第9話 キスまで五秒


……の二人を見かけた。

私の乗った電車が木立の深い公園を見下ろすようにして通り過ぎたときだった。木々の間から一瞬見えた男女がそんな感じだったのだ。女性は男性の腕の中にすっぽり収まって彼を見上げていた。彼ももちろん彼女を間近で見下ろしている。ご本人たちは緑の深い公園の誰も来ない遊歩道でロマンチックな気分になっていたのだと思うが、電車は無情にもその二人を眼下に通り過ぎて行った。


都会なので、まあ、キスくらいで済んでいるが、田舎ではもっと込み入った状況に遭遇することがある。一度は、一本道で進退窮まってしまい、謝りながら横を通り過ぎたことがある。男性は彼女を差し置いてダンゴムシのように丸まってしまい、女の子もあわてて服で身体を隠していた。「自分は見えても彼女を隠すのが先なんじゃないか」とか、「その場所には去年バカでかい猪の死体が転がっていたんだよ」などと口にすることができなかったのは言うまでもない。



(2022 年 11 月 6 日)



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