電気猫を飼ってみた

コザクラ

第1話「おはよう、なずな」

「先輩もこの機会にどうですか?」


 後輩からそんな一言が飛んだ。

 飼い猫の「なずな」を亡くしてから明日でもう半年か、と呟いた時だった。


「そうだなあ」


 曖昧に返した。あまり乗り気ではないからだ。電気猫――アンドロイドにあのかわいさが再現出来るのだろうか。

 などと頬杖をついていると、その後輩が携帯の動画を見せてきた。


「見てくださいこれ。私んちの『かすみ』ちゃん。電気猫なんですよー」


 画面ではかすみちゃんが棒についた毛玉を追いかけ、叩き、そして踏みつけている。

 確かにかわいらしい。それこそ本物の猫と見分けがつかないくらいに。


「どうすか」


 どうすか、と言われても。


「うん」


 そう返すしかないだろうに。






電気猫を飼ってみた






 私はその勧めを「考えてみる」と適当にいなし、その後もまあまあ楽しく過ごした。


 家に帰った私はベッドに転がった。世代交代の波を感じる。

 原因はあの会社。聞けば誰もが知るアメリカの大企業「C・L・C」――クリア・ライフ・コーポレーションにある。


 ことの始まりは2087年。今から35年前、元々機械工学に長けていた彼らは突如として「電気動物」シリーズを売り出した。

 初めは「機械がペットの代わりになるか」「倫理を冒すな」という声もあったが、彼らは諦めなかった。

 売り出しに当たっては、例えば糞をしないとか、気まぐれに飼い主を傷付けないとか、爪を切らなくていいとか、狂犬病検査をしなくてもいいとか、手間は充電や点検だけとか。そういうあらゆる「クリーンさ」を押し出した宣伝をかけていた。


 当初、この電気動物に目を向けたのは富裕層だった。当時の価格を考えれば当たり前たが、そのおかげで電気動物は初動の人気に支えられて富裕層から富裕層へ――。その波及が手伝って売り上げは伸びていった。


 売り上げが伸びると予算が増え、スポンサーも次々目を向け始める。それによって得られた経済的余裕は1台当たりの生産効率を高め、品質をより良くした。それに伴い生産コストも下がり、比例して価格も安くなる。安くなると電気動物は中間層に広まり始める。


 この中間層への広まり。これが決定的だった。シリーズ発売から30年を迎えた頃、既に家庭のペット像は電気動物になった。時を同じくして、電気動物を愛した子供たちが働き手世代になる。

 この時、彼らは「電気動物を飼うのは珍しいことじゃない」という最強の倫理を手に入れた。科学と手を取ったビジネスは倫理の壁を打ち砕いたのだ。


 いや、振り返れば幾星霜。この流れは歴史のあらゆる面で繰り返されてきた。

 例えばコカイン。かつてそれは医薬品として売りに出された。

 19世紀末。当時アメリカで発売されたコカ・コーラの成分にはこれがわずかに含まれていたし、同じ頃のイギリスではコカインは病院で当たり前に買えた。その流れを支えたのがビジネスだった。しかしその毒性が知られると、人々はそれを遠ざけた。

 あるいはキュリー夫人が見つけたラジウムも。それはかつてビジネスという後押しの下、塗料や美容品としての価値を見出された。

 しかし20世紀を迎えて久しい頃、「ラジウム・ガールズ」の訴えを嚆矢こうしとしてその流れに歯止めがかかる。そして今、ラジウムの利用範囲はもっぱら科学、医療分野に渡っている。

 もっと身近な例で言えば自動車などもそうだろう。

 ビジネスによって生み出された自動運転システムが一般化するにつれ、手動運転は「人がやって当たり前のこと」から「殺人嗜好を持つ人間の運転方法」になった。おかげで手動運転が我が国で禁じられるまで30年もかからなかった。それが許されるのは事故の瀬戸際というギリギリのタイミングのみ。それ以外は、義務化された車内カメラが運転手の様子を見張っている。手動運転をしないように。


 何かの後ろにビジネスはついて回る。それは歴史の常であり、その流れの下で倫理はいつだって書き換えられてきた。

 その循環の早さはもうすぐ私たちの一生の期待値を下回る。少なくともあと3つか4つ。私が生きている間に倫理が変わる。それはビジネスの後押しで以ってより目まぐるしく――。


