少女から

IORI

あの子

 いつも通りの朝、今日も気怠い歩みで駅に向かう。重い瞼で視界が狭い。憎らしいほど澄んだ空の清々しさは、今の私には似合わない。夏の終わりを告げる冷たい風は、着慣れた夏服には肌寒い。捲った袖を、人知れず下ろした。

 階段を単純作業で上り、愛想のない駅員に軽く会釈を無視をされ、再び単純作業で下っていく。味気ない変わらない日常。別に不満がある訳では無い。ただたまに、何かが欲しくなるのは何故だろうか。

 ふと、昨夜の電話を思い出す。あの子は泣いていた。聞いたことも無い弱々しい声音で、途切れ途切れの言葉を必死に紡いでいた。私は黙って聞いた。あの子の言葉一つでさえ聞き逃すことのないように、あの子の本音を抱きしめられるように。

 

   もう大丈夫だよ


 電話の後、すぐに画面に現れた。これ程信用ならない言葉はないだろう。文面ならば尚更だ。なのに私は、次の言葉が出てこなかった。無機質に光る画面を、固まった指と思考が見つめていた。所詮まだまだ私も子供だ。こんな時に言葉が雲隠れする。

「おはよう。」

 階段を下りきった足が思わず停止する。凛とした爽やかな声。聞き慣れたはずが、ほんの少しの違和感。耳を抜ける鈴の転がるような跳ねる声。視線を上げるとあの子が、セミロングのあの子がいた。腰まであった長い黒髪は、面影なくさよならしていた。

 吹っ切れた笑みと腫れた目元。耳にかける仕草が妙に大人びていて、その矛盾でさえ、私と変わらないはずの少女を、どこか艶めいた女性に見せる。綺麗、と素直に人に感じたのは、果たしていつぶりだったか。

 あの子の髪に手を伸ばす。柔く軽くなった髪が、私の手にサラサラと滑る。どんな気持ちであの子は髪を切ったのだろう。肩が軽くなっていく度に、床に散らばる髪を見る度に、どんな表情をしたのだろう。

「似合ってるよ。」

 私は思わず口走っていた。それと同時に、私ができることは、この言葉を贈ることだろうと判断したのかもしれない。一瞬きょとんとした顔をして、あの子は照れくさそうに微笑んだ。

「ありがとう。」

 嗚呼、知ってる。私が一番隣で見てたあの顔。

 

 少女の顔だ


 まだそのままでいてね、私を置いていかないで、そんな我儘言えたもんじゃないけれど。知らぬ間にあの子は、私の知らない世界の階段を上る。その横顔は、少し羨ましかった。

 

 いつも通りだったはずの朝。今日もあの子と電車に揺られる。ふわりと毛先が揺れる度、あの子は切なげに指先で弄っていた。

 変わりゆく少女は、美しく、そして、どこまでも純粋。

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少女から IORI @IORI1203

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