第11話 グレイシアの覚悟
ぷつりと糸が途切れるように、王子はグレイシアを王宮へと呼ばなくなった。
「すまない。第二王子としての責務と向き合う時間が欲しい」
彼と会えなくなった代わりに、グレイシアは王妃陛下が取り仕切る離宮にて、王子妃教育を受ける日々がはじまった。
父であるアルジーベ卿は、いよいよ娘が第二王子妃になるのかと感慨深くなった。
◇◇◇
王子と会えなくなって、そして苦手な妃教育が始まって。
グレイシアは表情こそ変えないものの、どこか精彩を欠いたような無表情を見せるようになった。毎日きらきらと銀髪を輝かせ、楽しそうに城に向かう彼女はまさに白銀のようだったが、今では元通り、地味で邪魔にならない無色令嬢、といった様子だ。
妃教育の休日、実家のソファーでボーッとしているグレイシアに姉と妹が声をかけた。
「ねえグレイシア。まだイケメンとのご縁を繋いでくれないの?」
「お姉様〜眼病になってません? 今何してますの?」
「刺繍よ」
「「刺繍!?」」
姉と妹は声には出さないもののギャッと言いそうなくらい驚いた。グレイシアは家庭科は特に苦手で赤点続きだったからだ。
「どんな血まみれの刺繍を生み出して……あら?」
「姉様、ヘッタクソだけどちゃんと刺繍ができているわ」
「……殿下も……励んでいらっしゃるのですから……私も苦手でも……取り組まないと……」
これまでグレイシアが刺繍をするといえば、針を折る! 布を血まみれに! 前衛芸術のような模様! という惨状だったのに、グレイシアの手の中にあるのはぎこちないものの、そこそこ綺麗な運針の刺繍だった。
七色の糸で刺繍しているのは、シャテンカーリ第二王子の名前。
刺繍を傷だらけの指先でなぞりながらグレイシアは呟く。
「……殿下に会いたい」
珍しいグレイシアの弱音に、レヴェッカとベラドナは驚いて目を瞠る。
そして自己主張の薄い、銀髪の次女に二人は左右から寄り添った。
「グレイシア……」
「姉様……」
「殿下にお会いしたい。妃教育を受けさせてもらえてるということは、私は殿下に嫌われたわけじゃないんだとわかっているの。殿下も頑張っていらっしゃるの。でも……」
ぽたりと、真っ白な手の甲に涙が落ちる。
「何をやっても下手な、自分があまりにも……あまりにも歯痒くて……」
いつもおっとりとして気丈な次女の涙に、姉妹は眉を寄せて互いの顔を見合わせた。
我慢強い次女の涙なんて、母の葬儀以来ではないだろうか。
「そんな。頑張っているじゃない、グレイシア」
「お姉様。妃教育では家庭教師が三人ほど情緒不安定になって辞めてしまわれたの」
「そ、それは……」
「私の習熟があまりにも拙いから……」
グレイシアは彼女たちの求める水準のものを得るのに、とてもとても時間がかかる。
休憩室のそばを通りかかった時、グレイシアは家庭教師が小声で愚痴をもらしたのを聞いてしまった。
「まあ……家柄も健康状態も、ハズレのゲーミングカラー白豚王子の妃としては十分すぎるほどの縁談だから、あれを鍛えるしかないわよね」
グレイシアは傷ついた。
あれを鍛えるしかない、と言われたことではない。自分が出来が悪いせいで、大好きなシャテンカーリ第二王子も悪く言われてしまっていることが悲しかったのだ。
グレイシアは頑張った。最低限の令嬢に求められる程度の語学、勉強はできるようになった。けれどそれはあくまで最低限ーー第二王子とはいえ、妃にみあう令嬢としての水準には至っていない。
「グレイシア……」
「お姉様……」
「ごめんなさい、弱音を吐いてもしょうがないのに」
涙を拭い、心配する姉妹にグレイシアは下手くそな作り笑顔を向ける。
そしてえいえいおーと、腕をふって再び刺繍に向き合った。