 思考を電気動物に戻す。


「ふう……」


 私はため息をつき、そして決めた。

 これから先、電気動物はより当たり前のものとなる。その間、若い子たちの話題に乗り遅れない意味でも「慣れ」として飼ってみるのはいいかもしれない。


(どうせ機械なんだ。愛着なんて湧くはずがないんだ)


 私はそれを頼んでみることにした。

 明日は休日。早速手続きをしてみよう。











 そんな思いを抱え、私はすぐに翌朝を迎えた。

 コーヒーを飲みながらC・L・Cの公式プロモーション動画を開く。

 すると再生が始まる。画面は真っ暗だったが、すぐにナレーションが始まる。


 ――朗報です。あなたはついにペットロスから解放されます。その栄光への一歩は、人気の「電気猫」から!


「は?」


 あまりの不意打ちに、私は部屋で1人きりのくせに呆けた声を上げてしまった。

 すると真っ暗な画面が切り替わる。そこには膝の上で猫を撫でる女性が映し出されていた。


 ――こちらは主婦のアンナ(25)さん。彼女は2年前にランピーくんを亡くし、失意の底にありました。しかし彼女は今、日々を明るく過ごしています。我が社の新しい「電気猫」によって!


 ランピーなる雑種の電気猫は画面の中で跳ねまわり、愛らしく女性の横にすりつく。女性はそれを微笑みながら撫でている。


(いかにもアメリカンなCMだなあ)


 すると画面は猫を真横から写した写真に切り替わる。写真の猫はホログラムになった。


 ――我が社の「電気猫」はあなたの飼っていた猫ちゃんの生体情報を読み取り、生前さながらの愛らしさをお届けします。


 マジか、と思った。C・L・Cが35年の歳月をかけて味方につけた倫理はついにここまで来た。

 しかし無理もない。彼らは既に経済を主体的に動かす層を取り入れた。批判や抗議の声も遠く響くものだったはずだ。

 動画はさらに続く。


 ――骨しかない? いいえ、それで十分! 我々はそのDNAからプログラムを生成。そこにその猫ちゃんが生きていたあらゆる情報を埋め込みます。性別や見た目はもちろん、くせや性格。そしてあなたへの愛! 1ヶ月後にはあなたのパートナーは再び舞い戻り――。


 私はそこで動画を閉じた。お腹いっぱいだった。しかしこの事実にどこか興味を覚えていた自分もいた。

 私は電気猫を買う動機が変わった。慣れから期待に、だ。

 果たして電気猫はかわいいのか? それが仮になずなだとしても? あんなにかわいかったなずなだとしても?


 ――なずな。

 思い出す。いや、思い出さずにはいられない。

 なずなは元々、家に迷い込んできた黒猫だった。当初はかなり痩せており、初めはとにかく必死に餌やミルクを与える日々だった。その甲斐もあり、なずなは少しずつ元気になっていった。

 私はなずなをたくさん愛した。なずなもそれに応えるかのごとく、私に愛らしく寄ってきてくれた。

 なずな! そう呼べば「んぎゃあ」と変な声を出して返してくれたし、暇な時は私のお腹を少し硬い肉球でぷにぷに押してきてくれたものだ。

 そんななずなは、時と共に少しずつ弱っていった。医師によれば寿命だったという。私の家に迷い込んできた時点で人間で言うとよわい70を越える、いわば後期高齢猫だったのだ。


 そして半年前。

 珍しく餌を全て平らげたなずなは大きなあくびをし、そのまま眠った。なずなはもう2度と起きることはなかった。


 そんななずながまた帰ってくるのだろうか?


 思い出が溢れて止まらなかった私は衝動的に契約をした。


(だめだったら。だめだったら返そう)


 そんな思いを抱えながら半年。

 私は新しい「なずな」をお迎えした。

 それは奇しくも、生きていたなずなをお迎えした日と同じだった。


 ケースを開けて声をかける。


 おはよう、なずな。






【挨拶&作者からのお願い】

 初めまして。コザクラと言います。よろしくお願いします。

 次回は17:00~21:00頃に投稿予定です。


 面白い、続きと読みたい! と思ってくださったら広告下の♡やコメント、ブックマークやフォローを下さると励みになります!

 ここまで読んでくださりありがとうございます。次回もお楽しみください!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る