第2話 お通夜の準備
揺さぶられて目が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。枕にしていた毛布のほかに、肩まで毛布が掛けられていた。
ゆっくり体を起こし、目を開けると、母の顔があった。
「お見送りありがとう」
母は、目に涙をためて、私に言った。もうじいちゃんには会ってきたらしい。
「うん」
私はそれだけ答えた。母は何も言わず、私の横に座った。じいちゃんは、父方の祖父だったが、母にもずいぶんとよくしてくれたらしい。二人はとても仲がよかったように私には見えていた。それが間違いではなかったと、確信する。ちらっと携帯電話を見ると、まだ朝には少し時間があった。
「お父さんは、どんなに頑張っても夕方になるって連絡があったよ。その間はお母さんが色々やらなくちゃならないけど、あなたはもう、休んでていいからね」
私が、最後の数日じいちゃんの面倒を見ていたことへの感謝の言葉だった。
「手伝うよ」
そう申し出たが、母は首を振った。
「ありがたいけど、一度しっかり寝て身だしなみを整えていらっしゃい」
美人の母は笑う。そういえば私は着の身着のままだった。母はいつでも大丈夫なように準備していたのだろう。わずかに疲れが見て取れるが、地味な黒いスーツを着ていて、誰に会っても問題なく喪主の妻としての責務を務められそうだった。
「私も、ちゃんとしなくちゃね」
なぜだか少し恥ずかしくなって笑ってごまかす。
「あなたほどちゃんとした子はいないわよ」
母の言葉は優しかった。
「お通夜までにうちに顔を出してくれればいいから」
ありがたい言葉だった。少しだけでも寝て、風呂に入って身を清めて、じいちゃんの孫として恥ずかしくないように、じいちゃんを見送りたかった。
「じゃあそうする」
私は立ち上がると、じいちゃんの病室の方を見た。
「行ってらっしゃい」
母は、見透かしたかのように私の背中を押す。私は、少しだけ、ほんの少しだけ、怖くなりながら、じいちゃんの遺体と再会した。ベッドは綺麗に整えられて、顔には布がかぶせてある。
手を合わせてから、そっと布をめくる。笑ったじいちゃんの顔があった。涙が出そうになるのを唇を噛んで耐える。そっと頬に触れると、ほんの少し前まであった暖かさはもう感じられなかった。
「じいちゃん……」
布を戻すと、目を閉じて手を合わせた。ずっと、ずっとそうしていたかった。自分の両手を無理矢理引き剥がし、まぶたを無理矢理開ける。そして頬を拭った。
「またあとでな」
うまくできたかわからないが、笑顔でじいちゃんに告げると、部屋を出た。母は、葬式業者らしきおっさんと話していた。話を中断してこちらに来ようとするのは私は目で制すると、二人に一礼をして、ナースステーションに向かった。一通り昨晩のお礼を言ったあと、元気づけの言葉に見送られて私は病院を出た。
一人暮らしをしているアパートまで歩く。じいちゃんと両親と暮らしていた家も、そこから徒歩10分ぐらいだった。家を出るときに、なるべくすぐじいちゃんのところへ行けるようにこの場所に決めた。「家を出る意味あるの?」、そう母は笑っていたが、父とじいちゃんは少しだけ嬉しそうだった。
家に帰ると、すぐに風呂を沸かす。手を止めると、二度と体が動かなくなりそうだった。こうなることがわかってから用意した喪服を、何度目かの確認をする。何度確認しても、ミスがありそうで、何度でも見てしまう。
『お風呂が沸きました』
おなじみの音楽とともに浴室のリモコンが告げる。着ていたものを脱ぎ捨てると、雑に洗濯かごに投げ込み、体を流しもせず湯船につかった。冷えていた体の芯に熱が通り始める。同時に、猛烈な眠気が来た。思っていた以上に気が張っていたようだ。
眠気を握りつぶしながら、しっかり体を温める。汗ばんできた頃に、ゆっくりと湯船を出る。少しばかりめまいがしてふらつく。
必要以上に力を込めて体を洗い流す。疲れが見えないように顔の手入れはいつも以上に丁寧に。腰まである自慢の黒髪も、一切の傷みを残さないように。
最高の私で、じいちゃんを見送るつもりだった。
風呂から上がると、くじけそうになる心を無理矢理動かしてドライヤーで髪を乾かすと、ついに力尽きて布団に飛び込んだ。せっかく温まった体を冷やさないように、しっかりと肩まで布団を掛ける。携帯電話のアラームを15時に設定すると、一瞬で深淵に引き込まれていった。
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