかすみちゃんは今まで通りしっかり愛するように、傷付けないように」とだけ言っておいた。
後輩は愛想笑いで自分の席に戻った。
少しすると休憩が終わり、私も後輩も仕事に戻った。
【作者からのお願い】
次回は翌日の12:00~13:00頃に投稿予定です。
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