「応援してるわ、グレイシア。せめて私は情熱的なダンスを踊って鼓舞するわ」
「ベラドナが美味しいお茶をいれてあげる。マロウブルーで綺麗なお茶よ」
「ありがとう、二人とも」
踊る姉とお茶を淹れる姉妹に向けた笑顔は、儚くも素直で、綺麗な笑顔だった。
◇◇◇
グレイシアは姉と妹、父に心配されながらも日々朝早くから夜遅くまで勉強に励んだ。
勉強に疲れた夜は窓を開き、王宮の方角へと目を向ける。
王子の部屋が今夜も七色に淡く光を放っている。
グレイシアはすうっと、疲れが癒えていく気がした。
「殿下もどうか……ご武運を」
王子の輝きを見ていると、二人の思い出がたくさん溢れてくる。粘り強く勉強を教えてくれたお部屋デート。夜の繁華街で手を繋いで、深夜スイーツを食べる幸せな時間。屈強なグレイシア相手でも、そっと壊れ物のように手を繋いでくる王子の優しい指先。
グレイシアは会いたくて泣きそうになった。
「でも今の私じゃ、まだ輝く貴方に会えない」
王子に褒められたい。せめて、次に再開した時に驚かせる点数を取りたい。
『グリー』
優しく愛称で呼んでくれる柔らかな声を思い出し、再び机に向かって腕まくりする。グレイシアはいつしか、王子への恋心ですっかり染まってしまっていた。
そんなグレイシアの努力を見て、姉と妹は自分の得意分野で手伝ってあげることにした。
「お姉さま! 歴史学と語学、経済学はベラドナにお任せください! 地理と首都? 家の中に貼りまくって覚えますわよ! パンに書いて覚えましょう!」
「グレイシア! しょうがないから私が社交界で必要なゴシップや話術、貴婦人たちの裏情報にみんなが食いつく最新ビューティー情報を教えてあげるわ! その代わりいい男紹介するのよ!」
「二人とも……」
「はは父さんの出る幕がないじゃないか」
嬉しそうに頭をかきながらやってくる父。
「グレイシア。ならば私はお前に美味しい食事を作ってやろう」
「お料理できましたのね、お父様」
「ああ、私は魔術師ではあるが同時に遠征先では料理を担当していたからな」
ひよこの絵柄が描かれたエプロンをつけ、父は腕まくりして胸を張る。
家族の温かさに、グレイシアはますます胸がいっぱいになった。
深く頭を下げて、感謝の言葉を告げる。
「ありがとうございます。張り切って、王子に見合う婚約者になります」
壁にかけられた、亡き母の肖像画も両手をグーにして娘を元気に鼓舞している。
ーーそれから、一年が経過した。
グレイシアの人生の中で、母を失った一年に次いで、長い、長い一年だった。
◇◇◇
グレイシアがようやく王妃の公務への同行が認められた頃。
シャテンカーリ第二王子が直々に馬車で迎えにきた。
玄関ポーチにて、グレイシアは真っ白なドレスに身を包み、三姉妹揃って王子を迎える。
魔術師の礼装に着替えた父も緊張している様子だ。
馬車から降りた王子は正式な礼を交わすと、ふっと柔らかな声でグレイシアに話しかけた。
「久しぶりだな、グレイシア」
「……殿下……」
「一年前も綺麗だったけれど、久しぶりの君はますます見違えるように綺麗だ。……日差しに映える銀髪が眩しいよ」
王子は堂々と褒め言葉を告げる。
「私も……眩しいです。殿下」
王子はなんだか凛々しくなったようだ。漆黒の魔術軍装に身を包んだ彼は、フード付きのマントを翻している。顔を布で覆った姿は一年前と変わらないけれど、以前よりずっと背が高く、背筋が伸びた様子に見えた。
王子はすらりと、一本の白銀の剣を出した。
「グレイシア。どうか僕と一緒にきてほしい」
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